第48話 初めての大口取引――異世界に生まれた新たな商機
第48話 初めての大口取引――異世界に生まれた新たな商機
ベルン商会の応接室には、甘い香りが漂っていた。
テーブルに並んでいるのは、怜司が日本から持ち込んだチョコレートと焼き菓子だ。
その向かいでは、トーマス・ベルンが一枚の注文書を眺めていた。
「レイジ君。君に、いい報告がある」
「いい報告ですか?」
「ああ。先日、貴族のお客様に紹介した菓子だが、追加の注文が入った」
トーマスは注文書を怜司の方へ向けた。
そこには、いくつもの数量が記されている。
「最初に試していただいた方が、別の方への贈り物に使いたいとおっしゃってね。さらに、その話を聞いた別のお客様からも問い合わせがあった」
「そんなに評判がよかったんですか?」
「予想以上だよ」
トーマスは満足そうに笑った。
ただし、怜司が嬉しくなったのも束の間、彼はすぐに表情を引き締めた。
「でも、全部の注文を受けるのは難しいかもしれません」
「ほう?」
「特にチョコレートは、暑い場所に置くと溶けてしまいます。こちらでどんなふうに保管するかも確認したいです」
トーマスは目を細めた。
「なるほど。君は商品の弱点まで把握しているんだね」
「故郷では普通に知られていることなんですけど……」
「それでも重要なことだよ。売ったあとに品質が落ちれば、お客様は二度と買ってくれないからね」
二人は、注文書を一つずつ確認していった。
まずは保存しやすい個包装の焼き菓子を中心にする。チョコレートは少量に限定し、涼しい場所で保管する。
そして、注文数が増えても怜司が無理をしないよう、毎回の仕入れ量に上限を設けることになった。
「では、今回はこちらの数量で」
トーマスが示した数字を見て、怜司は頷いた。
「それなら用意できます」
「よし。では、正式に注文しよう」
トーマスは契約書を差し出した。
怜司は、以前より落ち着いて内容を確認できるようになっていた。
商品の種類。
数量。
受け渡し日。
代金。
そして、不良品があった場合の扱い。
すべてを確かめてから、署名する。
「……これで大丈夫です」
「ありがとう。君となら、安心して商売ができそうだ」
その言葉が、怜司には何より嬉しかった。
◇ ◇ ◇
商談が終わると、トーマスは別の小箱を取り出した。
「ところで、レイジ君。今日は私からも見てもらいたいものがある」
「何ですか?」
箱の中には、透き通った青い石が収められていた。
大きさは親指の先ほど。
光を受けると、内部に細かな輝きが走る。
「綺麗ですね……」
「《蒼晶石》という鉱石だよ。魔力を含む石で、装飾品にも使われる」
怜司は興味深そうに覗き込んだ。
「これって、高いんですか?」
「品質によるが、これは比較的安価なものだ。鉱山からまとまって産出されるからね」
「そうなんですね」
怜司は石を見つめた。
日本では見たことのない輝きだった。
「……こういうものって、日本ではどうなんだろう」
「ニホン?」
「あっ、俺の故郷です」
トーマスは頷いた。
「なるほど。君の故郷では珍しいのかもしれないね」
怜司は、慎重に考えた。
もし日本で宝石として価値があるなら、金貨とは別の資産になる可能性がある。
だが、見たことのない鉱石を売却するのは簡単ではないだろう。
そもそも、魔力を含むという性質が日本でどう扱われるのかも分からない。
「……いきなり売るのは難しそうですね」
「それなら、まずは勉強だ」
トーマスは笑った。
「石の価値を知らずに売買するのは、商人にとって危険なことだからね」
怜司も頷いた。
異世界の品物を日本へ持ち込める。
その事実だけで、何でも高く売れるわけではない。
むしろ、価値を正しく知ることが大切なのだ。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
怜司は、ルミエールの市場を歩いていた。
商人たちの声。
荷車の車輪が石畳を転がる音。
焼きたてのパンの香り。
街道の事件が解決してから、市場は以前の賑わいを取り戻しつつあった。
「レイジ様!」
聞き覚えのある声に振り返ると、エリシアがガルドとともに歩いてきていた。
「エリシア!」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「今日はベルン商会へいらしていたのですか?」
「はい。新しい注文の相談をしてきました」
「まあ! 順調なのですね」
怜司は少し照れくさくなった。
「まだ始めたばかりですけど」
エリシアは、ふと市場の露店へ視線を向けた。
そこには、果物を売る老夫婦がいた。
以前、街道封鎖の影響で仕入れに困っていた店だ。
「……あのお店も、ようやく元気になりました」
エリシアが言った。
「以前は商品がほとんど並んでいなかったんです」
怜司は露店を見た。
店先には色とりどりの果物が並び、客が楽しそうに品物を選んでいる。
「……よかったですね」
「はい」
エリシアは、優しく微笑んだ。
「レイジ様が守ってくださったのは、こういう毎日なのだと思います」
怜司は少し驚いた。
自分がやったのは、仲間たちと一緒に事件を解決することだった。
だが、その結果として、街の人々の暮らしが戻ってきた。
そのことを、改めて実感した。
「……俺も、嬉しいです」
エリシアは頷いた。
そして、少しだけいたずらっぽく笑った。
「ところで、レイジ様」
「はい?」
「次のお菓子は、どのようなものなのでしょう?」
怜司は思わず笑った。
「エリシア、もしかして楽しみにしてます?」
「……はい!」
彼女は迷わず答えた。
その素直さに、怜司も笑顔になった。
「じゃあ、今度は別の種類も探してみます」
「本当ですか!?」
「はい。でも、食べすぎには注意してくださいね」
エリシアは一瞬きょとんとしたあと、頬を赤くした。
「も、もう! レイジ様!」
ガルドは少し離れた場所で、静かに笑っていた。
◇ ◇ ◇
夜。
日本へ戻った怜司は、自室の机で計算をしていた。
異世界での売上は、確かに増えている。
ただし、現時点では日本円として自由に使えるお金ではない。
金貨を売却する方法も、まだ調査中だった。
怜司はノートに二つの項目を書いた。
『異世界で増やす資産』
『日本で使える資産』
そして、その間に大きな矢印を描く。
「……ここをどうするか、だよな」
異世界でいくら稼いでも、日本で安全に使えなければ意味がない。
しかし、急ぐ必要もなかった。
怜司には時間がある。
《界渡り》という力がある。
そして、異世界には信頼できる商人がいる。
まずは小さな取引を積み重ね、知識を身につける。
その先に、大きな可能性がある。
「……焦らず、確実に」
怜司はそう呟き、ノートを閉じた。
以前の自分なら、こんな未来を想像することすらできなかった。
だが、今は違う。
少しずつ、自分の人生を変えている実感があった。




