第41話 失われた居場所――加害者たちに残された現実
第41話 失われた居場所――加害者たちに残された現実
鷹宮翔真が学校から姿を消して、五日が経過していた。
教室の後方にある彼の席は、今日も空いている。
以前なら、その周囲には堂島剛や三枝悠斗が集まり、休み時間になるたびに大きな笑い声を上げていた。
今は違う。
堂島は一人で過ごす時間が増え、三枝も必要以上に目立とうとしなくなった。
クラス全体が静かになったわけではない。
むしろ、以前より自然な会話が増えていた。
「黒瀬、次の数学って小テストあったっけ?」
「うん。教科書の四十二ページからだって」
「うわ、忘れてた!」
相沢直人が頭を抱える。
怜司は思わず笑った。
「まだ昼休みだから、少しは勉強できるよ」
「お前、最近余裕あるよなあ」
「そんなことないって」
二人が話していると、近くの女子生徒も会話に加わった。
誰も怜司と話すことを特別なことだと思っていない。
それが、今の怜司には何より嬉しかった。
◇ ◇ ◇
一方、職員室。
担任の田所浩一は、教頭から渡された書類に目を通していた。
そこには、今後の学級運営についての具体的な指示が記されている。
生徒間のトラブルの記録。
保護者への報告。
定期的な聞き取り。
そして、被害を訴えた生徒の安全確認。
「田所先生」
教頭が口を開いた。
「これらは特別なことではありません。本来、日頃から行うべき対応です」
「……はい」
「今回、黒瀬君の訴えを早い段階で適切に扱っていれば、ここまで事態が悪化しなかった可能性があります」
田所は、何も言い返せなかった。
以前の彼は、鷹宮家との揉め事を避けたいと考えていた。
生徒同士のことだから。
少し様子を見れば落ち着くだろう。
そんな言い訳を重ね、怜司の訴えを後回しにしてきた。
結果として、被害は拡大した。
そして今、学校の外で襲撃事件まで起きている。
「……申し訳ありませんでした」
田所は頭を下げた。
教頭は厳しい表情を崩さなかった。
「謝罪だけでは十分ではありません。これからの行動で示してください」
「……はい」
田所は、書類を握り直した。
校長の榊原も、今回の件について教育委員会への報告と再発防止策の提出を進めていた。
学校が積み重ねてきた問題は、一度の謝罪で消えるものではなかった。
◇ ◇ ◇
昼休みが終わる少し前。
堂島剛は、校舎裏の自動販売機の前に立っていた。
飲み物を買おうとして、財布を取り出す。
そのとき、背後から声がした。
「堂島」
振り返ると、三枝悠斗がいた。
「……何だよ」
「鷹宮、まだ来ないんだな」
「ああ」
三枝は、落ち着かない様子で周囲を見た。
「警察の件、どうなるんだろうな」
「知らねえよ」
「でもさ、俺たちまで何か言われたら困るじゃん」
堂島は、三枝を見た。
「……何かって?」
「前に黒瀬にやってたこととかさ。もう学校の処分も受けたんだし、終わった話だろ?」
堂島は、しばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「……終わったと思ってんのか?」
三枝が眉をひそめる。
「は?」
「黒瀬にしたことが、なかったことになるわけじゃねえだろ」
「……お前、何言ってんの?」
堂島は、自分でも意外だった。
以前なら、三枝と同じことを言っていただろう。
だが、最近は違う。
翔真が学校に来なくなってから、堂島は何度も考えていた。
黒瀬の鞄を蹴ったこと。
笑いながら嫌がらせに加わったこと。
周囲が止めないのをいいことに、何度も繰り返したこと。
そのどれも、自分の意思でやったことだった。
「……俺、黒瀬にちゃんと謝ってねえんだよな」
三枝が呆れたように笑った。
「今さら謝ってどうすんだよ」
「知らねえ」
堂島は缶ジュースを取り出した。
「でも、何もしねえよりはマシだろ」
そう言って、歩き出した。
三枝は、その背中を見つめた。
「……何だよ、急にいい子ぶりやがって」
吐き捨てた言葉とは裏腹に、その顔には焦りが浮かんでいた。
翔真という後ろ盾を失った今、自分がどう振る舞えばいいのか分からなかった。
◇ ◇ ◇
同じ頃、鷹宮家。
翔真は自室の机に向かっていた。
だが、開いた教科書の内容は少しも頭に入らない。
警察の事情聴取は続いている。
真壁たちへの依頼に関するメッセージも確認されていた。
父の隆臣からは、捜査に正直に協力するよう厳しく言われている。
以前の翔真なら、父が何とかしてくれると思っていただろう。
しかし、今回は違った。
隆臣は息子を庇うために圧力をかけることを拒み、顧問弁護士にも事実関係の確認と適切な対応を指示していた。
その父は今、書斎で電話をしていた。
「……はい。被害者のご家族への謝罪については、先方の意向を尊重してください」
電話の相手は弁護士だった。
「無理に面会を求めるつもりはありません」
隆臣は静かに続けた。
「それと、会社の取引先から問い合わせが来ています。事実確認が済んでいないことについて、憶測で説明しないよう徹底してください」
通話を終えると、深く椅子に沈み込んだ。
会社への影響は、まだ限定的だった。
だが、信用を失うのは一瞬だ。
息子の問題を会社の力で揉み消したと受け取られれば、長年築いてきた取引関係にも影響する。
それ以上に、隆臣を苦しめていたのは別のことだった。
息子はなぜ、ここまで他人を見下すようになったのか。
自分は何を教え、何を教えなかったのか。
隆臣は、机に置かれた家族写真を見つめた。
そこには、幼い頃の翔真が笑っていた。
「……どこで間違えたんだろうな」
答えは、簡単には見つからなかった。
◇ ◇ ◇
放課後。
怜司が靴箱へ向かうと、堂島が待っていた。
「……黒瀬」
怜司は足を止めた。
「……堂島君?」
堂島は、気まずそうに頭を掻いた。
「ちょっと、話せるか」
怜司は周囲を見た。
廊下には、まだ生徒がいる。
「ここでなら」
「……ああ」
堂島は頷いた。
そして、しばらく黙ったあと、頭を下げた。
「……悪かった」
怜司は、目を見開いた。
「……え?」
「今まで、お前にやったこと」
堂島は、顔を上げなかった。
「鞄蹴ったり、からかったり……俺も一緒になってやってた」
怜司は、何も言わなかった。
「鷹宮に言われたからって、言い訳するつもりはねえ」
堂島は、拳を握った。
「……俺がやったことだから」
しばらく、沈黙が続いた。
怜司は、ゆっくりと口を開いた。
「……謝ってくれたことは、受け取るよ」
堂島が顔を上げる。
「……でも、すぐに全部許せるかは分からない」
怜司は、正直に言った。
堂島は、小さく頷いた。
「……ああ。それでいい」
そして、もう一度頭を下げた。
「……本当に悪かった」
堂島が立ち去ったあと、怜司はしばらくその場に立っていた。
謝罪を受けたからといって、過去が消えるわけではない。
それでも、堂島が自分の行動を認めたことには意味があると思った。
人は、変われるのかもしれない。
だが、変わろうとするかどうかは、その人自身が決めることだった。
◇ ◇ ◇
その夜。
黒瀬家では、家族四人が食卓を囲んでいた。
「お兄ちゃん、最近なんか変わったよね」
突然、陽菜が言った。
怜司は箸を止めた。
「……え?」
「何か、前より元気!」
美咲も、息子の顔を見た。
「そうね。表情が明るくなったと思う」
正臣も頷く。
「学校で少しずつ落ち着いて過ごせるようになったからだろうな」
怜司は、少し照れくさそうに笑った。
「……そうかも」
そして、陽菜が不思議そうに首を傾げた。
「でも、お兄ちゃん」
「ん?」
「ちょっと痩せた?」
その一言に、怜司の手が止まった。
「……え?」
「顔、前よりすっきりしてる気がする!」
美咲も、改めて息子を見た。
「……言われてみれば、そうかもしれないわね」
怜司は、思わず自分の頬に触れた。
最近、制服が少し緩くなった気はしていた。
だが、体重は確認していない。
「……そうかな?」
陽菜は、元気よく頷いた。
「うん!」
怜司は、少しだけ笑った。
学校の問題は、まだ完全には終わっていない。
鷹宮翔真の今後も、警察や学校の判断を待つ必要がある。
だが、怜司自身の生活は、少しずつ前へ進んでいた。
そして、その変化は、心だけではなく身体にも現れ始めていた。




