第44話 異世界商人との商談――日本の商品が秘める価値
第44話 異世界商人との商談――日本の商品が秘める価値
翌日。
ルミエール商業地区。
黒瀬怜司は、ベルン商会の前に立っていた。
石造りの建物。
大きな木製の扉。
入口には、商会の紋章が掲げられている。
以前、トーマス・ベルンが誘拐されたときには、商会全体が重苦しい雰囲気に包まれていた。
だが、今は違う。
荷馬車が出入りし、従業員たちが忙しそうに働いている。
「……よかった」
怜司は、小さく呟いた。
商会が立ち直り始めている。
そのことが、素直に嬉しかった。
怜司は扉を開け、中へ入った。
「いらっしゃいませ!」
受付の女性が、明るく声をかけてくる。
「あの、トーマスさんにお会いしたいんですが……」
怜司が名前を告げると、女性の表情が変わった。
「……もしかして、レイジ様ですか?」
「……はい」
「お待ちしておりました!」
女性は、嬉しそうに微笑んだ。
「会頭から、お話を伺っています。どうぞ、こちらへ!」
怜司は、少し驚きながら案内についていった。
◇ ◇ ◇
商会の応接室。
「レイジ君!」
トーマス・ベルンが、立ち上がって迎えてくれた。
「よく来てくれたね!」
「お久しぶりです、トーマスさん」
怜司は、頭を下げた。
トーマスは、嬉しそうに笑った。
「そんなにかしこまらなくていい。君は、私の命の恩人なんだから」
怜司は、少し照れくさくなった。
「……ありがとうございます」
二人は、向かい合って座った。
テーブルには、温かいお茶が用意されている。
「アルベルト伯爵から話は聞いているよ」
トーマスが口を開いた。
「君の故郷には、珍しい菓子があるそうだね」
「はい」
怜司は、持参した紙袋を取り出した。
中には、昨日とは別に用意したお菓子が入っている。
チョコレート。
クッキー。
そして、個包装のキャンディー。
「……よかったら、食べてみてください」
トーマスは、興味深そうに箱を手に取った。
「……ほう」
まず、包装をじっくりと観察する。
「……これは、驚いたな」
「……え?」
「箱の作りが非常に精巧だ」
トーマスは、角度を変えながら眺めた。
「印刷も鮮明だし、紙の質も均一だ。これだけでも、かなりの技術が必要だろう」
怜司は、少し驚いた。
日本では、当たり前の包装。
だが、異世界の商人にとっては、それ自体が価値を持つらしい。
トーマスは、箱を開けた。
そして、チョコレートを一つ口へ運んだ。
「…………!」
その動きが止まった。
数秒後。
「……これは、素晴らしい」
トーマスは、ゆっくりと頷いた。
「甘さだけではない。香り、口当たり、後味……すべてが整っている」
そして、怜司を見た。
「レイジ君。これは、君の故郷では高級品なのかい?」
怜司は、首を横に振った。
「……いえ。普通のお店で買えるものです」
トーマスは、目を見開いた。
「……普通の店で?」
「はい」
怜司は、少し笑った。
「もっと高いものもありますけど、これはそれほど高くないです」
トーマスは、しばらく黙っていた。
そして、深く息を吐いた。
「……君の故郷は、いったいどれほど豊かな場所なんだろうね」
怜司は、少し困ったように笑った。
日本のことを、詳しく話すわけにはいかない。
だが、トーマスの反応を見て、一つのことを確信した。
――……やっぱり、価値があるんだ。
◇ ◇ ◇
トーマスは、次にクッキーを食べた。
そして、キャンディーも試した。
そのたびに、感心したように頷いていた。
「……レイジ君」
「はい?」
「率直に聞いてもいいかな?」
「……はい」
トーマスは、真剣な表情になった。
「これらの商品を、継続して仕入れることはできるかい?」
怜司は、少し考えた。
「……数が少なければ、できると思います」
「なるほど」
トーマスは頷いた。
「では、商売として成立する可能性は十分にある」
怜司は、思わず身を乗り出した。
「……本当ですか?」
「ああ」
トーマスは、穏やかに微笑んだ。
「特に、貴族向けの贈答品としては非常に魅力的だ」
そして、少し声を落とした。
「ただし、問題もある」
「……問題?」
「安定して仕入れられるかどうかだ」
怜司は頷いた。
「……確かに」
「商売は、一度売れれば終わりというものではない」
トーマスは、丁寧に説明した。
「評判が広まれば、欲しがる人は増える。だが、商品を用意できなければ、信用を失ってしまう」
怜司は、真剣に聞いていた。
異世界で商売をする。
その発想は面白い。
だが、単に日本の商品を持ってくればいいというわけではないらしい。
「……じゃあ、最初は少しずつ試した方がいいんですね」
トーマスは、嬉しそうに笑った。
「そのとおり!」
そして、続けた。
「君は、なかなか商人向きかもしれないね」
怜司は、少し照れくさくなった。
「……そんなことないですよ」
「いやいや。無理に大きく始めようとしないのは、大切な判断だ」
◇ ◇ ◇
しばらくして。
トーマスは、一枚の紙を取り出した。
「では、試しに小規模な取引をしてみようか」
怜司は、目を見開いた。
「……取引、ですか?」
「ああ」
トーマスは、紙に数字を書き始めた。
「まずは、君が持ってきた商品を私が買い取る」
怜司は、少し緊張した。
「……はい」
「その後、私の商会で貴族向けに販売してみる。売れ行きを確認し、次の取引を考える」
怜司は頷いた。
「……分かりました」
トーマスは、机の上に金貨を置いた。
――チャリン。
小さな音が響く。
怜司は、思わず目を見開いた。
「……えっ?」
金貨。
しかも、複数枚。
「……これ、全部ですか?」
トーマスは、頷いた。
「もちろん。商品の価値を考えれば、妥当な金額だと思うよ」
怜司は、少し戸惑った。
日本では、それほど高くないお菓子だ。
それが、異世界では金貨になる。
あまりにも価値の違いが大きかった。
「……でも、こんなにもらっていいんですか?」
トーマスは、穏やかに笑った。
「商売とは、互いに納得して行うものだよ」
そして、続けた。
「君が安く手に入れられるものでも、こちらでは珍しい。それだけの価値があるということだ」
怜司は、金貨を見つめた。
――……すごい。
異世界での冒険者報酬。
伯爵家からの謝礼。
そして、今回の商売。
自分には、少しずつお金を稼ぐ手段が増えている。
だが、怜司はすぐに顔を上げた。
「……トーマスさん」
「何だい?」
「一つ、お願いしてもいいですか?」
トーマスは、首を傾げた。
「もちろん」
怜司は、少し考えながら言った。
「今回の取引、ちゃんと記録を残してもらえますか?」
トーマスは、一瞬驚いた。
そして、嬉しそうに笑った。
「……もちろんだよ」
「俺、商売のことはまだよく分からないので」
怜司は、少し照れくさそうに続けた。
「後で、ちゃんと確認できるようにしておきたいんです」
トーマスは、満足そうに頷いた。
「素晴らしい考えだ」
そして、契約書を取り出した。
「では、正式な売買記録を作ろう」
◇ ◇ ◇
商談を終えたあと。
怜司は、ベルン商会を出た。
手には、金貨の入った小さな袋。
そして、取引内容を記した書類。
「……本当に、売れたんだ」
怜司は、思わず呟いた。
日本では、普通に買えるお菓子。
それが、異世界では価値の高い商品になる。
この仕組みを上手く使えば、冒険者として危険な依頼を受けなくても収入を得られるかもしれない。
もちろん、問題はある。
日本から大量の商品を持ち込めば、仕入れ先について尋ねられるだろう。
異世界の金貨を日本で使うことも、簡単ではない。
さらに、日本で高額な取引を行うなら、年齢や税金、売却方法についても考える必要がある。
だが。
可能性は、確かに見えてきた。
「……まずは、少しずつだな」
怜司は、静かに頷いた。
そのとき。
「レイジ様!」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、エリシアがガルドとともに歩いてきていた。
「エリシア!」
怜司は、思わず笑顔になった。
エリシアも、嬉しそうに微笑んだ。
「トーマス会頭とのお話は、いかがでしたか?」
「はい。すごく勉強になりました」
怜司は、金貨の入った袋を軽く持ち上げた。
「それに、少しだけ商売もできました」
エリシアは、目を輝かせた。
「まあ! それは素晴らしいですね!」
そして、少しだけ首を傾げた。
「……でも、レイジ様」
「はい?」
「商売を始められるのでしたら、どうか無理はなさらないでくださいね」
怜司は、少し驚いた。
「……無理、ですか?」
「はい」
エリシアは、真剣な表情で続けた。
「お金を得ることは大切です。でも、それ以上に、レイジ様が元気でいてくださることが大切ですから」
怜司は、しばらく黙っていた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
エリシアも、嬉しそうに笑った。
「はい!」
ガルドは、そんな二人を少し離れた場所から見守っていた。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……お嬢様も、随分と楽しそうだ」
◇ ◇ ◇
その夜。
日本へ戻った怜司は、自室の机に金貨を並べていた。
異世界の通貨。
日本では、そのまま使うことはできない。
だが、もし金としての価値があるなら。
日本でも、資産として扱える可能性がある。
怜司は、スマートフォンを取り出した。
そして、金の買取価格について調べ始めた。
「……へえ」
画面には、金の相場や買取店の情報が表示されている。
怜司は、金貨を一枚手に取った。
ずっしりとした重み。
だが、その中にどれほど金が含まれているのかは分からない。
見た目だけで価値を判断することはできない。
「……まずは、ちゃんと調べないと」
怜司は、金貨を丁寧にしまった。
そして、ノートを開いた。
日本での仕入れ価格。
異世界での販売価格。
取引した商品の種類。
金貨の枚数。
それらを、一つずつ書き留めていく。
数字を並べてみると、思っていた以上に大きな可能性が見えてきた。
もちろん、まだ始まったばかりだ。
だが、怜司は確信していた。
自分には、普通の高校生にはない選択肢がある。
それをどう使うかは、自分次第だ。
「……面白くなってきたな」
怜司は、小さく笑った。
異世界での冒険。
日本での学校生活。
そして、新たに始まった商売。
黒瀬怜司の世界は、少しずつ広がっていた。




