後日談
長老達の赦しが得られ結婚と契約の誓いを交わした私達はその日は里に留まり、これからの2人の将来について語り合う。
──君はこれから何かしたいことはある?
──家(新居)はどうしようか?
──子供は何人欲しい?
泳げはしないけれど、たまに里の端にある海を眺めに行こう―――等々。
未来について語り合っていると時間はあっという間に過ぎて去っており、何時の間にか夜が更けていた。
その日は離れていた時を惜しむように、温もりを確かめ合うようにして唯互いに抱きしめあって眠りについた。
そして翌日。
彼女の一度切りの帰郷となる家族や友人達との別れと結婚の報告を果たす為、共にミルテ村へと出発した。
村へ戻ると、レティシアの祖母であるデボラさんが「おかえり」と私達を暖かく迎え入れてくれる。
レティシアはそれに「ただいま」と答え抱擁を交わし合う。それが済むと、私はお邪魔しますと一言断りを入れてから彼女達の住む家の中へと共に入って行った。
居間でデボラさんの淹れてくれた紅茶を飲んで一息つき、状況が落ち着いてからデボラさんに大切な話がありますと切り出した。
私が人ではなく竜であること。そして、レティシアとこれからずっと私の故郷である竜の里で共に暮らし、そこからもう二度と里の外に出る事はないこと。里の場所を教えることは出来ないが、人には決して見つけることが出来ない場所にある事を暗に示し、話せる事は全て洗いざらい話した上で理解を求める。
「必ず幸せにします。ですから、レティシアさんとのこれからの事をお許し下さい」
最後にそう付け加えて頭を下げ、私の誠意を示した。
「おめでとう、レティシア。幸せになっておくれ。ブランさん、あんたもだよ」
デボラさんは孫が…レティシアが選んだことだからと、孫との永遠の別れになる事を全て承知した上で、私達の手を握り締め瞳に涙を浮かべながらも笑顔でそう祝福してくれる。
その言葉に私とレティシアは互いに微笑み合って、声を揃えて「ありがとうございます」とデボラさんへと御礼を述べた。
それから私達は一週間村に滞在し、他の村人達への挨拶にも回った。
今ある家族との最後の別れ。今後二度と会うことは叶わないと知りながらも村にいる間、特にデボラさんの前でのレティシアから笑顔が絶えることはなかった───最後の別れとなるその時までは。
そんな強がりを見せるような彼女の様子に私は思わず尋ねてしまう。
「無理はしていないかい?」
「……思い出だけは残るから。泣き顔や悲しい顔なんかより、笑顔で過ごした日々を祖母には残したいの。二度と会うことは叶わなくても、共に過ごした記憶や絆は決して消えることはないから」
残された僅かな時間を惜しみながらも何時もと変わらぬ日々を過ごそうとする彼女の強さに、その明るい笑顔を曇らせることのないように、傍で彼女を支えていこうと思う。
村に滞在して最後となる前日の夜に、レティシアも晩酌に付き合いデボラさんと酒を酌み交わす。
蟒蛇で普段はお酒に強いデボラさんではあったが、その日は珍しく早々に酔い潰れてしまい、酔い潰れたデボラさんを部屋へと運ぶことになってしまう。
デボラさんを部屋へと運んでベッドに寝かしつけるまでの間に、彼女の口からは何度も譫言のように「幸せにおなり」という言葉が漏れた。
私はデボラさんに向かって「必ず幸せにします」と囁き、部屋の扉を静かに閉めた。
食卓に戻るとレティシアが後片付けをしていたので、私も手伝い直ぐに終わらせる。
片付けの済んだ私達は明日は出発なので今日はもう寝ようと床に就いた。
そしてその日の深夜、レティシアは月明かりに照らされた村の様子を眺めるように窓辺に立ち、声を押し殺すように静かに涙を流して泣いていた。
それに気が付いた私はベッドから身を起こして彼女の傍へと行き、後ろから包み込むように優しく彼女を抱き締める。その頬を伝う涙を掬い取るように何度も頬へと口付けを落としながら、彼女が泣き止むまでずっとそうして寄り添った。
そうして明くる日。とうとう最後の別れの日が訪れる。
レティシアとデボラさんは互いに涙を流して最後の抱擁を交わす。
そんな二人の様子を見つめていると昨夜の事が思い起こされた。お互い口には出しはしないが、やはり寂しいのだろう。だから―――
「まだ先には困難があると思いますが、新しい家族としてこれからも彼女の笑顔が絶やされることの無きよう必ず幸せにしてみせます」
後顧に憂いを残すことのなきよう安心して此方に預けて欲しいと思えるように真摯な想いを声と眼差しにのせて、デボラさんへと向けて再度誓いを立てた。
デボラさんは流していた涙を拭い、安堵したようにふんわりとした優しい笑みを浮かべる。
「レティシアの事を頼んだよ」
「任せて下さい」
そう力強く答えデボラさんと握手を交わす。
「いつまでも健やかにお過ごし下さい。そうすればきっと貴方の曾孫となる息子や娘が訪ねてくるかも知れませんよ」
「それは楽しみだね。これは長生きしなきゃならないねえ」
デボラさんへの手向けとなる言葉を残し、今度こそ最後の別れを済ました私達は、村を後にした。
里に戻った私は里にいる竜全員を集めると、レティシアを私の妻として紹介し、これから生涯この里の住人として共に暮らしていく事を皆に告げる。
里の者達は戸惑いを見せその場は一時騒然となった。好奇・嫌悪・嫉妬、嘲笑……様々な複雑な想いが絡み合った視線が私達へと注がれる。
居心地が良いとは言えない視線に晒される中でも彼女は物怖じすることなく皆へと挨拶した。
幸いにも子竜を始めとする若い竜達は直ぐに彼女に興味を示し、親しみを持って接してくれ打ち解けていく。
成竜の中でも特に年高の者は受け入れ難いようで遠巻きにされていたが、若い竜達の様子と彼女の裏表のない性格に触れ、長い時間をかけて次第に受け入れられ始めた。
その距離はまだあるものの、はじめよりは近い。その事に私は救われ、里の未来を想い安堵した。
彼女との触れ合いによって少しでも人間に親しみを感じ、この閉鎖的な里という檻から出て、もっと直で人間に触れ外の世界を知り種族という垣根を越えていって欲しいと願う。
しかし長老達や老竜の懸念も確かなので、子竜達に注意を促す事も忘れはしない。
無闇に正体を明かさないこと。本当に信の置ける者にだけなら構わないが、それ以外の者には決して明かさないことを。
全ての人間が彼女のようにはいかない。狡猾で我々を唯の素材としてだけしか見ていない人間達も外の世界には確かにいるのだから―――。
里に戻った私は直ぐに、彼女と共に暮らす新居を建設した。
人間用と、隣接して竜用の住まいの二棟を新たな住処とする。勿論、将来的なことも考えて部屋数は其れなりに用意した。
家にいる時は、同じ目線でより傍で彼女の存在を感じていたいから、普段は人の姿をとって生活している。
隣接している竜用の住処は、専ら来客用である。
新居を建設する際、始めは里の片隅の離れた場所にしようと思いはしたが、彼女と相談をして早く馴染む為にも里の竜達と触れ合える場所がいいとし、里の中心近くに建設した。
毎朝彼女と共に目を覚まし、挨拶と共に口付けと抱擁を交わす。何時までも離したくない気分にさせられるが、そんな訳にもいかず暫く柔らかな感触を堪能した後、抱擁を解く。
その後は、彼女の作った美味しい手料理を食べ、まだ里長として慣れないカリヴァーンの補佐としての仕事に就く。
竜の里は長年閉ざされている為、他にはない植物が自生している。
また、竜は長き生により多くの知識を兼ね備えた博識者である。人間が遠く昔に忘れ去った知識すらも忘れず受け継がれている。里には治療医師的役割を持つ竜もいる。
レティシアは、人間だけでなく竜も癒せる薬師になりたいと、里の竜に師事をして知識を学んでいる。
将来的に子供を産んだ場合にも必要になるからと、少し顔を赤らめながらも私に語ってくれた。
窮屈な思いをさせてしまっているのではないかと不安になりはしたが、彼女は今も夢を諦めず自分の見据えた物に向かって突き進んでいる。閉ざされた中でもその強さと輝きを失わない彼女らしい目映さに、私はまた彼女に惚れ直してしまう。
夜毎彼女と身体を重ね、愛しい彼女の名を何度となく呼び、甘く愛を囁く。その互いの温もりを確かめ合うように抱き締め合って共に眠る。
結婚して何度心と身体を通わせようとも愛しさが尽きる事はなく、私は幸福に満たされていた。
彼女と里での新たな生活を始めて四年後、私達の間には待望の子供が誕生した。
初産となる彼女はなかなかの難産で、苦しむ彼女の様子にハラハラとしながらその手をずっと握り締め、彼女の背中や腰を摩って励まし続けた。
気休め程度にしかならないと知りつつも、摩ることで彼女の表情が少しは和らぐ。
陣痛が始まって数時間後、漸く生まれた子供は、彼女の紅の髪と私の紫色の瞳を受け継いだ人型の頭に白い小さな角を二本生やした“竜人”と呼ばれる男の子だった。
愛しい人との間に儲けた新たな命。きっとこの里に革新を促す新たな息吹となり得るであろう存在の我が息子。
生まれたばかりの赤子は肌が浅黒く、見た目にはとても可愛らしいとはいえなかった。しかし、何処か彼女に似た顔立ちで不思議と愛らしく思える。
昔はいたという、今では見かけることのなくなってしまった竜と人間との間に生まれた種族“竜人”。今後はもしかしたら増えて行くことになるかもしれない。
竜に変じることはないものの、人より強い力と肉体を持つ存在らしい。寿命は人より少し長くて150歳程度で、成人までは人と変わりなく成長し、その後は少し緩やかになる。
私も実際目にするのは息子が初めてのことなのだ。成長と共に力のコントロールと完全な人の姿に変ずる術を教えていかなくてはならないだろう。
腕に息子を抱き、出産で疲れた様子を見せながらも幸せそうに微笑む彼女。汗で張り付いた髪を払いのけ、そんな彼女にお疲れ様と労いの言葉をかけて頬に口付けを落とす。
そして、生まれたばかりの息子を彼女から受け取り腕に抱く。生まれたばかりの赤子は首が据わっておらず、ましてや初めての事で戸惑いながらも彼女がしていたように真似をして腕に抱いた。
すると、熱いものが込み上げてきて知らずに涙が溢れ出した。
小さな身体に宿る暖かな温もりと吐息に、その鼓動。彼女との間に生まれた新しい家族という存在。私達の行いが、正しさが認められたような気持ちになった。
私自身が両親から与えてもらう事のなかった仮初めではなく本当の愛情を、沢山の愛しいを君に与えよう。彼女との間に育んだように沢山の愛情を注ぎ、私達の力が必要となくなる巣立っていくその時まで、彼女と共に守り抜いて行こうと心に誓うのだった。
妻に、息子に、有り難うと告げる。
出産で疲れた彼女はそれから少し眠りについた。
子供が生まれてからは彼女はそちらにかかりっきりとなる。
私も子育てを手伝いはしたが、少しばかり息子に彼女を盗られてしまったような気分にもなり、その事を少し寂しく思いそれを彼女に告げる。
「馬鹿ね。異性として愛しているのは貴方だけよ」
彼女からはこんな嬉しい言葉が返ってきて、私は改めて息子共々必ず幸せに暮らそうと誓った。
子育ては色々と大変で、泣いているのをあやしているうちに息子にはすっかり抱き癖がついてしまった。けれども彼女は、これがいいのよと言う。こうして温もりを伝え、愛情を教えることも必要なのよと。
それから彼女や息子達と共に年を重ね、私と彼女の間には三男一女を儲けるが、そこで一つ誤算が生じる。
竜人は本来竜に変ずることはない。
しかし、最後に生まれた長女は竜人としての人型に近い姿ではなく竜としての姿で生まれる。しかも、その色は白銀で力もそれなりに有していた。
長老達はそれに狂喜乱舞したが、また同じことを繰り返すのかと、私達と里長となったカリヴァーンが協力してそれは阻止出来た。
竜で生まれてきたことは誤算であろうとも、漸く生まれた女の子。可愛くてつい甘やかし過ぎてしまいそうになり、レティシアに甘やかすのと愛情を持って育てるのは似ているようで違うのよと窘められる。
それからまた十年以上が経過して、三人の息子は里から旅立って行った。
もう少しで長女も成人を迎え、旅立って行くのだろうと思っていた。
そんなある日、カリヴァーンが娘と共に私達の家へと訪ねて来る。
「子供が出来た。彼女と結婚したい」
家に迎え入れて、開口一番に出された言葉に私は耳を疑う。
「……最近年のせいか、どうやら少し耳が遠くなったようだな」
唐突に言われた一言に我が耳を疑い、思わずそんな言葉が口から零れる。
「俺とおまえは大して変わらないだろが……。否定したい気持ちはわからなくねえが、これは真実だ。……って、ちょっと落ち着け! 何で全盛期ばりの力を滲み出してるんだよ。大半の力は失った筈なのに…」
……真実だと!?
とてもではないが信じられなかった。いつの間に可愛い私の娘に手を出しやがったんだ。女と見れば誰でもいいような不自由していない奴に娘を渡すような事は有り得ない。
確かに私達の結婚や娘に関して協力して貰った恩はある。だが、それとこれとは別の話である。
もし現在の私の状態が目に見えていたのならば、私の眼からは血涙が流れ出していたことだろう。これが俗に言う娘を嫁に出す父親の心境というものなのかと、私はこの時初めて知った。
「そこになおれ。今すぐその下半身に裁きの鉄槌を下してやろう。……もし誠意を見せるというのなら、即刻他の女とは縁を切ってみせろ!」
私の地を這うような低い声と殺気にカリヴァーンは少したじろいだ様子を見せる。
だが、逃げ出そうとはしない。少し落ち着くように一息吐き出してから、カリヴァーンは告げる。
「他の女とは既に縁を切っている。彼女、スピカとの事は本気なんだ。……初めはおまえらの子で、しかも白銀だから守ってやらなくちゃなっていう庇護欲だったんだが、……それがいつの間にか最愛の女に変わってたんだ」
その一言に私はまたもや耳を疑った。だってあのカルだぞ。あんな事を宣って里を出たカルだよ。里長になっても、里中の女を口説き回っていたカルがだ。
だから、私は思わず聞き返した。
「正気か?」
「ああ、偽りはねえよ」
そこには真剣な面差しをしたカリヴァーンの姿があった。
私は目眩がするような思いに捕らわれた後、隣にいる妻の顔を窺った。
それに気付いた彼女は私の顔を見ながら口を開く。
「私はいいと思うわよ。私達のように自身の意思の赴くままに、本人の自由にさせてあげたかったのよ」
……どうやら知っていたらしい。知らなかったのは私だけだったのか。
私は一度目を閉じ深呼吸すると、高ぶった気持ちを落ち着かせる。
あの真剣な眼差しと言葉には確かに偽りは感じられなかった。カルは、本当に娘スピカに対して本気らしい。
――ならば、許してやろうではないか。
そうして結論を出した私は、閉じていた瞳を開きカリヴァーンへと対峙した。
「わかった、許そう。……但し、少しでも娘を裏切るような事があれば、その命速攻でないと思え」
「わかっている。ありがとう」
カリヴァーンはそう答え頷くと、頭を下げた。
そうして娘はカリヴァーンと結婚し、仲睦まじい姿をみせている。幸せならいいかと、その姿を見て思った。
私達はたまに里の外れの海を眺めに行く。里の端に行くにも人の身では広大過ぎる範囲となるので、この時ばかりは竜の姿に戻り、彼女を背に乗せて向かう。
断崖絶壁で直接海で泳ぐ事は適わないが、せめて眺めだけでもとたまに二人で此処には来る。
「……ねえ? 本当に後悔していないかい?」
海を眺めながら彼女に問う。もしかしたら、もっと幸せな道が彼女にはあったかもしれないと。
彼女はそれに首を振る。そして───
「あの時、貴方を選ばなかった方が多分一生後悔していたと思うわ。私は幸せよ。ブラン、貴方は?」
「私は幸福だよ。一番傍にいて欲しい人が私を選び取ってくれて、こうして今でも共にいてくれる。例え明日、この命に終わりが来ようとも、君と共にあるのなら」
私達は肩を寄せ合い手を繋ぎながら微笑み合い、海を眺める。
子供達はそれぞれの道を進んだ。
あれからも、色々とありはしたものの、今でも私の隣には彼女がいる。共に命尽きるその時まで───。
日付ギリギリになりまして申し訳有りません。
やはり甘さが足りなかったような気がします。甘々を期待されていた方々にはすみませんな出来かもしれないですね。
元々考えてあったものに、最終話直後から色々と書いた結果こうなりました。これ以上の続きはありません。
ブランはすっかり親馬鹿に。カリヴァーンは、最初とは少し違った方向に修正が入りました。この二人が暴走した結果こうなりましたね。
此処までお付き合い下さった皆様、お気に入り並び評価して下さった皆様、誠に有り難う御座いました。




