魔女狩りのメシア⑪
ジュェンは目一杯の力で飛騨の顔を殴る。
少女の小さな拳は飛騨の左頬に大きなあざを作った。
殴られた側の口の中が切れて鉄の味が滲む。
痛みに耐え、歯を食いしばり、なおも飛騨は少女を真っ直ぐに見た。
絶体絶命の状態ですらも、飛騨は少女から目を逸らさなかった。
どんな苦痛にも己の信念を曲げるつもりなど無い。
その意思表示の如く、飛騨は厳しい眼で少女を見つめ続けた。
少女が再び拳を振り上げた時、今まで前髪で隠れていた彼女の瞳と目が合う。
その顔を見て、飛騨ははっと息を飲んだ。
初めてあいまみえた時から今まで、殺意と憎悪の血潮に濁っていたジュェンの瞳は、一転して哀しみに染まり、深い水底に沈んだ。
両の目から大粒の涙がとめどなく溢れ、ぽたぽたと飛騨の制服を濡らしていった。
涙と共に抑えきれなくなったジュェンの感情が、喉の奥から震えた声となって溢れ出す。
「……あたしがッ!
あたしの家族が何をしたっていうんだ!
あたしたちの住んでた、ただの田舎町が一体何をしたっていうんだ!
なんであんな目に合わなきゃいけなかったんだ!!
父さんも、母さんも、兄弟たちだって、なんにも悪い事なんてしちゃいない!
なのに……なのに……みんな、洪水に流されて死んじゃった……!
お前が奪ったんだ!!
全部、あたしから何もかも、全部!
お前さえいなければ、あたしたちはあの町で、ずっと平和に暮らしていたのに……!!」
悲鳴のように泣きわめきながら拳を振り下ろす。
彼女の小さな拳は、振り下ろす度、徐々に飛騨の血で朱く汚れていった。
泣き叫んでいる少女の言葉は彼女の母国語で、飛騨には少女が何を言っているのか理解することはできなかった。
何を言っているのか、わからない。
なぜ、少女は泣いているのか。
わからない。
何も、わからない。
薄れゆく意識の中、飛騨は自問する。
彼女がなぜここまで魔女を、飛騨を憎むのか。
こんな年端も行かない少女が、破壊と殺戮を繰り返すテロリストとなった理由も。
その理由が、自分の犯した大罪なのかどうかも。
飛騨が今、ここで死んだとして、世界の何がどう変わるのかも。
そして自身が感じているこの胸の痛みが、刺し傷の痛みなのか、彼女の心の痛みが伝番したものなのかすらも。
わからない。
流されるままに無に飲まれそうになっていた飛騨の意識を取り戻したのは、聞きなれた声が飛騨を呼んだからだった。
「川崎さん?!……飛騨?!」
「飛騨ッ!!」
自分の名前を呼ぶ二人の男の大きな叫び声が廊下に響き渡った。
薄っすらとぼやける飛騨に視界に、気絶した川崎を抱き起しながらこちらを見ている二人の男。
顔や制服のあちこちが煤で汚れた震田と午雷の姿だった。
突如背後から聞こえた二人の男の声に、飛騨を殴打していたジュェンも気を取られ、手が止まる。
飛騨はその隙を見逃さなかった。
痺れる右腕を強引に動かし、自身の胸に突き立てられたナイフを引き抜き、少女の脇腹を刺す。
だがジュェンの反応の方が一瞬早かった。
咄嗟に後ろに下がり攻撃をかわそうとしたが間に合わず、左太ももの外側にナイフが深く刺さる。
「…………ッ!!!」
ジュェンは声にならない悲鳴を上げる。
懸命に痛みを堪えながら、次に来るかもしれない攻撃から身を守る為に、少女は魔法で身を隠した。
それと同時に飛騨の腹の上から少女の体重の重みが消える。
「飛騨?!大丈夫か!!」
震田が飛騨の元へ駆け寄ってくる。
後方に残った午雷は、倒れた川崎の脈を取り、止血作業を行っているのが見えた。
「……今の……魔女が……テロリストだ……」
仰向けに倒れたまま、吐血しながら飛騨は震田に告げる。
ジュェンの左胸への一撃は、どうやら肋骨の先、内臓にまで達していたようだ。
それを無理矢理引き抜いた為に、肺や腑まで傷をつけてしまったらしい。
内から込み上げる嘔気は、胃の中身と内から湧き出す鮮血の全てを吐き出さんとしている。
「今の女が、魔女で、テロリスト?
……わかった。
事情は大体わかったから、今は大人しくしてろ!」
駆けつけた震田はすぐに仰向けだった飛騨の体を横にさせ、吐血による誤嚥を防ぐ。
なおも飛騨は苦しそうに咳込み、床に赤い染みを作っていく。
震田は飛騨の外套を外し、左胸以外に大きな傷がないかを確認しながら、瀕死の親友を励ます。
「安心しろ!今すぐに応援が来るからな!
それにさっきの女は、お前の一撃で重傷を負った!
もう、この状況では襲ってこれない筈だ!」
大きな声で喋っている筈の震田の声が、だんだんと小さく遠くに聞こえてくる。
ぼやけた視界はさらに霞み、目を開けていることもままならない。
息を吸っただけで、内臓からの出血でむせ返る。
指先からどんどん冷たくなって、体温が奪われ感覚が無くなっていくのは、激しい失血のせいだろうか。
薄れゆく意識の中。
飛騨の瞼の裏にこびりついて離れないのは、魔女狩りのメシアを名乗る少女の泣き叫ぶ姿。
怒りと憎しみ、哀しみが入り混じった彼女の声が、耳に反響してやまなかった。




