068 赤の王②
帝江討伐の一行は、佐世保からまず北海道に向かった。
千歳の空軍基地から特別航空輸送隊の協力で、空からロシア極東の都・ウラジオストクに飛んだ。
日本と中国の抗争に沈黙を貫いているロシア政府には、勿論別名目の要件での航空機運用と連絡している。
航空機から降りてからは、観光客を装いタクシーで市街に出る。
タクシーの運転手にはジョンが英語でやり取りをしていたので、英語圏のどこかからの観光客だと思ってもらえただろう。
日中、アメリカ大陸の戦いが激化している時世故、物珍しがられたが、蚊帳の外であるロシアの国民は呑気なものだった。
タクシーを降りると、視界に広がるのは見慣れぬ西洋建築。
そしてよく晴れた空と、凍えるように冷たい風にさらされた。
「三月になったとは言え、流石にロシアの寒さは堪えるね」
真冬の横須賀よりずっと寒い北国の気候に、グレーのニット帽を深く被った瑞岐の鼻先が赤くなる。
少しでも冷気の侵入を拒もうと、カーキ色のロングダウンの端を押さえるが、空しい抵抗だった。
「そうね。ロンドンの冬だって、もう少し暖かいわ」
白いミンクのコートに帽子といった出で立ちのエリー王女は、隣に居るボディガードのジョンとお揃いの防寒着だ。
勿論、素材のランクとしては、かなりの差があるようだが。
そんな三人の後ろで盛大にくしゃみをかます者が居た。
くしゃみの主は鼻をすすりながら悪態をつく。
「……たく、なんでオレがこんなトコに……」
三人は揃って振り返る。
体格のいい男が腕を組んで震えている。
急なロシア遠征に、まともな防寒着も用意出来なかったのか。
白と黒のスカジャンにネックウォーマーといういで立ちは、この気温では大変寒そうだ。
「おい、早いとこ暖かい所、行こーぜ」
鼻をたらした隼翔が皆を急かす。
「このままじゃオレ風邪ひくぞ」
「大丈夫だよ、ハヤト。バカは風邪をひかないっていうし」
「誰がバカだ」
隼翔は組んだままの腕で、瑞岐の頭を肘で小突く。
よろめく瑞岐の横からエリーが隼翔の顔を覗き込む。
「あら、ロシアに来れて嬉しくないの、グリズリー?
ここにはあなたのお仲間がたくさんいらしてよ?」
「誰が熊だ」
相変わらずエリーは隼翔の事をヒグマ扱いである。
熊のような腕力で王女の襟首を掴み、猫の様に軽々と持ち上げると、慌ててジョンが駆け寄る。
王女を片手でぷらぷらと揺らしながら瑞岐に問う。
「で?なんでお前らの子守がオレなんだよ」
「僕とエリーに面識があるパイロットが必要らしいんだよ。適任じゃないか」
さらりと言ってのける瑞岐は悪びれる素振りもない。
唐突に佐世保から北海道、ロシア、そして中国に連れ回しておいてこの態度。
隼翔は王女を適当に放り、生意気な年下の上官を睨む。
先日の会議の内容を知らない隼翔は、ざっくりとしか作戦を聞かされていない。
「大体なぁー。この面子で敵陣突入だぁ?修学旅行の間違いだろ」
これ見よがしに大きくため息をつく。
今に始まった事ではないが、今度はどんな無茶を押し付ける気なのか。
「僕らだけじゃないぞ。もう一人、空軍の人が来てくれる」
「あと、中国人の協力者たちも居るわよ!」
子供たちに諭されるが、端から見たら完全に観光客にしか見えない集団である。
まあ、軍人に見えたらいけない訳なのだが。
その為、今回は軍服も飛行スーツも武器の類も持って来ていない。
中国側が全て用意してくれるとのことだが、それにしたって交戦中の敵国内で丸腰は落ち着かない。
隼翔たちの話の最中、ジョンだけは会話の輪に入らず、しきりに辺りの様子を覗い、時折腕時計で時間を確認していた。
「……Crow Mancer」
「なんですか?ジョンさん」
呼びかけられて瑞岐は振り返る。
「定刻になりましたが、もう一人の日本人がまだ到着していないようですが」
ジョンの言う日本人は、先程瑞岐の言っていた『空軍の人』を差しているのだろう。
「……あれ、おかしいな。その人は先にロシア入りしてるって聞いたんだけど」
瑞岐は首を傾げる。
その頭の上から顔を出し、隼翔が会話に混ざってきた。
「そういやそれ、誰だよ。海軍の奴じゃねーんだろ?」
「ん?ああ、僕も会った事は無いんだけど、空軍の元パイロットで今は管制官なんだって。
大ベテランで、実力は赤城閣下も認めるような人だよ」
「赤城がぁ?嫌な予感しかしねーぞ」
能力はともかく、今まで赤城の推薦に普通の人間が居た試しがないのだが。
露骨に嫌な顔をする隼翔に小言でも言ってやろうと、瑞岐が彼の方に向き直ると、その背後の遥か後方に動くものを視界の端に捕らえた。
それは土煙を上げ、猛スピードでこちらに向かって来る。
「○◇△□~」
同時に何か聞こえた。
それに真っ先に反応したのは、エリーだった。
「今、何か、子羊を絞め殺した時のような声が聞こえたわよ」
「知らねーよ、どんな声だよ、そりゃあ」
エリーと隼翔が話していると、今度ははっきりと聞こえた。
子羊を絞め殺した時のような声が、自分たちの名前を呼ぶのを。
「隼翔ちゃ~ん!瑞岐ちゃ~ん!!」
瑞岐の視界に映る影がどんどん近付いてくる。
近付いてくるというよりは、むしろ特攻してきた。
日々、綾小路兄弟のタックルから逃れて来た二人は、第六感で察知し、それを華麗に避ける。
ゴン!!という鈍い音が響き渡った。
特攻してきた物体は、ロシアの冷え切った石畳に激しく頭から突っ込んでいた。
が、すぐさま起き上がった。
「やるじゃない。アタシのハグを避けるだなんて」
額と鼻から流血しながら、負け惜しみを言ってのける。
紫色の派手なローブのような衣装の埃を払いながら立ち上がり、勢いよく皆に振り返った。
「初めまして。アタシ、空軍所属の高崎 薫。
アンタたちのボスの赤城から頼まれて来てやったわよ!」
中世の宣教師のようなひだ襟に鼻血を滴らせながら叫ぶ。
何故叫ぶ。
隼翔たちは怪訝な表情を隠しもしない。
「…………このテンションぶち壊れたジジイが?」
不快感をもろに顔と声に出して隼翔が指さして瑞岐に問う。
「ジジイってナニよ!アタシャまだ花も恥じらう五十四歳よ!!」
不毛地帯となった頭部に唯一残ったオアシスが、文字通り怒髪天を突く。
「音外したリコーダーみてぇな声で叫ぶな、ジジイ」
喋りながら声が三オクターブほど上がって行く高崎の声に、隼翔は耳を塞ぐ。
しばらく呆気に取られていた瑞岐も、苦々し気に先程の隼翔の質問に答える。
「…………うん、まあ、あの赤城閣下の事だから、人格はともかく能力は確かだろうから……」
「いや、明らかに人選ミスだろ。隠密行動だぞ、今回は」
「sssiッッ失敬ねッッッ!!!」
「……あー……み、Ms?Mr.タカサキ?」
エリーが高崎の敬称に迷っていると、高崎の眼光がギラリと輝く。
「何かしら王女サマ?アタシのことはカオルちゃんて呼んで頂戴な!」
エリーに呼ばれた高崎は高速で回転しながら、王女の御前に移動し、彼女の目線にあわせて腰を落とす。
他国の王族に敬意を払う最低限の常識はあるのだろうか。
あるのだろうか?
「……日本みたいな孤立した島国で育つと、頭のおかしい人間になるのかしら」
生ゴミを見るような目でエリーは呟く。
スピンし続ける高崎を放置し、隼翔が変わりに答える。
「いや、その言葉そっくり全部お前んとこに返すわ」
気を取り直して、エリーは恐る恐る高崎に尋ねる。
「あなた本当に軍人なの?」
頭のてっぺんから爪先まで軍人たり得る要素が皆無の高崎だ。
エリーが、いやこの場にいる全員が疑問に思うのも無理はない。
「んまー!ひどいわね!!
これでもパイロット現役時代は隼翔ちゃん並みにブイブイ言わせてたのよ!!!」
人生で初めて下の名前をちゃん付けで呼ばれた隼翔は、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「た、高崎さん、こんな所でこういう事を話すのはよくないよ。場所を移そう」
業を煮やした瑞岐が割って入る。
「カオルちゃんて呼んで頂戴な!」
「……か、薫……さん」
もごもごと言い辛そうに呼び直してあげる。
瑞岐の優しさというよりは、言う通りにしないと面倒だからだ。
「ふん、まあいいわ。じゃあ中国のお使いの所に行こうじゃないの。
そろそろ車で迎えに来てくれる筈よ」
高崎は英国と日本政府から伝えられた通り、中国反王派の協力者と連絡を取り合い、待ち合わせの手配を済ませていた。
この後、一行はロシアと中国の長い長い国境を車で越える事になる。
セリフだけで個性を出そうとするとこういうことになるよね。




