第85話 恋の勝負はここから
第85話 恋の勝負はここから
スポーツ体験会が終わった翌週。
聖蘭学園の研究室には、六人のメンバーが集まっていた。
「それじゃ、アンケート結果の確認から始めよう」
一条蒼真が資料を広げた。
藤宮詩織が集計表を配る。
「参加者三十二名のうち、二十九名が『また運動したい』と回答しました」
「おお!」
神崎隼人が嬉しそうに声を上げる。
「ほとんどの子が、またやりたいって思ってくれたんだな!」
「はい」
詩織は微笑んだ。
「ただし、今回の結果だけで、運動への苦手意識が長期的に改善されたとは言えません」
蒼真が頷いた。
「そこは研究発表でも明確にしよう。短期間の体験会だからね」
「それから、待ち時間についてのご意見もありました」
西園寺麗華が資料を確認する。
「午後は改善できましたが、最初からもっと工夫できたかもしれませんわ」
「安全管理の面でも、次回に向けて見直せる部分があります」
九条院澪が続けた。
怜司は仲間たちの話を聞きながら、ノートへ書き留めていた。
楽しかった。
成功した。
それだけで終わらせず、何がよくて、何を改善すべきなのかを考える。
その姿勢が、怜司には新鮮だった。
「……みんな、すごいね」
怜司が呟く。
「何が?」
隼人が首を傾げる。
「ちゃんと、次につなげようとしてるところ」
蒼真が微笑んだ。
「それが研究だからね」
「……そっか」
怜司も笑った。
自分一人では、ここまで考えられなかっただろう。
仲間たちと取り組んだからこそ、得られたものがたくさんあった。
◇
打ち合わせが終わると、隼人が怜司の肩に腕を回した。
「なあ、怜司」
「何?」
「最近、お前ちょっと忙しそうだよな」
「そうかな?」
「そうだって。九条院さんと出かける約束もしてるんだろ?」
怜司は少し驚いた。
「……何で知ってるの?」
「見てりゃ分かるって!」
隼人は笑った。
「それに、西園寺さんとも仲いいし、藤宮さんともよく一緒にいるし」
「みんな研究班の仲間だからね」
怜司が答えると、隼人は大きくため息をついた。
「……お前、本当にそういうところだぞ」
「え?」
蒼真が苦笑した。
「怜司。少し真面目な話をしてもいいかな」
「うん」
「誰かが君と一緒にいたいと思う理由は、研究活動だけとは限らないよ」
怜司は目を瞬かせた。
「……どういうこと?」
「そのままの意味だよ」
蒼真は穏やかに言った。
「君が相手を大切に思うように、相手も君を特別に思っているかもしれない」
怜司は言葉を失った。
以前の自分なら、そんな可能性を考えもしなかった。
誰かに好かれる。
それも、恋愛感情として。
そんなことは、自分とは無縁だと思っていたからだ。
「……でも、僕なんかが」
思わず口にしかけた言葉を、怜司は途中で止めた。
隼人が真剣な表情になった。
「その『僕なんか』っての、そろそろやめろよ」
「……隼人」
「お前、いい奴じゃん。普通に」
隼人は笑った。
「だから、誰かがお前を好きになったって、別におかしくないだろ」
蒼真も頷いた。
「大切なのは、相手の気持ちを軽く扱わないことだと思う」
怜司はしばらく考えた。
そして、小さく頷いた。
「……うん。ありがとう」
◇
その頃。
校舎の中庭では、澪と麗華が向かい合っていた。
柔らかな風が、木々の葉を揺らしている。
「九条院さん」
麗華が静かに口を開いた。
「少し、お話ししたいことがありますの」
「はい。何でしょうか?」
澪は穏やかに微笑んだ。
麗華は一度、深呼吸した。
そして、まっすぐに澪を見つめた。
「……私、黒瀬さんが好きです」
澪の表情が、わずかに変わった。
けれど、驚きは長く続かなかった。
「……そうですか」
澪は静かに頷いた。
「やはり、そうだったのですね」
「お気づきでしたか?」
「ええ。何となく」
麗華は小さく笑った。
「さすがですわね」
澪も微笑んだ。
けれど、その瞳には真剣な光が宿っていた。
「私も、レイジさんが好きです」
麗華は静かに息を呑んだ。
分かっていた。
それでも、本人の口から聞くと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「……そうですか」
「はい」
澪は視線を逸らさなかった。
「大切な人です。もっと一緒にいたいと思っています」
麗華は小さく頷いた。
「……私も同じですわ」
しばらく沈黙が続いた。
けれど、不思議と気まずくはなかった。
二人とも、相手の気持ちを軽く扱うつもりはなかったからだ。
「九条院さん」
麗華が口を開く。
「私、遠慮するつもりはありませんわ」
澪は少し驚いた後、微笑んだ。
「……ええ。そうでしょうね」
「黒瀬さんと、もっと親しくなりたいんです」
「私もです」
澪は静かに答えた。
「ですが、最後に決めるのはレイジさんご自身です」
「もちろんですわ」
麗華は頷いた。
「無理に振り向かせるつもりも、九条院さんを傷つけるつもりもありません」
「私も同じです」
二人は顔を見合わせた。
そして、自然と笑みを浮かべた。
「……お互い、頑張りましょう」
澪が言う。
「ええ。負けませんわよ」
麗華が答える。
その言葉には、確かな決意が込められていた。
◇
放課後。
麗華は校門近くで、怜司を見つけた。
「黒瀬さん」
「麗華さん」
怜司が笑顔で振り返る。
「どうしました?」
「少し、お時間をいただいてもよろしいですか?」
「もちろんです」
麗華は胸の鼓動を落ち着かせた。
今日、澪へ自分の気持ちを伝えた。
だからこそ、もう後戻りはしない。
「研究活動も、もうすぐ一区切りですわね」
「そうですね」
「それで……」
麗華は一瞬だけ言葉を選んだ。
「今度、学校の用事とは関係なく、私と一緒にお出かけしませんか?」
怜司は少し驚いた。
「……麗華さんと?」
「はい」
麗華は微笑んだ。
「二人で、ゆっくりお話しできたらと思いまして」
怜司はすぐに笑顔になった。
「もちろんです。ぜひ行きましょう」
麗華の胸が大きく高鳴った。
「……本当ですか?」
「はい。僕も、麗華さんともっと話してみたいです」
その言葉に、麗華は思わず頬を染めた。
「……ありがとうございます」
嬉しかった。
ただ、それだけだった。
◇
少し離れた場所では、澪がその様子を見ていた。
麗華が怜司を誘ったことは、何となく分かった。
そして、怜司が笑顔で頷いたことも。
「……西園寺さん」
澪は小さく微笑んだ。
宣言通り、彼女は動いたのだ。
澪は怜司へ歩み寄った。
「レイジさん」
「澪さん」
「先日のお約束、覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんです」
怜司は笑顔で答えた。
「また一緒に出かける約束ですよね」
「はい」
澪は嬉しそうに微笑んだ。
「楽しみにしています」
「僕もです」
そのやり取りを、麗華が静かに見つめていた。
そして、心の中で小さく笑った。
九条院澪。
やはり、簡単には勝てない相手だ。
けれど、だからこそ負けたくない。
恋の勝負は、ここから始まるのだ。
◇
その日の夜。
怜司は自室で、ノートを開いていた。
学校での研究活動。
友人たちとの時間。
そして、澪や麗華との約束。
最近、自分の周りではいろいろなことが起きている。
以前の自分なら、想像もできなかった毎日だった。
けれど、もう一つ忘れてはいけないことがある。
異世界ルミエール。
冒険者ギルド。
バルドや《蒼風の牙》の仲間たち。
エリシア。
そして、まだ解決していない街道の問題。
「……そろそろ、向こうにも行かないとな」
怜司は小さく呟いた。
異世界では、まだ学びたいことがたくさんある。
強くなること。
新しい技術を身につけること。
そして、自分の力で収入を得ること。
いつか、家族を安心させられるだけの力を持ちたい。
そのためにも、立ち止まってはいられない。
「……よし」
怜司はノートを閉じた。
次は、異世界へ行こう。
そこで待っている人たちにも、会いたかった。
少年の人生は、日本と異世界の両方で、少しずつ大きく変わろうとしていた。
そして彼は、まだ知らない。
自分を想う少女たちの気持ちが、これからますます強くなっていくことを。




