第十一話 【妻の覚悟】
夜明け前に屋敷を出た右近が戻ってきたのは、戌の刻(午後八時)を過ぎていた。
「お帰りなさいませ」
出迎えた妻に対し、右近は伝えなければいけない事があった。
「千勢、急な話だが明朝福井を発つ。直ぐに支度を頼む。」
「左様ですか、行先は何処でございます?」
「・・・江戸だ。」
「江戸!」
「そうだ。内密の事柄故、詳らかには出来ぬが、事は我が藩の大事に関わる。某が不在の間、留守を頼んだぞ。」
「さればお戻りは?」
「さて・・・見当も付かぬ。一月後か、二月後か、あるいはそれ以上か」
「・・・承知致しました。留守は私にお任せ下さい。」
「苦労を掛ける。」
「妻子の事はお気になさらず、あなた様はお務めに専心なさいませ。」
「承知」
「江戸までは長旅、支度は私が整えておきます故、あなた様は少しでもお休み下さい。床は用意してございます。」
「済まぬがそうさせてもらおう。千勢、礼を申す。」
「武家の妻なれば当然の事。さあ、早くお休みなさいませ。」
突然の江戸行きに対して、千勢が狼狽えるのではないかという右近の懸念は見事に外れた。
千勢の立場からすれば、夜明け前に登城した夫が夜遅くにようやく帰って来たかと思えば、いきなり江戸行きを聞かされたのだ。
直ぐには現実を受け止められなくても不思議ではない。
ところが千勢は突然の事態をあっさりと受け入れるばかりか、夫である右近を励まし、送り出そうとしている。
『大したものよ・・・これではどちらが侍か分からぬではないか。じくじく迷うていた我が身を恥じ入らねばならぬ。』
右近はここぞという時に見せた妻の気丈さに心を打たれる。
『だがこれで心置きなく江戸表に赴く事が出来る。』
千勢の覚悟を目の当たりにした右近は、いよいよ決意を定めるのだった。
次回は3月19日(金)20時に公開予定です。




