第95話 少年が手にした最初の利益
第95話 少年が手にした最初の利益
ルミエールの商業区。
ベルン商会の応接室で、怜司は帳簿を見つめていた。
「……これが、今回の結果ですか」
「ええ」
トーマス・ベルンが満足そうに頷いた。
「試験販売は、まずまずの成功と言えるでしょう」
机の上には、販売記録が並んでいる。
商品ごとの販売数。
仕入れにかかった費用。
販売価格。
そして、売れ残った商品の数。
怜司は一つずつ確認した。
「思ったより、利益は少ないですね」
素直な感想だった。
トーマスは笑った。
「それが商売です」
「……なるほど」
「売上が大きくても、仕入れや経費がかかれば、手元に残る金額は小さくなります」
怜司は頷いた。
日本で詩織と勉強した内容が、ここでつながった。
「でも、赤字ではないんですよね?」
「ええ。今回は黒字です」
トーマスは帳簿の一行を指さした。
「これが、レイジさんの取り分です」
怜司は目を見開いた。
「……本当に、僕が受け取っていいんですか?」
「もちろんです。正当な取引の結果ですから」
怜司は静かに息を吐いた。
冒険者として報酬を受け取ったことはある。
けれど、自分で商品を選び、販売方法を考え、売れた結果として利益を得る。
それは、まったく違う喜びだった。
「……嬉しいです」
怜司は小さく笑った。
トーマスも微笑んだ。
「その気持ちを忘れないことですな」
◇
続いて、二人は次の販売について話し合った。
「今回、一番人気だった商品はこれです」
トーマスが記録を示す。
「ただし、売れた理由を考える必要があります」
「味がよかったから、だけじゃないんですね」
「ええ。価格、見た目、買いやすさ。いろいろな要素があります」
怜司はノートを開いた。
「次は、人気だった商品を少し増やしてみたいです」
「よいでしょう。ただし、一気に倍にするのは危険です」
「分かりました。少しずつですね」
「その通り」
トーマスは満足そうに頷いた。
「商売で大切なのは、長く続けることです」
怜司はその言葉を胸に刻んだ。
焦らず、確実に。
小さな成功を積み重ねていく。
それが今の自分に合っていると思った。
◇
商会を出た後、怜司は市場を歩いた。
手元には、今回得た利益の一部が入った小さな革袋がある。
金貨ではなく、日常の買い物に使いやすい銀貨や銅貨も混じっていた。
怜司は革袋を見つめた。
「……自分で稼いだんだな」
小さく呟く。
もちろん、まだ大きな金額ではない。
日本で自由に使えるお金になったわけでもない。
けれど、確かな一歩だった。
ふと、通りの向こうに小さな菓子店が見えた。
店先には、色とりどりの焼き菓子が並んでいる。
怜司は足を止めた。
「……そうだ」
以前から世話になっている人たちに、何かお礼をしたい。
そう思ったのだ。
店へ入り、いくつかの菓子を選ぶ。
冒険者ギルドのバルド。
《蒼風の牙》の仲間たち。
そして、エリシア。
大したものではない。
けれど、自分で稼いだお金で買った贈り物だった。
◇
ギルドへ立ち寄ると、バルドが豪快に笑った。
「ガハハ! 何だ、レイジ! 今日は菓子の差し入れか!」
「はい。いつもお世話になっているので」
「律儀な奴だな!」
バルドは嬉しそうに受け取った。
「そういえば、商売を始めたんだって?」
「はい。まだ小さな規模ですけど」
「いいじゃねえか!」
バルドは大きく頷いた。
「冒険者は、いつまでも戦い続けられるとは限らん。別の稼ぎ方を知っておくのは悪くねえ」
「そうですね」
怜司は微笑んだ。
「僕も、いろいろなことに挑戦したいと思ってます」
「ガハハ! 若いってのはいいな!」
バルドの笑い声が、ギルドに響いた。
◇
その後、怜司はルミナス伯爵家を訪れた。
「レイジ様!」
エリシアが嬉しそうに迎えてくれる。
「エリシア。今日はちょっと報告があって」
「報告、ですか?」
「うん。商売で、初めて利益が出たんだ」
エリシアの目が輝いた。
「まあ! おめでとうございます!」
「ありがとう」
「素晴らしいですわ!」
エリシアは心から嬉しそうに微笑んだ。
「レイジ様が努力されていたこと、私も知っていますから」
怜司は少し照れくさそうに笑った。
「まだ、ほんの少しだけどね」
「それでも、大切な一歩です」
「……うん」
怜司は頷いた。
そして、持っていた小さな包みを差し出した。
「これ、よかったら」
「……私に?」
「うん。いつも相談に乗ってくれるお礼」
エリシアは驚いたように包みを見つめた。
「……開けてもよろしいですか?」
「もちろん」
包みの中には、可愛らしい焼き菓子が入っていた。
「まあ……!」
エリシアは目を輝かせた。
「とても素敵です」
「気に入ってもらえた?」
「もちろんです!」
エリシアは大切そうに包みを抱えた。
「……レイジ様が、私のために選んでくださったんですよね」
「うん」
その一言に、エリシアの頬が赤くなる。
「……ありがとうございます。大切にいただきます」
怜司は微笑んだ。
彼女がこんなに喜んでくれるとは思わなかった。
けれど、その笑顔を見ていると、自分まで嬉しくなる。
◇
庭園を歩きながら、二人は今後の商売について話した。
「次は、もう少し商品を増やしてみようと思うんだ」
怜司が言う。
「素敵ですね」
「でも、焦らずにやるつもり」
「それがよいと思います」
エリシアは頷いた。
「商売は、信用を積み重ねることが大切ですから」
「うん。トーマスさんにも同じことを言われたよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「レイジ様」
「うん?」
「私も、これからもっと勉強して、お役に立てるようになりたいです」
怜司は少し驚いた。
「エリシアは、もう十分助けてくれてるよ」
「……そうでしょうか?」
「うん。一緒に考えてくれるだけでも、すごく心強い」
エリシアは嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
◇
その日の夜。
日本へ戻った怜司は、自室でノートを開いていた。
異世界で得た利益。
次の仕入れ予定。
販売記録。
そして、日本での勉強内容。
それらを整理しながら、怜司は考えた。
いつか、もっと大きな事業に育てたい。
そして、日本でも自分の力で収入を得られるようになりたい。
ただし、異世界の金貨をそのまま日本へ持ち込んで使うことはできない。
宝石や貴金属を扱う場合も、出所や税金、取引の記録など、考えるべきことは多い。
だから、今は焦らない。
まずは、異世界で確かな実績を積む。
そのうえで、日本で合法的に資産を築く方法を学んでいく。
「……まだ、始まったばかりだ」
怜司は小さく呟いた。
けれど、その声には確かな希望があった。
スマートフォンが震える。
画面には、詩織からのメッセージが表示されていた。
『黒瀬君。今度のお出かけ、楽しみにしています』
怜司は微笑んだ。
『僕も楽しみです。よろしくお願いします』
送信した後、ふと窓の外を見つめる。
日本には、家族と友人たちがいる。
澪、麗華、詩織、美月。
そして異世界には、エリシアがいる。
自分を大切にしてくれる人たちが、こんなにも増えた。
以前の自分なら、想像もできなかった未来だった。
怜司はノートを閉じた。
強くなるだけではない。
稼ぐ力を身につけるだけでもない。
大切な人たちと、笑って暮らせる未来を作りたい。
その願いが、今の怜司を前へ進ませていた。
少年の新しい人生は、まだ始まったばかりだった。




