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虐げられた俺は異世界で神を超える 〜傷ついた黒猫を助けたら、現実世界での復讐が始まった〜  作者: 覇王が好き


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第77話 二人きりの資料室――静かな少女の小さな勇気

第77話 二人きりの資料室――静かな少女の小さな勇気


 藤宮詩織は、昔から静かな場所が好きだった。


 騒がしい教室より図書館。


 大勢で過ごす時間より、一人で本を読む時間。


 誰かと話すことが嫌いなわけではない。


 ただ、自分の考えを言葉にするまでに、少し時間が必要なのだ。


 私立聖蘭学園に入学してからも、それは変わらなかった。


 周囲には優秀な生徒が多く、詩織自身も研究や学問の分野では高く評価されている。


 けれど、人前で積極的に意見を主張するのは、今でも得意ではない。


 そんな彼女が、最近少しだけ変わり始めていた。


 きっかけは、一人の少年だった。


「詩織さん、お待たせ!」


 放課後の資料室。


 扉が開き、黒瀬怜司が顔を出した。


「いえ。私も今来たところです」


「よかった。今日はアンケートの作り方を教えてもらおうと思って」


「教えるというほどのことではありませんけど……」


 詩織は小さく笑った。


「でも、一緒に考えましょう」


「ありがとう!」


 怜司は嬉しそうに椅子へ座った。


 机の上には、研究発表会に向けた資料が並んでいる。


 参加する子供たちに、どのような質問をすればよいのか。


 それが今日の課題だった。


「まず、質問はできるだけ簡単な言葉にした方がいいと思います」


「小学生が相手だから?」


「はい。それに、答えを誘導しないことも大切です」


「誘導?」


「例えば『運動は楽しかったですか?』だけだと、楽しかったと答えなければいけない気持ちになる子もいるかもしれません」


「ああ、なるほど」


 怜司は真剣に頷いた。


「じゃあ、『今日の運動はどう感じましたか?』って聞いて、いくつか選択肢を用意する方がいいのかな」


「そうですね。『とても楽しかった』『少し楽しかった』『どちらでもない』『あまり楽しくなかった』というように」


「それなら答えやすそうだ」


 詩織はペンを動かしながら、怜司の横顔を見た。


 彼は話を聞くとき、必ず相手の方を向く。


 分からないことがあれば、その場で質問する。


 理解できれば、素直に喜ぶ。


 そんな当たり前のようでいて、案外難しいことを自然にしている。


「詩織さん?」


「……はい?」


「今の説明、もう一回聞いてもいい?」


「あ、もちろんです」


 詩織は慌てて資料に目を落とした。


(……何をしているんでしょう、私)


 集中しなければ。


 そう思うのに、どうしても隣の少年が気になってしまう。


 ◇◆◇


 二人で作業を始めて、一時間ほど経った。


 アンケートの大枠が完成し、怜司は大きく息を吐いた。


「すごいなあ。最初は何を聞けばいいのか全然分からなかったのに」


「黒瀬君も、たくさん良い意見を出してくれましたよ」


「そうかな?」


「はい。特に、運動が苦手な子への質問を増やそうって提案は、とても大切だと思います」


 怜司は照れくさそうに笑った。


「昔の俺も、運動はあんまり得意じゃなかったからさ」


「……そうなんですか?」


「うん。体育の時間が憂鬱だったこともあるよ」


 詩織は少し驚いた。


 今の怜司は、運動神経が良く、体力もある。


 隼人と一緒に運動する姿を見ても、苦手だったとは想像しにくい。


「意外です」


「よく言われる」


 怜司は笑った。


「でも、苦手な子が楽しくない気持ちは、少し分かるつもりなんだ」


「……だから、勝ち負けだけにしない企画にしたいんですね」


「そう。得意な子だけが楽しいイベントにはしたくないから」


 詩織は、手元のペンを止めた。


 この人は、自分ができるようになったからといって、できなかった頃の気持ちを忘れていない。


 それが、なんだか嬉しかった。


「黒瀬君」


「ん?」


「私、この企画に参加できてよかったです」


「俺もだよ。詩織さんがいてくれて本当に助かってる」


「……そういう意味ではなくて」


 思わず言いかけて、詩織は口を閉じた。


 怜司が不思議そうに首を傾げる。


「どういう意味?」


「……皆さんと、こうして一つのことに取り組めるのが嬉しいんです」


 それは嘘ではなかった。


 ただ、全部でもなかった。


 怜司は穏やかに微笑んだ。


「そっか。俺も同じだよ」


 その笑顔に、詩織の胸がじんわりと温かくなる。


 ◇◆◇


 資料室の窓から差し込む夕日が、机の上を橙色に染め始めた。


「そろそろ片づけようか」


「そうですね」


 二人は資料をまとめ、使用した本を棚へ戻した。


 詩織が上段に置かれた参考書へ手を伸ばしたときだった。


「あ……」


 背表紙に指は届くものの、うまく引き出せない。


「どれ?」


 隣から怜司の声がした。


「その、青い表紙の本です」


「これだね」


 怜司は自然な動作で本を取り、詩織へ手渡した。


「はい」


「ありがとうございます」


 ただそれだけのこと。


 けれど、思いのほか距離が近かった。


 詩織は本を受け取りながら、思わず視線を落とす。


「……詩織さん?」


「な、何でもありません」


「顔、赤くない? 暑かったかな」


「大丈夫です」


 詩織は小さく首を振った。


 そして、胸の中で思う。


(黒瀬君は、本当に気づかないんですね)


 自分がどれほど人の心を動かしているのか。


 その無自覚さが、少しだけずるい。


 ◇◆◇


 資料室を出る頃には、廊下を歩く生徒も少なくなっていた。


「今日はありがとう、詩織さん」


「こちらこそ。とても勉強になりました」


「また一緒に作業してもらってもいい?」


 その問いに、詩織は足を止めた。


「……はい」


 少しだけ勇気を出す。


「私も、黒瀬君と一緒に調べる時間が好きです」


「え?」


 怜司が目を瞬かせた。


 詩織は慌てて付け加える。


「その……一人では思いつかない考え方に気づけますし」


「ああ、なるほど!」


 怜司は明るく笑った。


「俺も詩織さんと話してると、すごく勉強になるよ」


「……ありがとうございます」


 詩織も微笑んだ。


 けれど、胸の奥には少しだけ複雑な気持ちが残った。


(……そういう意味だけでは、なかったんですけど)


 それでも、後悔はしていない。


 自分から気持ちを伝えられた。


 ほんの少しだけ、前に進めた気がした。


 昇降口で怜司と別れ、詩織は夕暮れの校庭を見つめた。


 そこには、部活動を終えた生徒たちの笑い声が響いている。


 いつもなら、静かな帰り道を好むはずだった。


 けれど今日は。


(……明日も、会えるでしょうか)


 そんなことを考えている自分がいた。


 藤宮詩織は、まだ恋という言葉を口にしていない。


 だが、その心は確かに、一人の少年へと向かい始めていた。

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