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虐げられた俺は異世界で神を超える 〜傷ついた黒猫を助けたら、現実世界での復讐が始まった〜  作者: 覇王が好き


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第4話 その手は、もう届かない

 鷹宮翔真の手が、黒瀬怜司の胸ぐらへ伸びてきた。


 いつもなら、抵抗する間もなかった。


 制服を掴まれ、引きずり起こされ、周囲の笑い声を聞きながら謝る。


 それが、怜司にとっての日常だった。


 だが、今は違う。


 翔真の指先が、妙にはっきりと見えた。


 伸びてくる腕。


 わずかに前へ傾く肩。


 右足へ移っていく重心。


 何もかもが、以前よりずっと分かりやすい。


 怜司は椅子に座ったまま、ほんの少し身体を引いた。


 それだけだった。


「……あ?」


 翔真の手が空を掴む。


 勢い余って前のめりになった翔真は、机に片手をついた。


 ガタンッ!


 大きな音が教室に響く。


「…………」


 一瞬、誰も声を出さなかった。


 怜司自身も驚いていた。


 避けられた。


 あまりにも簡単に。


 だが、それ以上に不思議だったのは、自分が反射的に動けたことだ。


 頭で考えるより先に、身体が最適な位置へ動いていた。


「……てめえ」


 翔真がゆっくりと顔を上げる。


 その表情から、先ほどまでの余裕が消えていた。


「今、避けたよな?」


 怜司は答えなかった。


「おい。聞いてんのか?」


「……掴まれたくなかっただけだ」


「は?」


「だから、避けた」


 その瞬間、翔真の顔が引きつった。


 教室の後ろで、誰かが小さく息を呑む。


 翔真は普段、教師の前では愛想よく振る舞う。


 しかし、自分より下だと決めつけた相手には容赦しない。


 そして、何より嫌うのが、人前で恥をかかされることだった。


「……黒瀬」


 低い声。


「お前、誰に向かって口利いてんだよ」


 怜司の心臓が跳ねた。


 怖い。


 その感覚は、まだ消えていなかった。


 昨日まで何度も殴られてきた相手だ。


 たった一度避けられたからといって、積み重なった恐怖が消えるはずもない。


 それでも。


「……普通に話してるだけだろ」


 怜司は目を逸らさなかった。


 翔真のこめかみが、ぴくりと動いた。


「剛」


「ああ?」


「こいつ、ちょっと調子乗ってるわ」


 堂島剛が、にやりと笑った。


「だな。昨日までビビってたくせによ」


 堂島が怜司の横へ回り込む。


 逃げ道を塞ぐような位置だった。


 いつもと同じ。


 翔真が正面に立ち、堂島が横から圧力をかける。


 三枝悠斗は少し離れた場所で、周囲の様子を見ている。


 怜司は、その配置を何度も経験していた。


 だが今日は、以前とは違うことに気づいた。


 堂島の足音。


 翔真の呼吸。


 三枝がスマートフォンを触る小さな動き。


 すべてが、妙にはっきりと認識できる。


「おい、黒瀬」


 堂島が怜司の肩に手を置いた。


「ちょっと廊下出ようぜ」


 その手には、明らかに力が込められていた。


 肩を掴んで無理やり立たせるつもりなのだろう。


 怜司はゆっくりと堂島を見た。


「……嫌だ」


「あ?」


「授業が始まるだろ」


「お前、マジで――」


 堂島が肩を強く引いた。


 しかし。


「……ん?」


 怜司の身体は動かなかった。


 堂島が眉をひそめる。


 もう一度、力を込める。


 それでも動かない。


「……おい」


 堂島の声が少し変わった。


「何踏ん張ってんだよ」


「別に」


 怜司は静かに答えた。


「座ってるだけだけど」


「……っ!」


 堂島の顔が赤くなる。


 周囲の生徒たちが、ちらちらとこちらを見始めた。


 いつもなら、怜司は簡単に引きずり起こされていた。


 それが今日は、びくともしない。


 堂島は苛立ったように舌打ちした。


「……ふざけんな!」


 肩を掴んだ手に、さらに力が込められる。


 怜司はその手首に、自分の手を添えた。


「……離してくれ」


「は?」


「痛いから」


 実際には、ほとんど痛くなかった。


 けれど、勝手に身体を掴まれることが嫌だった。


 怜司は、ほんの少しだけ力を込めた。


「いっ……!?」


 堂島の顔が歪む。


「い、痛ぇ! 何すんだよ!」


「だから、離してって言っただろ」


 怜司はすぐに手を緩めた。


 堂島が慌てて腕を引っ込める。


 そして、自分の手首を押さえながら怜司を睨んだ。


「……てめえ!」


 怜司は自分の手を見た。


 強く握ったつもりはなかった。


 むしろ、怪我をさせないように気をつけたくらいだ。


 それなのに、堂島は本気で痛がっている。


 ――やっぱり、力が違う。


 昨日のスライムとの戦闘。


 レベル8。


 あのとき手に入れた力が、確かに自分の身体に宿っている。


 ただ、それを実感するほど、別の怖さも湧いてきた。


 もし本気で握っていたら?


 もし、怒りに任せて殴っていたら?


 怜司は小さく息を吸った。


 ――駄目だ。


 力を手に入れたからといって、何をしてもいいわけじゃない。


 自分が本当に望んでいるのは、翔真たちと同じことをすることではなかった。


 彼らがしてきたことを、逃げられない形で明らかにすること。


 そのためには、ここで自分が暴力を振るうわけにはいかない。


「……もう、やめてくれ」


 怜司は静かに言った。


「俺に構わないでくれよ」


 その言葉が、翔真の怒りに火をつけた。


「……お前さあ」


 翔真がゆっくりと近づいてくる。


「なんか勘違いしてねえ?」


 教室の空気が張り詰めた。


「ちょっと避けられたくらいで、俺らと対等になったつもり?」


 怜司は答えなかった。


 翔真は口元を歪めた。


「お前なんか、俺がその気になれば――」


「鷹宮」


 怜司は、その言葉を遮った。


「……あ?」


「俺に何をしたか、覚えてるか?」


 翔真の眉が動く。


「は? 何の話だよ」


「昨日、腹を殴っただろ」


「……だから?」


「先週は、階段のところで突き飛ばした」


「お前が勝手に転んだんだろ」


「先月は、財布から金を取ったよな」


 その瞬間、教室の何人かが顔を上げた。


 翔真の目が細くなる。


「……おい」


「全部、覚えてる」


 怜司は続けた。


「いつ、どこで、何をされたか」


 翔真の笑みが消えた。


「……それがどうした?」


「別に」


 怜司は翔真を見つめた。


「忘れてないって言いたかっただけだ」


 沈黙。


 堂島は何か言いたそうにしていたが、翔真の表情を見て口を閉じた。


 三枝は、少し離れた場所で怜司を観察している。


 怜司は、その視線に気づいていた。


 今までなら気にも留めなかっただろう。


 だが、三枝だけは翔真たちと少し違う。


 自分から殴ることは少ない。


 代わりに、相手が困る状況を作るのが上手かった。


 今日も、何かを考えているように見えた。


「……黒瀬」


 翔真が低く呟く。


「放課後、覚えとけよ」


 その言葉を聞いた瞬間、怜司の背中に冷たいものが走った。


 放課後。


 その時間が、どれほど恐ろしいものだったか。


 怜司は誰よりも知っている。


 人の少ない廊下。


 使われていない教室。


 校舎裏。


 何度も連れていかれた場所が、頭の中に浮かんだ。


 だが、怜司は拳を握りしめた。


「……俺は、行かない」


「は?」


「もう、お前らの言うことは聞かない」


 翔真の顔が、怒りで歪んだ。


「……上等だよ」


 そのとき。


「おい、何を騒いでる!」


 教室の扉が開いた。


 担任の田所浩一だった。


 生徒たちが慌てて自分の席へ戻る。


 翔真は一瞬で表情を変えた。


「先生、ちょっと黒瀬と話してただけっすよ」


「そうか。もうすぐ授業だぞ」


「はーい」


 軽い返事。


 まるで何事もなかったかのように、翔真は自分の席へ戻っていく。


 田所は教室を見回し、怜司の前で足を止めた。


「黒瀬」


「……はい」


「お前、また鷹宮たちと揉めてるのか?」


 怜司は顔を上げた。


「……俺は、何もしてません」


「そういう言い方はよくないぞ」


 田所がため息をつく。


「お前にも何か原因があるんじゃないのか?」


 その言葉を聞いた瞬間。


 怜司の胸の奥で、何かが静かに冷えた。


 何度目だろう。


 この言葉を聞くのは。


 何度、助けを求めても。


 何度、傷を見せても。


 何度、父と母が学校へ足を運んでも。


 返ってくる言葉は、いつも同じだった。


「……先生」


「なんだ?」


「俺が何をされたのか、聞かないんですか?」


 田所が眉をひそめた。


「だから、そういうことは――」


「俺が何をされたのか、聞いてから判断してもらえませんか?」


 教室が静かになった。


 田所は、まさか怜司が言い返してくるとは思っていなかったのだろう。


 一瞬、言葉に詰まった。


「……黒瀬。口の利き方に気をつけろ」


「……はい」


 怜司はそれ以上、何も言わなかった。


 今ここで言い争っても、状況は変わらない。


 田所は、これまで何度も同じことを繰り返してきた。


 ならば、必要なのは言葉ではない。


 事実を残すことだ。


 怜司は机の中に入れていたノートを取り出した。


 そして、ページの端に小さく書き込んだ。


『午前八時二十一分。鷹宮、堂島による威圧。担任・田所は詳細を確認せず、こちらを注意』


 日時。


 場所。


 発言。


 誰がいたか。


 これからは、すべて記録する。


 怜司はペンを置いた。


 その手は、もう震えていなかった。


     ◇ ◇ ◇


 昼休み。


 怜司は教室の隅で弁当を開いていた。


 母が作ってくれた弁当だ。


 唐揚げが二つ。


 卵焼き。


 ほうれん草のおひたし。


 小さな容器には、ミニトマトも入っている。


 蓋の裏に、短いメモが貼られていた。


『無理しないでね。今日も応援してるよ。母より』


「……母さん」


 怜司は思わず微笑んだ。


 朝、何も言わずに弁当を渡してくれた母。


 きっと、今日も心配しているのだろう。


 怜司は箸を取った。


 そのとき。


「……黒瀬」


 声をかけられた。


 顔を上げると、同じクラスの男子生徒が立っていた。


 名前は、相沢直人。


 これまでほとんど話したことがない相手だった。


「……なに?」


 怜司が尋ねると、相沢は周囲を気にしながら声を落とした。


「……朝のやつ、大丈夫だったか?」


「……え?」


「鷹宮たちのこと」


 怜司は少し驚いた。


 誰かに心配されること自体、久しぶりだったからだ。


「……大丈夫」


 そう答えると、相沢は複雑そうな顔をした。


「……そっか」


 そして、少し迷ってから続けた。


「……ごめんな」


「……何が?」


「今まで、見てるだけだったから」


 怜司は箸を止めた。


 相沢は俯いていた。


「俺、鷹宮が怖くてさ。下手に関わったら、次は自分がやられるんじゃないかって……」


 その声は小さかった。


 怜司はしばらく相沢を見つめた。


 何と答えればいいのか分からなかった。


 許すべきなのか。


 怒るべきなのか。


 それすら、今は判断できない。


 ただ、一つだけ分かることがあった。


 自分だって、翔真たちが怖かった。


 何度も逃げたかった。


 だから、相沢の気持ちが全く分からないわけではない。


「……怖いよな」


 怜司がそう言うと、相沢が顔を上げた。


「……え?」


「俺も、ずっと怖かったから」


 相沢は何も言わなかった。


 怜司は弁当に視線を戻した。


「……でも、もう少し早く誰かに助けてほしかった」


 その言葉に、相沢の表情が歪んだ。


「……うん」


 短い返事。


「……本当に、ごめん」


 怜司はそれ以上、何も言わなかった。


 今すぐ許せるわけではない。


 それでも、初めて誰かが自分の苦しさを認めてくれた。


 その事実だけは、胸の中に残った。


     ◇ ◇ ◇


 放課後。


 最後の授業が終わり、教室が少しずつ騒がしくなっていく。


 怜司は鞄に教科書をしまっていた。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


 画面には、メッセージが表示されている。


『校舎裏に来い』


 送り主は、鷹宮翔真。


 続けて、もう一通。


『逃げたらどうなるか分かってるよな?』


 怜司は画面を見つめた。


 心臓が、少し速くなる。


 怖くないわけではない。


 けれど、昨日までとは違った。


 怜司はメッセージを保存した。


 そして、鞄を肩にかける。


「……行くわけないだろ」


 小さく呟いた。


 だが、その直後。


 さらに一通のメッセージが届いた。


『お前の妹、中学一年だよな』


 怜司の足が止まった。


 画面を見つめる。


 次のメッセージ。


『今日、どこの道通って帰るんだっけ?』


 頭の中が、一瞬真っ白になった。


「…………」


 指先が冷たくなる。


 翔真の顔が浮かぶ。


 昨日、妹のことを口にしたときの、あの笑み。


 怜司はゆっくりとスマートフォンを握りしめた。


 そして。


「……そこまで、するのか」


 声が、低くなった。


 自分を殴るだけなら、まだ耐えられた。


 馬鹿にされることも。


 笑われることも。


 だが。


 家族にまで手を出そうとするなら。


「……絶対に、許さない」


 怜司はスマートフォンを操作し、メッセージを保存した。


 その上で、母へ連絡を入れる。


『陽菜を一人で帰らせないで。理由は帰ってから話す』


 すぐに既読がついた。


『分かった。陽菜には連絡するね。怜司も気をつけて』


 怜司は短く息を吐いた。


 そして、校舎の窓から外を見た。


 夕日に照らされた校舎裏。


 そこには、三人の男子生徒が立っていた。


 鷹宮翔真。


 堂島剛。


 三枝悠斗。


 翔真がスマートフォンを片手に、こちらを見上げている。


 目が合った。


 翔真が、にやりと笑った。


 怜司はその笑みを見つめた。


 昨日までなら、震えていた。


 逃げ道を探していた。


 けれど、今は。


 胸の奥にあるのは、恐怖だけではなかった。


 静かに燃え上がる、怒り。


 そして、確かな決意だった。


「……もう、終わりにしよう」


 怜司は小さく呟いた。


 ただし、終わらせるのは自分の抵抗ではない。


 彼らが、好き勝手に人を踏みにじれる日々の方だ。


 黒瀬怜司は、ゆっくりと踵を返した。


 向かう先は、校舎裏ではない。


 まずは、家族の安全を確かめる。


 その上で、翔真たちの脅迫を正式な記録として残す。


 感情に任せて殴り返すだけでは、何も終わらない。


 彼らには、これまでの行いすべてに責任を取らせる。


 逃げ道など、残さない。


 怜司は校舎の廊下を歩き出した。


 その背中には、昨日までの弱々しさはなかった。


 そして、このときの翔真はまだ知らなかった。


 自分が脅している少年が、すでに自分の理解を遥かに超える力を手にしていることを。


 そして、その少年が今、初めて本気で怒っていることを。



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