第52話 九条院家の当主――父親同士が交わした言葉
第52話 九条院家の当主――父親同士が交わした言葉
九条院家の迎賓施設。
広々とした応接室に、穏やかな空気が流れていた。
黒瀬怜司と父の正臣は、九条院宗一郎と向かい合って座っていた。
その隣には、九条院澪がいる。
宗一郎は、改めて怜司へ頭を下げた。
「娘から、事故のことを詳しく聞きました」
怜司は、少し緊張しながら答えた。
「……いえ。俺は、できることをしただけなので」
宗一郎は、静かに首を横に振った。
「それでも、簡単にできることではありません」
そして、真剣な表情になった。
「娘が無事だったのは、あなたのおかげです」
怜司は、少し照れくさくなった。
「……ありがとうございます」
宗一郎は、正臣へ視線を向けた。
「黒瀬さん。息子さんには、本当に感謝しています」
正臣は、ゆっくりと頷いた。
「こちらこそ、娘さんが無事で何よりです」
そして、少しだけ苦笑した。
「ただ、父親としては、息子が危険な目に遭ったことに肝を冷やしました」
宗一郎は、深く頷いた。
「……お気持ちは、よく分かります」
その言葉に、二人の父親は少しだけ表情を和らげた。
立場は違う。
暮らしている世界も違う。
だが、子供を大切に思う気持ちは同じだった。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
宗一郎は、テーブルの上に小さな箱を置いた。
「ささやかですが、感謝の気持ちとして受け取っていただけないでしょうか」
怜司は、少し驚いた。
「……え?」
箱の中には、高級な万年筆が収められていた。
落ち着いた黒色の軸。
細かな装飾。
見るからに上質な品だった。
「……こんな立派なものを?」
宗一郎は、穏やかに微笑んだ。
「これから勉強を続けるうえで、使っていただければ嬉しいです」
怜司は、少し迷った。
高価そうなものを、簡単に受け取っていいのだろうか。
正臣を見る。
父は、静かに頷いた。
「……感謝の気持ちとしてなら、ありがたく受け取っておこう」
怜司は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。大切に使います」
宗一郎は、満足そうに微笑んだ。
「そう言っていただけると嬉しいです」
◇ ◇ ◇
その後、話題は学校生活へ移った。
「怜司君は、今、高校一年生だったね」
宗一郎が尋ねた。
「はい」
「澪も同じ年頃だ。今は十六歳で、私立の学校に通っている」
怜司は、澪を見た。
「そうなんですね」
澪は、少し笑った。
「はい。少し厳しい学校ですけれど、勉強する環境は整っています」
宗一郎は、穏やかに頷いた。
「娘の学校には、さまざまな家庭の生徒が集まっている。学業だけでなく、国際交流にも力を入れているんだ」
怜司は、興味深そうに聞いていた。
今の学校とは、かなり違う環境らしい。
「……すごいですね」
宗一郎は、少し笑った。
「もし興味があれば、今度学校の資料でも見てみるといい」
怜司は頷いた。
「……ありがとうございます」
正臣は、その様子を静かに見守っていた。
息子は、以前よりずっと前向きになっている。
新しいことを知ろうとする姿勢。
人と自然に話せるようになったこと。
そして、自分の意見を持ち始めたこと。
その変化が、父親として嬉しかった。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
澪が、少し遠慮がちに口を開いた。
「お父様」
「どうした、澪?」
「もしよろしければ、レイジさんに庭園をご案内してもよろしいでしょうか?」
宗一郎は、娘を見た。
そして、柔らかく微笑んだ。
「もちろんだよ」
澪は、嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます」
怜司も立ち上がった。
「では、少し失礼します」
正臣が笑った。
「楽しんでおいで」
「うん」
二人は、並んで応接室を出た。
◇ ◇ ◇
庭園には、季節の花々が咲いていた。
整えられた小道。
小さな噴水。
そして、木陰に置かれたベンチ。
澪は、ゆっくりと歩きながら言った。
「今日は、来てくださって本当に嬉しいです」
怜司は、少し笑った。
「俺も、澪さんとまた話せて嬉しいです」
澪は、少しだけ頬を赤くした。
「……ありがとうございます」
二人は、しばらく庭園を歩いた。
学校のこと。
好きな食べ物。
休日の過ごし方。
そんな何気ない話題が続いた。
怜司は、澪が読書を好きなことを知った。
澪は、怜司が最近運動を始めたことを知った。
「レイジさんは、どんな本を読まれるのですか?」
「最近は、商売とかお金の勉強をする本が多いです」
澪は、少し驚いた。
「まあ。高校一年生で、ですか?」
「まだ全然分からないことばかりですけど」
怜司は、少し照れくさそうに笑った。
「将来のために、勉強しておきたいなって」
澪は、怜司を見つめた。
「……素敵ですね」
「……え?」
「ご自分の将来を、きちんと考えていらっしゃるのですね」
怜司は、少し照れくさくなった。
「……そんな大したことじゃないですよ」
澪は、首を横に振った。
「いいえ。私は、そういう方を尊敬します」
その言葉に、怜司の胸が少し温かくなった。
◇ ◇ ◇
一方、応接室。
正臣と宗一郎は、二人で話していた。
「……息子さんは、立派な方ですね」
宗一郎が言った。
正臣は、少し苦笑した。
「まだまだ未熟なところもありますよ」
「それでも、あの年齢で人を助けるために動けるのは、簡単なことではありません」
正臣は、静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
そして、少しだけ表情を曇らせた。
「実は、息子は最近まで学校で辛い思いをしていまして」
宗一郎は、真剣な表情になった。
「……そうでしたか」
正臣は、詳細を必要以上に話すことはしなかった。
ただ、いじめがあり、学校との話し合いを経て、ようやく落ち着き始めたことを伝えた。
宗一郎は、黙って聞いていた。
そして、静かに言った。
「……それは、大変でしたね」
正臣は頷いた。
「息子が今、前向きになってくれていることが、何より嬉しいんです」
宗一郎は、少し考えた。
そして、穏やかに言った。
「もし今後、進路や学習環境について相談したいことがあれば、遠慮なくお声がけください」
正臣は、少し驚いた。
「……よろしいんですか?」
「もちろんです」
宗一郎は微笑んだ。
「ただし、息子さん自身の意思が一番大切です」
正臣は、深く頷いた。
「……ありがとうございます」
◇ ◇ ◇
夕方。
怜司と正臣が帰る時間になった。
澪は、玄関まで見送りに来ていた。
「レイジさん」
「はい?」
「今日は、本当にありがとうございました」
怜司は、笑顔で答えた。
「こちらこそ、楽しかったです」
澪は、少しだけ頬を赤くした。
「……また、お会いできますか?」
怜司は、迷わず頷いた。
「はい。ぜひ」
その言葉に、澪の顔が明るくなった。
「……嬉しいです」
怜司は、少し照れくさくなった。
そして、正臣とともに車へ向かった。
澪は、その背中を見送っていた。
彼が見えなくなるまで、ずっと。
◇ ◇ ◇
帰りの車内。
正臣が、少し笑った。
「……いい子だったな」
怜司は、窓の外を見ながら頷いた。
「……うん」
「澪さん、だっけ?」
「うん」
正臣は、少しだけ口元を緩めた。
「ずいぶん楽しそうに話してたじゃないか」
怜司は、思わず頬を赤くした。
「……父さん」
「ははは。悪い悪い」
正臣は笑った。
だが、その表情は嬉しそうだった。
息子が新しい人間関係を築いている。
それは、父親として何より喜ばしいことだった。




