第99話 ベルン商会、二度目の挑戦
第99話 ベルン商会、二度目の挑戦
ルミエールの商業区。
朝の大通りには、荷馬車の車輪が石畳を転がる音が響いていた。
店先では商人たちが商品を並べ、通りを歩く人々へ声をかけている。
その中を、黒瀬怜司は一つの木箱を抱えて歩いていた。
「……よし」
目的地は、ベルン商会。
今日は、二度目の試験販売に向けた商品の納入日だった。
前回の販売結果をもとに、商品構成を見直している。
最初は三種類、合計六十個。
そのうち、特に反応がよかったのは、手頃な価格で購入できる飴だった。
一方、見た目の美しい焼き菓子は、販売数こそ多くなかったものの、贈答品として一定の需要があることが分かった。
そこで今回は、飴を少し増やし、焼き菓子は数量を抑える。
前回売れ残った品のうち、品質と保存期限に問題がないものは、引き続き販売する。
新たに持ち込む数量も、急激には増やさない。
地味な調整だった。
けれど、怜司にとっては大切な一歩だった。
ただ珍しい物を持ってくるだけでは、商売とは言えない。
買ってくれる人のことを考える。
数字を確認する。
そして、次の行動を決める。
その繰り返しが、少しずつ形になってきていた。
◇
「お待ちしておりました、レイジさん」
ベルン商会に入ると、トーマスが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます」
「本日もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
怜司は木箱を机へ置いた。
「前回の結果を見て、少し内容を変えてみました」
「ほう」
トーマスが興味深そうに箱を開く。
「飴が多くなっていますな」
「はい。前回、手頃な価格の商品がよく売れていたので」
「なるほど」
「ただ、贈答用の焼き菓子も一定の需要がありそうだったので、そちらは少量残しています」
トーマスは一つずつ商品を確認した。
包装。
数量。
保存状態。
そして、販売に必要な情報。
「……よく考えられていますな」
怜司は少し照れた。
「まだ、分からないことばかりですけど」
「それでよいのです」
トーマスは微笑んだ。
「商人にとって大切なのは、最初から正解を知っていることではありません」
「……はい」
「結果を見て、次の判断を変えられることです」
怜司は静かに頷いた。
◇
午前中。
トーマスは怜司を連れて、商会の倉庫へ向かった。
そこには、さまざまな商品が整然と並んでいた。
布。
香辛料。
食料品。
陶器。
そして、遠方から仕入れた雑貨。
「……すごいですね」
怜司は思わず呟いた。
「これだけの商品を、全部管理しているんですか?」
「もちろんです」
トーマスは頷いた。
「入荷した日、仕入れた価格、数量、保管場所、販売した数。すべて記録しています」
怜司は感心した。
「大変そうですね」
「大変ですとも」
トーマスは笑った。
「ですが、管理できなければ、商売は続きません」
彼は棚の一角を指した。
「例えば、こちらの香辛料」
小さな木箱が並んでいる。
「同じ品でも、仕入れた時期が違います」
「……本当だ」
「古いものから適切に販売しなければ、品質が落ちることもあります」
怜司は頷いた。
「在庫管理、ですね」
「その通り」
トーマスは満足そうに笑った。
「レイジさんの商品も同じです。包装されているからといって、いつまでも保管できるわけではありません」
「はい」
怜司は真剣に答えた。
「期限や保存方法も、ちゃんと確認します」
「よろしい」
トーマスは頷いた。
「信用は、一度失うと取り戻すのが難しいものですからな」
その言葉を、怜司はノートへ書き込んだ。
◇
昼過ぎ。
ベルン商会の店頭で、二度目の試験販売が始まった。
前回購入した客の一人が、さっそく足を止めた。
「あら、またあのお菓子があるのね」
上品な服装の女性だった。
店員が笑顔で応じる。
「はい。ご好評につき、再びご用意いたしました」
「前に買った飴、娘がとても気に入っていたの」
女性は商品台を見渡した。
「今日は、少し多めにいただこうかしら」
怜司は少し離れた場所で、その会話を聞いていた。
胸が温かくなる。
前回、買ってくれた人がいる。
そして、また買いに来てくれた。
ただの珍しさではない。
商品そのものを気に入ってくれたのだ。
「……嬉しいですね」
怜司が小さく呟く。
隣にいたトーマスが頷いた。
「ええ」
そして、静かに続けた。
「レイジさん。あれが、商売を続けるうえで大切なことの一つです」
「……リピーター、ですね」
「その通りです」
怜司はノートへ書き込んだ。
初めて買ってもらうこと。
もう一度買ってもらうこと。
その二つは、似ているようで違う。
珍しいから買う。
気に入ったから、また買う。
後者が増えてこそ、安定した商売につながる。
◇
その後も、商品は少しずつ売れていった。
子供への土産に飴を買う父親。
旅の途中で食べられる菓子を探す商人。
珍しい贈り物を探していた女性。
それぞれ、買う理由が違っていた。
怜司はその様子を観察しながら、気づいたことを記録した。
だが、順調なことばかりではなかった。
「……少し高いな」
一人の男性が、焼き菓子を見て呟いた。
店員が丁寧に説明する。
「こちらは、珍しい製法で作られた菓子でございます」
「そうかもしれんが、普段食べるには高い」
男性は結局、購入せずに立ち去った。
怜司は少し考え込んだ。
「……やっぱり、価格が問題なのかな」
トーマスが答える。
「必ずしも、そうとは限りません」
「え?」
「そのお客様にとっては高かった。しかし、別のお客様には、贈り物として適正な価格かもしれません」
「……なるほど」
「すべての人に売ろうとする必要はないのです」
怜司は頷いた。
誰に買ってほしいのか。
その商品を、どんな場面で使ってほしいのか。
そこまで考えなければならない。
「……商品によって、売る相手を変えるんですね」
「ええ」
トーマスは微笑んだ。
「少しずつ、商人らしくなってきましたな」
怜司は照れくさそうに笑った。
◇
夕方。
店頭販売が落ち着いた頃、トーマスは怜司を応接室へ呼んだ。
「レイジさん。少し、お話があります」
「はい」
怜司は椅子へ腰を下ろした。
トーマスは一枚の紙を差し出す。
「実は、前回の商品を購入されたお客様の中に、宿屋を経営されている方がおりまして」
「宿屋、ですか?」
「ええ。旅人向けの小さな宿です」
怜司は興味深そうに身を乗り出した。
「その方が、飴を客室に置く菓子として使えないかと相談されているのです」
「……えっ」
思わず声が出た。
「本当ですか?」
「はい。ただし、まだ正式な注文ではありません」
トーマスは慎重に続けた。
「価格、数量、継続して納品できるかどうか。その条件が合えば、という話です」
怜司は考えた。
宿屋。
客室に置く菓子。
それなら、一度にまとまった数量が必要になるかもしれない。
けれど、安定して納品できなければ、相手に迷惑をかける。
「……すぐには約束できませんね」
怜司が言う。
トーマスは目を細めた。
「ほう?」
「僕が、毎回同じ数量を用意できるか、まだ分からないので」
怜司は真剣に続けた。
「できない約束をして、信用を失いたくありません」
トーマスはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり頷いた。
「……よい判断です」
怜司は少し安心した。
「まずは、条件を聞いてみたいです」
「ええ。それがよいでしょう」
トーマスは微笑んだ。
「商売は、焦って大きくするものではありませんからな」
◇
その日の夜。
怜司はルミエールの街を歩いていた。
手元には、今日の販売結果を記録した紙がある。
売上は、前回よりよい傾向を示していた。
もちろん、まだ試験段階だ。
仕入れ費用も、手数料もかかる。
利益が大きく増えたわけではない。
それでも、確かな変化があった。
再び買いに来てくれた客がいた。
商品を気に入ってくれた人がいた。
そして、宿屋から新しい相談が届いた。
「……少しずつ、広がってる」
怜司は静かに微笑んだ。
冒険者として得た報酬を使えば、もっと大量に仕入れることもできるかもしれない。
だが、今はそれをしない。
大切なのは、長く続けられることだ。
無理なく商品を用意できること。
品質を守れること。
そして、取引相手との約束を守れること。
「……よし」
怜司はノートを閉じた。
次は、宿屋の話を詳しく聞こう。
それから、エリシアにも相談してみよう。
彼女なら、また自分にはない視点を教えてくれるかもしれない。
夜空には、無数の星が輝いていた。
日本と異世界。
二つの世界を行き来する少年の挑戦は、まだ小さなものだった。
けれど、その一歩一歩が、確実に未来へつながっていた。




