059 滅びた街の失われた信仰
かつて肥沃な密林が広がっていたこの大地。
あれほど豊かに生い茂っていた草木は枯れ果て、雄大な河川は赤黒く濁る毒の海と化した。
灰色の砂漠の上で、薄汚れたの雲に覆われた空を眺め、彼は溜め息を吐く。
ほんの一年ほど前の戦争で、この一帯は死の大地と化した。
南下して来た中米マフィアの大軍勢に対抗するも、時の政府と国軍は為す術無く敗れた。
蝗の群れに焼き払われた美しい街並み、自然、歴史、死の大地と化した彼の故郷。
生き延びた者の多くは余所へ逃げるか、マフィアの軍門に降った。
そして死の大地から逃れる術を持たなかった弱き者たちがここに留まり、小さな集落を作り、身を寄せ合い細々と暮らしていた。
その多くは戦災孤児と老人である。
青年自身は他国へ亡命する宛ても財力も持っていた。
しかし、それでも彼はこの地に留まり、集落の弱者と共に生きる道を選んだ。
力を持たぬ彼らに救いの手を。
街の教会に従事していた青年は、今まで培ってきた多くの知識や知恵を与え、そして自らも働き集落の者たちの生命を守ってきた。
エドアルド神父。
集落の人々は彼をそう呼ぶ。
質素な麻の黒衣。
街の教会が健在だった頃から大切にしてきた一張羅だ。
対象的に胸に下げたロザリオだけは豪奢な銀製の細工品で、それだけはこの死の世界に似つかわしくない代物であった。
「さて、今日の分はこんなものだろうか」
大きな籠いっぱいに収穫したトウモロコシを両腕で抱え上げる。
エドアルドは皆の待つ集落への帰路に着いた。
草木の一切育たぬこの街で最も不自然な一帯、教会の墓地だった場所に造られた小さなトウモロコシ畑。
いや、畑というよりもさらに小規模な。
このトウモロコシは集落に生きる人々の糧。
もっと豊かな農園を造りたいのは山々だが、自分一人で面倒を見るのはこの広さが限界だ。
不毛の砂漠に酸の雨が降るこの地でも実る、黄金色の恵みはエドアルド神父の魔法の才であった。
『慈悲深く信仰心に厚い神父様に、神様が力をお与え下さった』
集落の者は皆口々にそう言って、エドアルドを崇めた。
彼だけが死の大地に奇跡の実りをもたらす。
稀に他国から仕入れてくる食料を除いて、ここに住む者たちが食べる物は、このトウモロコシだけだった。
収穫したてのトウモロコシが、エドアルドの動きに合わせて葉や茎が擦れ甘い香りを振りまく。
これを使って、長年キッチンに立っていた奥様方が、様々なレシピで色んな料理に変えてくれる。
それを間近で教わり、手伝っている子どもたち。
絶望の地での僅かな希望の光。
今日は一体どんな料理を作ってくれるのだろう。
そんなことを考えながら、集落に向かって歩を進める若き神父は、途中見慣れぬ人影に気付き足を止める。
廃墟と化した家屋だったものに背をもたれて立っていたその人物は、エドアルドに近付いてきて笑みを浮かべる。
「今日の分の『墓荒らし』は終わったのかい?神父様」
軽い口調で手をヒラヒラと振る、褐色の肌に黒い巻き髪の美女。
アメリカ訛りのスペイン語で彼女は神父に語りかけた。
「貴女は……。」
エドアルドは彼女のことをよく知っていた。
常にと言っても差し支えない程に穏やかな彼の表情は、彼女を視界に留めた瞬間、隠せぬ憎悪を瞳に映す。
「何の用でしょうか?『No Life』」
光を湛える緑眼、忘れもしない。
彼の故郷たるこの街を焼いた、マフィアの幹部。
生死の因果を消した不死の魔女。
「水くさいな、エド。前から言ってるだろう?私のことはエンジェルと呼んでくれよ」
神父の態度に臆すること無く、エンジェルは肩をすくめ、さらに歩み寄る。
それを拒むようにエドアルドは一歩下がり、厳しい声色で彼女に訴える。
「私は神に仕える身てす。貴女のような方を冗談でも『天使様』などと呼ぶことはできない」
「そうかい?神の力を授かって生まれた私は『天使様』を名乗るに相応しいと思うんだがな。終末のラッパを鳴らす天使様さ。お前自身も目にして来ただろう?」
エドアルドの態度に一切怯むこと無くエンジェルは彼に詰め寄り、両手を大きく広げ戯けて見せる。
コケティッシュなオーバーアクションとは裏腹に、語尾と瞳には底知れぬ闇を映した。
カトリックの信徒であるエドアルドに対し、ヨハネの黙示録に擬えて、この街を焼いたことを笑い飛ばす。
「用事が無いのであれば、私は行きます。集落の者が待っている」
神父は少々たじろぐもすぐに平静を装い、彼女をすり抜けて歩き出そうとする。
エンジェルはくっと小さく笑った。
「わかってないな、お前は。私とお前の立場ってやつを」
急にぐっとトーンを下げた女の声が、エドアルドの動きを止める。
「お前は私に『見逃されている』んだよ。今すぐお前を力で捻じ伏せることもできる。お前が大切にしている集落もろとも消すこともな」
エドアルドが振り返ると、射貫くような緑の瞳が彼に狙いを定めていた。
「お前の能力は私たち組織に取って有効だ。しかし害になることは無い。だから最低限の取引で『見逃してやっている』。私とお前は対等では無いんだよ。それを忘れるな」
蛇に睨まれた蛙の気持ちとは、こういうものなのだろうか。
いや、彼女は如何なる毒蛇よりも恐ろしい悪龍。
彼女の毒牙に罹れば、自らの身体どころか国や大地すら死に至る。
「では、何故今日はここに?今月分の取引は済んでいるはずです。それに……今、貴女方はアメリカと抗戦中なのでは?アメリカ相手に余裕があるのですか?」
湧き出る恐怖や憎悪を押さえつけるように、神父は話題を逸らした。
昨日、隣国から物資を仕入れた時に知人から聞いた情報。
カリブ海で繰り返される戦乱とは別に、今回は太平洋側へとペルー沿岸から進軍を開始したと聞いた。
彼女らの組織に奪われた祖国の海軍港だろう。
今まで西海岸沿いへの攻撃はそれほど多くはなかったというのに、今回ばかりは大軍勢を引き連れて大戦の構えだという。
「ああ、私たちにとっちゃ今回の殴り合いは別に勝ち負けなんてどうでもいいんだよ。いろんなところを突いて隠れた魔女を炙り出すのが目的だ」
先程の低い声色と打って変わって、いつもの軽口を叩く調子でエンジェルは返事をした。
「それからエド。私が今日わざわざお前に会いに来たのは、そう。『三顧の礼』って奴だな」
「……なんですか?それは」
「最近中国人の知り合いが出来てね。教えて貰ったんだよ。中国の故事で、味方に引き入れたい奴の所には、断られても断られても何度も通えってな」
だが、毅然とエドアルドは首を横に振る。
「何度誘われても、脅されようとも、私は貴女たちと歩む気はありません」
「『反社会的組織に与するくらいならば死を選ぶ』か」
以前この男から言われた台詞を、エンジェルは口にする。
「まあ、せっかくのウィザード様を見つけて手に入れても、死なれたらどうにもならないわな。
おまけにお前は頭が堅い。
人質を取って脅しても、その前に自殺しちまいそうだ。
お前を死なない程度に痛めつけて攫ったところで、本人に使う意思が無きゃ魔法は発動しない。
使い道は限られちまう。
穏便に仲間になって貰いたいだけなんだがなぁ」
野蛮な話を、ごくごく軽い口調で言ってのける。
エドアルドは極力彼女と目を合わせぬよう、顔を背ける。
彼なりの静かな反抗だ。
「私には理解出来ません。
私の力は貴女たちの求める破壊や暴力の足しにはならない。
ならば何故、そこまで私に固執するのか」
収穫したトウモロコシに視線を落とし、エドアルド神父は疑問を口にする。
死した大地に僅かな実りをもたらす己の能力は、飢餓に苦しんでいる訳でもない彼女の組織に必要があるのか?
その答えに、天使を名乗る女は両手を大きく広げ、笑みを湛える。
「私たちが灯す戦火に焼かれた大地は死んでいく。
そう、ここみたいにな。
やがてこの世界はお前のような力を欲する。
死の世界で生きて行く力、それを持っている人間は神に選ばれし者だ。
真なる千年王国の民に、お前は選ばれたんだよ」
「……千年王国……?」
エンジェル。
彼女の描く未来を垣間見た神父は、常に懐に在る聖書の教えを思い出す。
黙示録の終末の果てに、神に選ばれし者のみが生きることを許された王国。
彼女が神に仕える天使、民を選ぶ側だとでも?
穏やかなエドアルドの顔に、怒りが現れる。
「これ以上神の教えを曲解し、神を愚弄するのはお止めなさい。
貴女は人間でも無ければ天使でも無い」
この女の望む未来は、この世界の死なのか?
それとも……。
「貴女は、悪魔だ」
吐き捨てるように言い切ると、神父は立ち去るべく歩を進めた。
エンジェルはそれを横目に捕らえ、なおも語る。
「神の教え、ね。
じゃあ、お前の信じる神は、お前を救ったか?」
女はエドアルドの背中に問いかける。
「お前の力。それはお前の想う神の救いか?」
少し大きな風が吹き、籠のトウモロコシの葉が揺れる。
同時に、神父の胸元で銀のロザリオが寂し気に光を反射した。
「『死者の躰に生える玉蜀黍』で弱者を養うことが神の教えか?
神父様のお恵み下さるトウモロコシが、死んでいった仲間の体から生まれた物だと、そいつらは知っているのかい?」
エドアルドの力、それは聖書のどこにも記されていない奇跡。
中世の時代、祖先の都を侵略した神の信徒たちは、疫病の災いをもたらした。
災いから逃れる為、祖先らは侵略者の称える神に救いを求めた。
築き上げてきた文明は滅び、土地で信じられていた信仰は消えた。
そして現在。
再びこの地を神の使いを名乗る者に全てを奪われた。
街の人々は皆、死の恐怖からの救いを求めて教会に駆け込んだ。
しかし、偶像も十字架も、彼らに何も与えず焼け落ちていくだけであった。
此度の救いをもたらしたのは、忘れられた時代の、亡くした信仰だったのか?
神父に宿った力は、かつての都で語られた古の神の奇跡に似ていた。
ロザリオを掲げた侵略者たちが邪悪なる神と蔑んだ、伝承の存在に。
神父は一瞬足を止めかけるも、振り返ることなく再び歩き出した。
天使を名乗る女は、構わず語り続けた。
「弱者を救うという行為はどんな酒よりも自分に酔える。
お前は陳腐で高慢なエゴイストなんだよ。
そのトウモロコシ、お前は食って無いんだろう?
……それが、答えなんじゃないのか?」
お久しブリーフ




