魔女狩りのメシア⑦
そう言った川崎は、ふと自身の体の違和感に気付く。
「え……」
唐突に湧いたその違和感は、川崎が認識した瞬間、違和感から激しい熱と痛みに変わる。
苦悶の表情を浮かべ、川崎はその場に倒れる。
「川崎?!」
飛騨が倒れた川崎を抱き起すと、彼女の左腹部から大量の出血があることに気付く。
慎重に抱きかかえた彼女の背中を探ると、背中に何か、果物ナイフ程度の大きさの物で刺された痕がある。
一体いつ、何があった?
周りに彼女の体を傷つけそうな物は見当たらない。
川崎はずっと飛騨の傍に居た。
不審な何者かが近づけば、すぐにわかりそうなものだ。
飛騨は川崎の上体を支えながら、周囲の様子を伺う。
「……中将、私には構わず……早くお逃げ下さい……」
酷く辛そうなか細い声で川崎が飛騨に告げた。
川崎を襲ったテロリストが付近に潜伏している可能性がある。
それに階下から昇り来る煙の量も増してきている。
唯の補佐官に過ぎない自分はどうなってもいい。
国を護る力と心を持つ敬愛すべき上司を、なんとしてでも彼だけは助けなければ。
薄れゆく意識の中、飛騨の身を案じる。
川崎の顔は青く、脂汗がとめどなく流れ落ちている。
「馬鹿を言うな!お前をこんな所に置いて行けるか!」
飛騨が喝を入れるも、川崎は力無く項垂れ、気を失った。
彼女の上体を支える飛騨の右手に、川崎の体重が重くのしかかる。
その様子に飛騨は、もしやと肝を冷やしたが、川崎がまだ細い呼吸をしていることを確認し、気絶しただけと分かり安堵する。
しかし、こんな所でのんびりしている暇はない。
一刻も早く彼女の怪我の治療をせねば、命に関わるかもしれない。
川崎を避難させるべく抱きかかえようと、飛騨は跪く。
この時。
飛騨は微かな場の変化に気付いた。
一瞬とも言える短い時間に、ごく微かな何者かの気配が垣間みえる。
物音もせず、人の姿こそ見えないものの、この場には隠し切れない程に強い殺意と憎悪が満ちているのを感じた。
飛騨は精神集中し、聞こえてくる全ての音に耳を澄まし、見えるもの全てを視界に捉えようと視線を運び、感じる全ての気配を探る。
川崎が気を失ってから十秒ほどたった頃だろうか。
飛騨の背後、微かに動く何かの気配を感じた。
飛騨は振り返ると同時に籠手に包まれた右手を盾に、左手は刀の鍔に指をかける。
振り返った瞬間、飛騨の右腕に強い圧がかかる。
突然露わになった人の姿と、滝のように溢れ出る殺意。
それは渾身のナイフの一撃として、激しい金属音をたてて飛騨の右腕を襲った。
飛騨は軋む右腕の痛みを堪え、ナイフの重力を外側へと逸らすべく角度を変えていく。
小さな火花を放ちながらナイフは手の甲側へと受け流されていくのを察した襲撃者は、飛騨の籠手と鎬を削るナイフを持つ右手と反対の左手を地面に着き、その反動を使い、猫のように宙を翻り、体制を立て直す。
「なんだと?!」
態勢を立て直した直後、襲撃者の姿は消える。
突如、飛騨の目の前から忽然と消えた襲撃者。
手品師の使うカードやコインのように、比喩でもなんでもなく、その場から『消えた』のである。
しかし、先ほど飛騨が感じた場の変化は変わらない。
誰かに見張られているような僅かな気配と、強い殺意。
刀の鍔にかけた親指に力が入る。
腰に下げた刀を身に引き寄せ、鞘から鍔を指で押し出した刀身が小さく光を反射する。
『消えた』襲撃者に対し、飛騨は右手を柄にかけ、抜刀の構えを取る。
しばしの沈黙の後、突如、先程の襲撃者が姿を現す。
今度は飛騨より五メートルほど離れた所から何かを投げつけ、そして再び消えた。
瞬時に反応した飛騨は抜刀し、神風を放つ。
襲撃者が投射した物体は風に砕かれ、飛散した。
ガチャガチャと音を立てながら破片は地に落ちる。
「火炎瓶?」
神風が砕いたのは、液体の入った瓶のようだった。
鼻をつく液体の匂いから察するに、中身は灯油だろうか。
幸い瓶の口につけられた火種は神風にかき消され、火災には至らなかった。
灯油に火炎瓶。
ということは、今回の一連の火災の原因を作ったのはこの人間だろうか。
一人で?
それとも仲間がいるのか?
などと飛騨が考えつつ、次の攻撃に備え構えていると、飛騨から十メートル程度、充分に距離を取った場所に襲撃者は姿を現す。
だが今回は攻撃する素振りは無く、ただ飛騨を憎悪に濁る瞳で見つめていた。
襲撃者は自身の逸る気持ちを押さえるように深呼吸してから、地を這うような低い、憎しみの籠った声で言葉を紡いだ。
「……やっと見つけた」
飛騨には聞き慣れぬ言語だった。
「中国語?……いや、大陸系だが、中国語とは少し違うな」
襲撃者は襲って来る様子が無い。
警戒し構えながらも、飛騨は襲撃者を観察する。
健康的に日に焼けた肌に、左右の肩口で束ねた黒髪、Tシャツとレギンスにスニーカー。
十代後半といった年頃の少女だった。
彼女は変わった形の、鶏の爪のようなナイフを両手に握りしめていた。
これが先程、川崎を刺突し、飛騨に襲いかかった凶器だろうか。
そして何よりも目を惹くのは。
亀甲のような模様の入った白い大きな布を胸元で結い、マントのように少女が背に纏っていること。
本来真っ白だったのであろう布は、下部へ行くにつれ鮮血に染められ赤茶色く染まっていた。
ところどころ切れてほつれた質素な白のマントは、飛騨の黒地に金刺繍の優美な外套と、実に対照的な存在だった。




