第84話 聖蘭学園研究発表会
第84話 聖蘭学園研究発表会
聖蘭学園の体育館に、子供たちの元気な声が響いていた。
今日は、研究班が準備してきたスポーツ体験会の本番だった。
参加する子供は三十二名。
保護者たちも、体育館の一角から様子を見守っている。
「よし! みんな、集まってくれ!」
神崎隼人が元気よく声をかけた。
子供たちが少しずつ集まってくる。
その様子を見ながら、怜司は小さく息を吐いた。
「……いよいよだね」
隣にいた澪が微笑む。
「はい。レイジさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、澪さん」
麗華は受付で保護者への説明を終え、資料を整理していた。
蒼真は備品の配置を確認している。
詩織はアンケートの準備を進めていた。
そして、橘美月は陸上部の協力者として、子供たちの運動指導を手伝っていた。
「怜司!」
美月が手を振る。
「準備できたよ!」
「ありがとう、美月さん!」
「任せて!」
美月は元気よく笑った。
◇
最初の競技は、簡単なボール運びだった。
子供たちは二人一組になり、協力してボールを運ぶ。
速さを競うだけではなく、声をかけ合うことを大切にした内容だった。
「せーの!」
「わあっ!」
途中でボールを落としてしまう子もいる。
けれど、隼人がすぐに声をかけた。
「大丈夫! もう一回やってみよう!」
子供たちは笑いながら、再び挑戦する。
怜司は体育館の端で、少し離れて立っている男の子に気づいた。
小学二年生くらいだろうか。
周囲の子供たちが楽しそうに動く中、その子だけが参加できずにいた。
怜司はゆっくり近づいた。
「こんにちは」
男の子が顔を上げる。
「……こんにちは」
「どうしたの? 何か困ってる?」
男の子は少し迷った後、小さな声で答えた。
「……僕、走るの遅いから」
怜司は静かに頷いた。
「そっか」
「みんなに笑われるかもしれない」
その言葉に、怜司の胸が少し痛んだ。
以前の自分も、同じように考えていた。
失敗することより、失敗した自分を笑われることが怖かった。
だから、挑戦する前から諦めていた。
怜司は男の子と目線を合わせるようにしゃがんだ。
「……僕も、昔は走るのが苦手だったんだ」
「……本当?」
「本当だよ」
怜司は微笑んだ。
「だから、怖い気持ちは分かる」
男の子は驚いたように怜司を見つめた。
「でもね、今日は一番になるために来たんじゃないんだ」
「……?」
「楽しく体を動かしてみるために来たんだよ」
怜司はゆっくり続けた。
「速くなくてもいい。途中で止まってもいい。自分のペースでやってみよう」
男の子はしばらく考えた。
「……笑われない?」
「笑わせないよ」
怜司は優しく答えた。
「もし困ったら、僕が一緒にいるから」
男の子は小さく頷いた。
「……やってみる」
「うん!」
怜司は笑顔になった。
「一緒に頑張ろう」
◇
次の競技では、簡単な障害物コースを使った。
小さなハードル。
柔らかなマット。
低い位置に置かれたコーン。
子供たちは、自分のペースで進んでいく。
「よーし! 焦らなくていいからね!」
美月が元気よく声をかける。
先ほどの男の子も、列に並んでいた。
少し緊張した表情だったが、逃げようとはしていない。
「大丈夫?」
怜司が尋ねる。
「……うん」
「じゃあ、行ってみよう」
男の子が走り出した。
最初のハードルを越える。
次のコーンを回る。
途中で少しつまずいた。
けれど、転ばずに踏みとどまる。
「大丈夫! そのままでいいよ!」
怜司が声をかける。
男の子は再び走り出した。
そして、最後の線を越えた。
「……できた!」
男の子が顔を上げる。
怜司は大きく頷いた。
「うん! 最後まで頑張ったね!」
その瞬間、男の子の顔に笑顔が広がった。
「もう一回やりたい!」
怜司は思わず笑った。
「もちろん!」
少し離れた場所で、その様子を見ていた澪が微笑んだ。
「……レイジさんらしいですね」
麗華も静かに頷いた。
「ええ。本当に」
詩織は記録用紙へ、子供の様子を丁寧に書き留めていた。
◇
昼休憩。
研究班のメンバーたちは、体育館の隅で簡単な食事を取っていた。
「いやー、思った以上に盛り上がってるな!」
隼人が笑う。
「子供たちの反応もいいね」
蒼真が頷いた。
「ただ、待ち時間が少し長くなっているところがある」
「そこは午後に調整しましょう」
澪がすぐに答えた。
「人数を分けて、順番を変えれば改善できると思います」
「私も、保護者の方から同じご意見をいただきました」
麗華が資料を見ながら言う。
「午後は、待っている子供たちにも簡単な活動を用意した方がよさそうですわ」
怜司は頷いた。
「それなら、待っている間にできるストレッチや簡単なボール遊びを入れませんか?」
「いいね!」
美月が身を乗り出す。
「私、それなら教えられるよ!」
「助かるよ、美月さん」
怜司が笑う。
「子供たちへの説明、すごく分かりやすかったから」
美月の動きが、一瞬止まった。
「……え?」
「さっきも、緊張してた子が美月さんの声で笑ってたよ」
美月の頬が、ほんのり赤くなる。
「……そ、そう?」
「うん。ありがとう」
「……別に、普通だって!」
美月は慌てて飲み物へ口をつけた。
その様子を、澪と麗華が静かに見ていた。
そして、二人はほぼ同時に気づいた。
美月の反応が、以前とは少し違っていることに。
◇
午後の活動も、順調に進んだ。
午前中の反省を生かし、待ち時間を短くしたことで、子供たちの集中も続きやすくなった。
運動が得意な子も、苦手な子も、それぞれのペースで楽しんでいる。
最後には、参加者全員で簡単なゲームを行った。
体育館には、笑い声が響いていた。
そして、すべての競技が終了した。
「みんな、今日はありがとう!」
隼人が大きな声で言う。
「楽しかった人!」
「はーい!」
たくさんの手が上がった。
怜司は、その光景を見つめていた。
以前の自分には、想像もできなかった。
自分が誰かの挑戦を支え、その人の笑顔を見られる日が来るなんて。
胸の奥が、温かくなった。
◇
終了後。
詩織がアンケートを回収した。
子供たちには、分かりやすい質問を用意していた。
『また運動したいと思いますか?』
集計の結果、三十二人のうち二十九人が、前向きな回答をしていた。
「……すごいですね」
怜司が呟く。
「はい」
詩織が微笑んだ。
「もちろん、これだけで長期的な効果があるとは言えません。でも、今日の活動を楽しんでもらえたことは分かります」
蒼真も頷いた。
「研究としては、改善点も含めてきちんとまとめよう」
「そうだな!」
隼人が笑う。
「でも、今日は成功って言っていいだろ!」
麗華が微笑んだ。
「ええ。皆さん、本当にお疲れさまでした」
澪は怜司へ視線を向けた。
「レイジさん」
「はい?」
「今日の子供たち、とても楽しそうでしたね」
「……はい」
怜司は微笑んだ。
「僕も、すごく楽しかったです」
澪は嬉しそうに頷いた。
そのとき、先ほどの男の子が駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん!」
「ん?」
怜司が振り返る。
「今日はありがとう!」
男の子は満面の笑みを浮かべていた。
「僕、また走りたい!」
怜司は胸がいっぱいになった。
「……うん。ぜひ、また走ってみてね」
「うん!」
男の子は元気よく手を振り、保護者のもとへ戻っていった。
怜司はその背中を見送った。
強くなること。
成長すること。
それは、自分のためだけではない。
誰かの一歩を支える力にもなる。
そのことを、今日改めて学んだ気がした。
聖蘭学園のスポーツ体験会は、こうして無事に幕を閉じた。
そして六人の研究班には、最後の成果発表という大切な仕事が残されていた。




