第二十一話 【霊岸島へ】
霊岸島は佃島や石川島と同じく、隅田川の中州を成り立ちとしており、越前松平家はこの霊岸島に二万七千坪余の広大な中屋敷を構えている。
右近と長十郎は予定通り辰の刻(午前八時)に常盤橋を出立し、霊岸島に向かった。
現代の東京と違い、市中に細かな案内板が整備されているわけではないこの時代、初めて行く場所に迷わず移動するためには道案内が不可欠である。
常盤橋御門から外堀を渡り、そのまま進むとやがて奥州街道と交わる。
そして奥州街道を南下すれば、そこはもう日本橋である。
昨日とは異なり、今日は長十郎が道案内として同行しているため、右近は初めて落ち着いて江戸の町を見回す余裕が出来た。
『それにしても何と栄えているのだ・・・福井など全く比べ物にならぬ』
右近は日本橋の賑わいぶりに舌を巻く。
天保年間の江戸の人口は百万人を超えていた。
これは同時代の世界を見回しても、十九世紀になって人口が急増したロンドンに次いだ規模であり、パリの人口にほぼ匹敵する。
奥州街道は日本橋が終着点であり、橋を渡れば東海道となる。
右近は霊岸島への道すがら、町の喧騒と人々の活気に圧倒され続ける。
東海道を暫く進んでから左に折れ、八丁堀辺りまで来れば、霊岸島は近い。
町の賑わいが少し落ち着いた頃合いを見計らって、長十郎は昨日から抱いていた疑問を口にした。
「私はてっきり右近様も反対されるとばかり思っていました。」
それを聞いた右近は、少しの沈黙の後、初めて本心を伝える。
「良いか長十郎、命の使い時は一生で一度しかない。だから何時を使い時とするかが肝心だ。使い時を誤れば犬死にとなる。俺はお主に使い時を間違って欲しくないのだ。」
「江戸城大手門で切腹するのは犬死にでしょうか?」
「時を誤ればな。腹を切るのは万策尽きてからでも遅くはない。だから俺は簡単には腹を切らぬ。」
「・・・・・・」
無言で考え込む長十郎に対し、あえて右近はそれ以上の言葉を掛けなかった。
助言は出来ても、武士として最後の決断は自ら行うべきというのが、右近の考えである。
右近と長十郎は八丁堀と霊岸島を隔てる高橋を渡り、中屋敷まであと僅かというその時、事件は起こった。
「待て!」
背後から聞こえたのは男の声である。
次回は5月28日(金)20時に公開予定です。




