赤の王⑨
日本海に迫る上空まで来た所で、八咫烏たちは隼翔を追えなくなり、カラスの姿に戻っていってしまった。
だが、日本の領海には日本空軍がすでに待機しており、八咫烏の代わりとばかりに領空侵犯してきた中国機に攻撃を開始する。
その交戦の間をすり抜けて隼翔は日本海へと降りて行く。
浜辺にぎりぎりまで近付きパラシュートを開く。
なるべく衝撃の少なくなるよう減速し海へ胴体着陸する。
完全に停止したことを確認し、隼翔はやっと操縦桿から手を離した。
そして心からの一息を、ため息をついた。
気が抜けてぼーっとしている隼翔に、膝の上からエリーが話かける。
「ねえ、グリズリー。
どうして海に降りたの?」
もう目の前が陸だというのに、何故わざわざ海に胴体着陸したのかと、エリーは尋ねた。
隼翔は至極面倒くさそうに答える。
「平らで広い中国と違って、日本は山ばっかりで狭いんだよ」
ああ、やっと終わったのだ。
この無謀な作戦が。
瑞岐たちが無事に帰ってくるまで気は抜けないが、隼翔にできることは全て終わった。
隼翔の体から力という力が抜ける。
空軍の航空機の発着の音を遠くに聞きながら一言、呟いた。
「疲れた……」
その三日後、瑞岐たちはロシア経由の来た時と同じルートを辿って帰国した。
ロシアのウラジオストクまで瑞岐たちを送り届けた張は、涙を浮かべて感謝を述べた。
『この恩は決して忘れない。
中国人は、受けた恩は決して忘れない』
そう言って瑞岐たちを見送ったのだった。
張は心から願っていた。
魔女の歌の呪縛から、国民が解放されることを。
歌の麻薬を断ってからしばらくは禁断症状に苦しめられるだろうが、諦めず皆の目が醒めることを願った。
そして予想通り、まもなくして中国国内は混乱を極めた。
次々と歌の中毒者が禁断症状を起こし、狂って死んでいく。
事情を知らぬ民は、これを謎の奇病として恐れた。
特に王に良いように操られていた人民軍の軍人たちは悲惨だった。
内部から崩れた人民軍は日本への攻撃どころでは無くなった。
中国が、人民軍が魔女の歌の副作用から立ち直るのには半年以上の月日を要した。
それは純粋に帝江の歌の呪縛に囚われた者が死んだ事に加え、奇病を治す薬が開発されたことによる。
薬とは、帝江の歌の作用を一番理解していた王浩然が主導となり開発した『特効薬』。
梨花の歌が作用する脳内物質をコントロールするものであり、薬とは名ばかりの合成麻薬に過ぎなかった。
この特効薬と共に、ワクチンと称して少量から徐々にこの合成麻薬を摂取させていくよう取り計らい、
王は梨花を失っても、梨花の歌と同じ薬効の薬を供給することによって、歌と等価の効果を得ることに成功した。
魔女の魔法による中毒では無く、国民を本物の麻薬漬けにすることになった。
当初、薬の成分を調べた医師が、王を非難したが、その医師に未来は来なかった。
特効薬の事実を公にすれば、直ちにその者の家族縁者全てが投獄、処刑される。
徐々に人々は口を噤み、事実は捩曲がっていった。
王は手段を選ばなかった。
帝江という、自身の最大の武器を失ったことによる怒りで、王の中にある微かな良心はかき消えた。
帝江の暗殺に、王が怒らぬ訳などなかった。
怒り狂った王は、梨花の死を知った後、真っ先に帝江襲撃事件の詳細を洗った。
市中の監視カメラが捉えたJ-31の映像を分析し、ステルス戦闘機を保管していた武警の人間から紐づけ、張宇豪を始めとした反王派を次々と炙り出した。
そして彼らを北京市街への攻撃など、日本と通じ中華の安寧を壊した罪人として……国家転覆を図った大罪人として罰した。
また王に対して肯定的ではなかった現政権中枢の人間の殆どを、先日の襲撃に関与した罪を着せ国政から追いやった。
帝江暗殺をきっかけに、王浩然に否定的な者は全て国家転覆の汚名を着せ粛清するという非情な手段を用い、王は中華人民共和国の事実上のトップへと成り上がっていった。
張たち反王派も襲撃直後は勢いを増し、王排斥を目指した。
まず王の情報統制力を削ぎ、自分たちに有利な世論を造り出すつもりだったが、叶わなかった。
反王派の最大の誤算は、王から帝江を奪っても王の力が衰えなかったこと。
中国マフィアのトップとして君臨し続けた、王浩然自身の実力を見誤っていたことであろうか。
魔女は王の力の根源ではなく、ただの一部に過ぎなかった。
そしてこの間、中国国内が荒れていた時分。
中国からの日本への攻撃は止み、一時の平穏を得たかに見えた。
だが、それも王が特効薬を開発、供給するまでの間、約半年。
日本側から和睦の外交を求めたが、王の手により阻止されたことは言うまでもない。
八咫烏の化けた零式艦上戦闘機を大々的に報道し、帝江……いや北京襲撃に大きく関与した日本とは、和平など以ての外。
中国内はこの世論に染まった。
中国の秩序は完全に王の手の内となった。
隼翔や瑞岐たちが張宇豪の処刑を知ったのも、同じく帝江襲撃より約半年後のことである。
ダークロウとライトカオスをめざしてみました




