第38話 圧倒的な実力差――五人が知った恐怖
第38話 圧倒的な実力差――五人が知った恐怖
――ヒュンッ!
金属製の警棒が、怜司の頭へ向かって振り下ろされた。
真壁亮介は、確かに当てるつもりだった。
だが。
「……っ!?」
警棒は空を切った。
怜司は、わずかに身体を横へ動かしただけだった。
大きく飛び退いたわけでもない。
ただ、必要な分だけ避けた。
「……なっ!」
真壁が驚いた瞬間。
怜司は、警棒を持つ手首を掴んだ。
そして、反対の手で武器を押さえる。
「……離してください」
「くっ……!」
真壁は腕を引こうとした。
だが、動かない。
まるで、鉄の柱に固定されたかのようだった。
「何だよ……この力……!」
怜司は、手首を少しだけ外側へ向けた。
「痛っ! 痛え!」
真壁の指が開く。
警棒が地面へ落ちた。
――カランッ!
怜司はすぐに足で警棒を遠ざけた。
そして、真壁から距離を取る。
「もう、やめましょう」
その声は落ち着いていた。
だが、真壁の耳には奇妙なほど重く響いた。
◇ ◇ ◇
「……おい」
金髪の男が、震える声で言った。
「真壁さん……こいつ、何なんすか」
真壁は答えられなかった。
高校生一人。
それも、事前に聞いていた話では、いじめられていた大人しい少年のはずだった。
五人で囲めば、簡単に怯えると思っていた。
ところが、実際はどうだ。
殴れない。
掴めない。
蹴りも当たらない。
警棒すら通用しない。
それなのに、少年は一度も本気で殴り返していない。
真壁は、無意識に一歩下がった。
その様子を見た怜司は、少しだけ息を吐いた。
――……よかった。
ようやく、相手も止まってくれそうだ。
だが、そのとき。
「この野郎!」
背後から、別の男が飛びかかってきた。
怜司は反射的に振り向いた。
男の両腕が、怜司の首へ伸びる。
怜司は腕を掴み、相手の勢いを横へ逃がした。
――ドサッ!
男は地面へ転がった。
「ぐっ……!」
怜司はすぐに手を離す。
男は咳き込みながら起き上がった。
骨折などはしていないようだった。
怜司は、ほっとした。
だが、真壁はその光景を見て、完全に戦意を失っていた。
「……もういい」
小さな声だった。
金髪の男が振り返る。
「……え?」
「もういいって言ってんだ!」
真壁は怒鳴った。
そして、怜司を睨んだ。
「……お前、何者だよ」
怜司は、少し困ったように答えた。
「……普通の高校生です」
「嘘つけ……!」
真壁は、吐き捨てた。
だが、それ以上近づこうとはしなかった。
◇ ◇ ◇
怜司は、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「……警察に連絡します」
その言葉に、男たちの表情が変わった。
「はあ!? ちょっと待て!」
金髪の男が叫ぶ。
「こっちは、もうやめるって言ってんだろ!」
怜司は、静かに首を横に振った。
「でも、あなたたちは俺を殴ろうとしました」
そして、地面に落ちた警棒を見る。
「武器まで使いました」
男たちは黙った。
「ここで何もなかったことにしたら、また誰かが同じ目に遭うかもしれません」
怜司は、電話を操作した。
110番。
以前なら、警察へ連絡することすら怖かっただろう。
相手に逆恨みされるかもしれない。
大ごとになるかもしれない。
そんなことばかり考えていた。
だが、今は違う。
危険なことをされたなら、助けを求めていい。
それは、父の正臣が教えてくれたことでもあった。
『事件ですか、事故ですか?』
電話がつながる。
「……事件です」
怜司は、落ち着いて答えた。
「知らない男の人たち五人に囲まれて、殴られそうになりました。金属の警棒も使われました」
場所を伝える。
相手の人数を伝える。
怪我人がいるかどうかも確認する。
警察官の指示に従い、怜司は男たちから距離を取った。
真壁たちは、互いに顔を見合わせた。
「……逃げるぞ」
一人が小声で言った。
だが、真壁は動かなかった。
「……待て」
彼は、遠くから近づいてくる車の音に気づいていた。
さらに、近所の住宅から人が出てきていた。
先ほどの騒ぎを聞きつけたらしい。
逃げても、顔を見られている。
真壁は舌打ちした。
「……最悪だ」
◇ ◇ ◇
数分後。
パトカーが到着した。
「警察です! 全員、その場から動かないで!」
二人の警察官が降りてくる。
怜司は、すぐに手を上げた。
「電話したのは、俺です」
警察官が近づいてきた。
「君が通報者だね。怪我はない?」
「はい。大丈夫です」
「そうか。よかった」
警察官は、怜司の様子を確認した。
そして、少し離れた場所にいる男たちへ視線を向けた。
「君たち、事情を聞かせてもらうよ」
真壁は、苛立ったように答えた。
「……ちょっと揉めただけっすよ」
「揉めただけ?」
警察官は、地面に落ちていた警棒を見た。
「これは誰のもの?」
真壁は黙った。
警察官の表情が厳しくなる。
「詳しく話してもらおうか」
男たちは、それぞれ事情を聞かれることになった。
怜司も、何があったのかを順番に説明した。
知らない男に名前を呼ばれたこと。
五人に囲まれたこと。
先に殴りかかられたこと。
警棒を使われたこと。
そして、自分は身を守るために相手の攻撃を避け、武器を取り上げたこと。
警察官は、何度か確認しながら記録していった。
「……君、一人で五人を相手にしたの?」
若い警察官が驚いたように尋ねた。
怜司は、少し考えて答えた。
「……相手にしたというか、避けていただけです」
「それでも、すごいね」
怜司は苦笑した。
「……必死だったので」
その答えに、警察官はそれ以上何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
やがて、怜司の父である正臣が現場へ到着した。
「怜司!」
車から降りるなり、駆け寄ってくる。
「怪我はないか!?」
「父さん……うん、大丈夫」
正臣は、息子の肩を掴み、顔や腕を確認した。
そして、ようやく大きく息を吐いた。
「……よかった」
その声には、心からの安堵が滲んでいた。
怜司は、少し申し訳なくなった。
「……心配かけて、ごめん」
正臣は、首を横に振った。
「謝る必要はない」
そして、真剣な表情で言った。
「よく通報した。危険な相手から自分を守れたのもよかった」
怜司は、父を見た。
「……うん」
「ただ、次は逃げられるなら逃げろ。お前が無事でいることが一番大事なんだ」
怜司は、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
そのとき。
警察官の一人が、正臣へ近づいてきた。
「黒瀬さんですね。少しお話をよろしいでしょうか」
「はい」
正臣は、表情を引き締めた。
警察官は、慎重に言った。
「今回の件ですが、単なる偶発的なトラブルではない可能性があります」
正臣の目が鋭くなった。
「……どういうことですか?」
「男たちが、息子さんの名前を知っていたそうです」
怜司も、顔を上げた。
警察官は続けた。
「誰かに依頼されていた可能性も含め、調べています」
その言葉に、正臣の表情が変わった。
そして、低い声で尋ねた。
「……鷹宮翔真という名前は、出ていますか?」
警察官は、すぐには答えなかった。
「現時点では、お話しできないこともあります。ただ、関係者については確認します」
正臣は、静かに頷いた。
「……分かりました」
だが、その目には、強い警戒が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
繁華街の一角。
鷹宮翔真は、スマートフォンを何度も確認していた。
「……遅えな」
すでに約束の時間を過ぎている。
真壁からの連絡はない。
何度電話しても、つながらなかった。
「……何やってんだよ、あいつら」
苛立ちながら画面を見つめる。
そのとき、一通のメッセージが届いた。
送信者は、真壁の仲間の一人だった。
『警察来た。最悪』
翔真の表情が凍りついた。
「……は?」
続けて、もう一通。
『あの黒瀬ってやつ何なんだよ。五人とも勝てなかった』
翔真は、画面を凝視した。
意味が分からなかった。
五人。
全員、自分より年上の男たちだ。
その五人が、黒瀬一人に勝てなかった?
「……嘘だろ」
翔真の手が震えた。
さらに、メッセージが届く。
『お前が頼んだこと、バレるかも』
その瞬間。
翔真の背筋に、冷たいものが走った。
初めて、怒りよりも強い感情が湧き上がった。
――恐怖だった。




