第8話 異世界の街と金髪の少女
ルミナス家へ来てほしい。
騎士ガルドからそう告げられた黒瀬怜司は、返事に困っていた。
「……えっと、ルミナス家っていうのは……」
目の前には、銀色の鎧をまとった騎士たち。
その隣には、淡い金髪の少女エリシアが立っている。
そして足元には、縄で縛られた三人の盗賊。
つい先ほどまで命懸けで戦っていたことが、まるで嘘のようだった。
「ルミナス家をご存じないのですか?」
ガルドが不思議そうに尋ねる。
「……すみません」
怜司は素直に頭を下げた。
「俺、ここら辺のことを全然知らなくて……」
ガルドの眉がわずかに動いた。
だが、何かを問い詰める前に、エリシアが口を開いた。
「ガルド。レイジ様は、遠方からいらした方なのかもしれません」
「……しかし、お嬢様」
「それに、私の命の恩人です。まずは感謝をお伝えするべきではありませんか?」
エリシアの声は柔らかかった。
けれど、その言葉には芯があった。
ガルドは一瞬、口を閉じる。
そして、深く頭を下げた。
「……おっしゃる通りです」
怜司は、二人のやり取りを見つめていた。
お嬢様。
騎士。
ルミナス家。
やはり、エリシアは普通の少女ではないらしい。
「……あの」
怜司は遠慮がちに口を開いた。
「招待してもらえるのは嬉しいんですけど……俺、あまり長くいられなくて」
エリシアが目を丸くする。
「……そうなのですか?」
「うん。家で待ってる人がいるから」
その言葉に、エリシアは少しだけ表情を和らげた。
「……ご家族、ですか?」
「うん」
怜司は頷いた。
「父さんと母さんと、妹がいるんだ」
「……妹さん」
エリシアは小さく微笑んだ。
「大切にされているのですね」
「……まあ、うん」
怜司は少し照れた。
「すごく大事な家族だから」
その言葉を聞いたエリシアは、なぜか嬉しそうだった。
「……素敵です」
怜司は目を逸らした。
こんなふうに真っ直ぐ褒められることに、まだ慣れていなかった。
◇ ◇ ◇
結局、怜司は短い時間だけ街へ同行することになった。
ガルドは、部下の騎士たちに盗賊の身柄を確保させ、倒れた荷馬車の確認を始めた。
怜司はその様子を見ながら、少し気になっていたことを尋ねた。
「……エリシア」
「はい、レイジ様」
「荷馬車に乗ってた人たちは……?」
エリシアの表情が曇った。
「……御者の方と護衛の方が、襲撃の際に負傷しました」
「……えっ」
怜司は周囲を見回した。
確かに、荷馬車の向こう側には、騎士たちに介抱されている男性が二人いた。
一人は腕に包帯を巻かれ、もう一人は肩を押さえている。
怜司は胸を撫で下ろした。
「……生きてるんだな」
「はい。幸い、命に関わる傷ではないそうです」
「……よかった」
怜司は心からそう思った。
もし、自分がもう少し遅れていたら。
考えただけで、背筋が冷たくなる。
エリシアはそんな怜司を見つめ、静かに言った。
「……レイジ様は、本当にお優しい方なのですね」
「……え?」
「ご自身が危険な目に遭われたのに、まず他の方の心配をなさるから」
怜司は言葉に詰まった。
優しい。
そんなふうに言われたのは、いつ以来だろう。
学校では、優しさは弱さだと思われていた。
反抗しないから、殴られる。
言い返さないから、馬鹿にされる。
誰かを気遣えば、都合よく使われる。
いつの間にか、優しい自分でいることが嫌になっていた。
「……別に、そんな大したことじゃないよ」
怜司は小さく答えた。
エリシアは首を横に振った。
「いいえ」
そして、真っ直ぐに微笑んだ。
「私は、とても素敵なことだと思います」
怜司は、それ以上何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
しばらくして、騎士たちの準備が整った。
負傷者は手当てを受け、盗賊たちは縄で拘束されたまま別の馬車へ乗せられている。
怜司はエリシアに案内され、小さな馬車へ乗り込んだ。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
木製の座席。
柔らかなクッション。
窓から見える森の景色。
本当に、物語の中に入り込んだようだった。
「……馬車、初めてですか?」
エリシアが尋ねる。
「……うん」
怜司は頷いた。
「こんなの、本でしか見たことなくて」
「……本、ですか?」
「あ、いや……その……」
怜司は慌てて言葉を濁した。
エリシアは不思議そうに首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
馬車がゆっくりと動き出す。
車輪が土を踏み、木製の車体が小さく揺れる。
怜司は窓の外を見つめた。
森の木々が、少しずつ後ろへ流れていく。
その光景を見ていると、ようやく実感が湧いてきた。
自分は今、本当に異世界にいる。
しかも、初めて出会った少女と馬車に乗っている。
昨日までの自分なら、想像すらできなかったことだった。
「……レイジ様」
「ん?」
エリシアが、少し遠慮がちに口を開いた。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……うん。俺に分かることなら」
「……どうして、私を助けてくださったのですか?」
怜司は、すぐには答えられなかった。
「……どうしてって……」
「レイジ様には、何の関係もないことだったはずです」
エリシアは膝の上で両手を重ねた。
「それなのに、命を懸けて助けてくださいました」
怜司は窓の外へ視線を向けた。
森の景色が流れていく。
少し考えてから、口を開いた。
「……昔から、弱い者いじめが嫌いなんだ」
エリシアは黙って聞いていた。
「誰かが一方的に傷つけられてるのを見ると……放っておけなくて」
「……そうなのですね」
「……でも」
怜司は自分の手を見つめた。
「今までは、何もできなかった」
その声には、自然と苦いものが混じった。
「助けたいと思っても、怖くて動けなかったり……自分自身が、助けてもらう側だったり」
エリシアの表情が変わった。
怜司は苦笑した。
「……だから、今日は」
少しだけ間を置く。
「初めて、誰かを助けられた気がしたんだ」
馬車の中が静かになった。
エリシアは、しばらく怜司を見つめていた。
そして、小さく口を開いた。
「……レイジ様」
「……うん?」
「私、助けていただいたことも嬉しかったのですが……」
少女は胸元に手を当てた。
「あなたが、私を助けてよかったと思ってくださっていることが……もっと嬉しいです」
怜司は目を見開いた。
エリシアは柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
怜司は、何も言えなくなった。
ただ、胸の奥が温かくなった。
◇ ◇ ◇
馬車に揺られること、しばらく。
森を抜けた先に、広い草原が現れた。
そして、その向こうに。
「……うわぁ……」
怜司は思わず身を乗り出した。
巨大な石造りの城壁。
高くそびえる見張り塔。
その奥には、赤い屋根の建物が無数に並んでいる。
まるで、ゲームや映画の中に登場する中世都市そのものだった。
「あちらが、ルミナス領の中心都市、ルミエールです」
エリシアが説明した。
「……ルミエール」
「はい。商業と職人の街として知られています」
怜司は目を輝かせた。
「……すごい」
門の前には、荷馬車や旅人たちが列を作っていた。
大きな荷物を背負った商人。
剣を腰に下げた冒険者らしき人々。
そして、耳の長い女性や、獣の耳を持つ少年までいる。
「……えっ!?」
怜司は思わず声を上げた。
「……あの人たち……」
エリシアが窓の外を見る。
「ああ、エルフ族や獣人族の方々ですね」
「……エルフ!? 獣人!?」
思わず大きな声が出た。
エリシアが目を丸くする。
「……珍しいですか?」
「……すごく」
怜司は正直に答えた。
耳が長い。
本当に、耳が長い。
しかも、獣人の少年の頭には、ふさふさした耳がついている。
怜司は思わず窓に顔を近づけた。
「……本物だ……」
エリシアは、その様子を見て小さく笑った。
「ふふっ」
「……あ」
怜司は慌てて姿勢を戻した。
「……ご、ごめん」
「いいえ」
エリシアは楽しそうに微笑んだ。
「レイジ様は、時々とても不思議な反応をなさいますね」
「……よく言われる」
もちろん、実際にはそんなことを言われた覚えはなかった。
ただ、どう答えればいいのか分からなかっただけだ。
エリシアはくすくすと笑った。
その笑顔を見ていると、怜司も自然と笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
城門を通過すると、街の賑わいが一気に近づいてきた。
石畳の道。
露店に並ぶ色鮮やかな果物。
焼きたてのパンの香り。
道端で商品を売る商人たちの声。
「……すげえ……」
怜司は何度も呟いた。
日本の街とは、まるで違う。
自動車も、信号機も、電線もない。
代わりに、馬車が行き交い、人々が活気に満ちた声を上げている。
怜司は窓の外を見つめ続けた。
そして、ふと気づいた。
道端に、数人の子供たちが座っている。
服は古く、顔には疲れが浮かんでいた。
その隣を、立派な衣服を着た商人が通り過ぎていく。
「……エリシア」
「はい?」
「あの子たちは……?」
エリシアは窓の外を見た。
そして、少し表情を曇らせた。
「……生活に困っている子供たちです」
「……そうなんだ」
「領内でも、すべての方が豊かに暮らせているわけではありません」
エリシアは静かに続けた。
「父も、支援のために色々と取り組んでいるのですが……まだ十分ではなくて」
怜司は、もう一度子供たちを見た。
異世界。
魔法。
冒険。
夢のような場所だと思っていた。
だが、ここにも苦しんでいる人がいる。
そして、助けを必要としている人がいる。
「……そうか」
怜司は小さく呟いた。
強くなること。
それだけでは、すべてを解決できないのかもしれない。
そんなことを、初めて考えた。
◇ ◇ ◇
やがて馬車は、街の中心部を抜け、高台へ向かった。
そこには、ひときわ大きな屋敷が建っていた。
「……うわ……」
怜司は再び言葉を失った。
白い石造りの外壁。
広大な庭園。
噴水。
そして、門の両側に立つ衛兵たち。
どう見ても、普通の家ではない。
「……ここが、ルミナス家?」
「はい」
エリシアが微笑んだ。
「ようこそ、我が家へ」
怜司は、思わず自分の制服を見下ろした。
森での戦闘で袖が破れ、胸元にも小さな裂け目がある。
泥もついていた。
こんな格好で入っていい場所なのだろうか。
「……俺、場違いじゃない?」
思わず尋ねる。
すると、エリシアは不思議そうに首を傾げた。
「……どうしてですか?」
「いや、その……服も汚れてるし」
エリシアは怜司の制服を見た。
そして、少しだけ悲しそうな顔をした。
「……その服は、私を助けてくださったときに傷ついたのですよね」
「……まあ、うん」
「でしたら、恥ずかしいことなど何もありません」
怜司は目を見開いた。
エリシアは、真っ直ぐに言った。
「私にとっては、とても立派な服です」
「……っ」
怜司は言葉に詰まった。
学校では、制服が汚れていると笑われた。
太っていることも。
見た目も。
何もかも、馬鹿にされた。
けれど、この少女は違った。
自分の服が破れた理由を、ちゃんと見てくれている。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「……ありがとう」
怜司は小さく答えた。
エリシアは嬉しそうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
屋敷の門が開かれる。
馬車がゆっくりと進み、玄関前で止まった。
ガルドが扉を開ける。
「エリシア様、到着いたしました」
「ありがとうございます、ガルド」
エリシアが馬車を降りる。
怜司も続いた。
すると、玄関の大きな扉が開き、中から一人の男性が現れた。
四十代ほどだろうか。
銀色の髪。
整った顔立ち。
深い青色の瞳。
そして、背筋を伸ばした堂々たる姿。
その男性は、エリシアを見るなり表情を変えた。
「……エリシア!」
「お父様!」
エリシアが駆け寄る。
男性は娘を強く抱きしめた。
「……無事でよかった」
その声は、わずかに震えていた。
「襲撃されたと聞いたときは、心臓が止まるかと思ったぞ」
「……ご心配をおかけしました」
「怪我はないか?」
「はい。大丈夫です」
男性は何度も娘の顔を確かめた。
怜司は、その様子を静かに見つめていた。
――父親、なんだな。
正臣の顔が浮かんだ。
自分が学校で傷ついて帰ったとき、父もこんな顔をしていた。
世界が違っても。
家族を心配する気持ちは、同じなのかもしれない。
やがて男性が怜司に気づいた。
「……君が?」
ガルドが一歩前へ出る。
「はい、閣下。こちらがエリシア様を救ってくださった、黒瀬怜司殿です」
男性は怜司を見つめた。
その視線には、威圧感があった。
だが、敵意は感じられなかった。
怜司は慌てて頭を下げる。
「……く、黒瀬怜司です」
男性は数秒ほど黙っていた。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「……娘を救ってくれたこと、心から感謝する」
怜司は目を見開いた。
「……えっ!?」
目の前の男性は、明らかに偉い人物だ。
そんな人が、自分に頭を下げている。
「ちょ、ちょっと! 頭を上げてください!」
怜司が慌てると、男性は少し驚いたような顔をした。
そして、穏やかに微笑んだ。
「……君は、随分と謙虚なのだな」
「い、いや、そんなことは……」
男性は姿勢を正した。
「私は、アルベルト・ルミナス」
そして、静かに名乗った。
「このルミナス領を治める、ルミナス伯爵家の当主だ」
怜司は固まった。
「……は?」
伯爵。
その言葉の意味くらいは知っている。
つまり。
エリシアは。
「……えっ、貴族のお嬢様……?」
思わず呟く。
すると、エリシアが少し照れたように笑った。
「……はい。実は、そうなのです」
怜司は、天を仰ぎたくなった。
異世界に来て、魔物と戦って。
盗賊を倒して。
助けた少女が、伯爵令嬢だった。
「……そんなこと、あるんだ……」
アルベルトは怜司の反応を見て、少しだけ笑った。
「ははは。面白い少年だ」
そして、真剣な表情に戻る。
「怜司殿」
「……はい」
「君には、ぜひ礼をさせてほしい」
怜司は慌てて首を振った。
「い、いや! そんな、礼なんて……」
「遠慮する必要はない」
アルベルトは静かに言った。
「君は、私にとって何より大切な娘の命を救ってくれたのだ」
その言葉には、父親としての深い感謝が込められていた。
怜司は、何も言えなくなった。
そして、そのとき。
視界の端に、半透明の文字が浮かび上がった。
【神級権能《万象習得》】
【異世界共通語の理解度が上昇しました】
【異世界共通語:基礎習得完了】
「……え?」
怜司は思わず瞬きをした。
今まで普通に会話できていたことを、深く考えていなかった。
だが、よく考えればおかしい。
自分は、この世界の言葉を知らない。
それなのに、なぜ会話ができる?
答えは、目の前に表示されていた。
――万象習得。
この能力は、戦闘だけではない。
言語。
知識。
技術。
あらゆるものを、学ぶことができる。
怜司は、ゆっくりと拳を握った。
この世界には、まだ知らないことが山ほどある。
そして、自分にはそれを学ぶ力がある。
「……怜司殿?」
アルベルトの声に、怜司は我に返った。
「あっ、すみません!」
慌てて頭を下げる。
すると、エリシアがくすくすと笑った。
「ふふっ。レイジ様は、本当に不思議な方ですね」
怜司は苦笑した。
「……よく言われるよ」
そのとき。
屋敷の奥から、執事らしき男性が姿を現した。
「旦那様。お客様をお迎えする準備が整いました」
アルベルトが頷く。
「うむ」
そして、怜司へ向き直った。
「さあ、怜司殿。中へ」
怜司は大きな屋敷を見上げた。
日本では、誰にも相手にされなかった自分。
教室の隅で、ただ耐えるしかなかった自分。
そんな自分が今、異世界の貴族に招かれている。
人生が変わり始めている。
その実感が、胸の奥に広がった。
怜司は深く息を吸った。
「……お邪魔します」
そして、屋敷の中へ一歩を踏み出した。
その先に待つ出会いが、彼の運命をさらに大きく動かすことになるとは、まだ知らずに。




