第37話 放課後の待ち伏せ――五人の男たち
第37話 放課後の待ち伏せ――五人の男たち
放課後の教室には、まだ数人の生徒が残っていた。
窓の外からは、運動部の掛け声が聞こえてくる。
黒瀬怜司は教科書を鞄にしまい、ゆっくりと立ち上がった。
「黒瀬、今日もまっすぐ帰るのか?」
声をかけてきたのは、相沢直人だった。
「ああ。今日は家でやることがあるから」
「そっか。じゃあ、また明日な」
「うん。また明日」
以前なら、こんな何気ない会話さえ難しかった。
誰かと話せば鷹宮翔真たちに目をつけられ、相手まで嫌がらせを受けることがあったからだ。
しかし、学校がいじめを正式に認めてから、教室の雰囲気は少しずつ変わっていた。
相沢は以前より自然に声をかけてくれる。
篠原紗季も、廊下ですれ違えば挨拶をしてくれるようになった。
もちろん、すべてが元どおりになったわけではない。
堂島剛と三枝悠斗は、怜司を見かけると気まずそうに視線を逸らす。
そして、鷹宮翔真。
彼だけは、怜司への敵意を隠そうともしなかった。
教室の後方。
翔真は机に肘をつき、怜司の背中を睨んでいた。
怜司は、その視線に気づいていた。
だが、振り返らなかった。
今さら挑発に付き合うつもりはない。
必要なら先生や家族に相談する。
それが、学校と約束した対応だった。
怜司は鞄を肩にかけ、教室を出た。
その背後で、翔真がスマートフォンを取り出したことには気づかなかった。
◇ ◇ ◇
『今、学校を出た』
翔真は短いメッセージを送信した。
数秒後、返信が届く。
『了解。場所は予定どおりな』
翔真は画面を見つめ、口元を歪めた。
学校がいじめを認めた日から、何もかもがおかしくなった。
教師は以前のように自分を見逃さない。
堂島と三枝は距離を置き始めた。
父の隆臣からは、黒瀬に二度と関わるなと厳命された。
そのうえ、教室では自分を見る周囲の目まで変わってしまった。
翔真には、それが我慢ならなかった。
自分が悪かったのだとは、考えたくなかった。
黒瀬が余計なことをした。
親を巻き込んだ。
だから、自分が恥をかいた。
そう思い込むことで、かろうじて自尊心を保っていた。
「……調子に乗りやがって」
翔真は小さく吐き捨てた。
依頼した相手は、繁華街で知り合った年上の男たちだ。
中心人物の名前は、真壁亮介。
二十歳を過ぎた男で、仲間を集めては喧嘩や恐喝まがいのことを繰り返しているらしい。
翔真は彼らに金を渡し、怜司を痛めつけるよう頼んでいた。
自分は直接手を下さない。
そうすれば、学校にも父にも知られずに済む。
翔真は、本気でそう考えていた。
◇ ◇ ◇
午後四時過ぎ。
怜司は住宅街へ続く道を歩いていた。
普段利用する大通りは、道路工事のため歩道が一部通行止めになっている。
そのため、今日は一本隣の道を通っていた。
小さな公園。
古い倉庫。
その先には、車が一台通れる程度の細い道路がある。
怜司は歩きながら、今日の夕食について考えていた。
昨日、陽菜がオムライスを食べたいと言っていた。
母が作るオムライスは、昔から怜司の好物でもある。
そんなことを考えていたときだった。
「おい、そこの高校生」
背後から声がした。
怜司が振り返る。
そこには、見知らぬ男が二人立っていた。
一人は金髪。
もう一人は黒いパーカー姿。
どちらも高校生には見えない。
「……俺ですか?」
「ああ。黒瀬怜司って、お前だろ?」
名前を呼ばれた瞬間、怜司の表情が変わった。
知らない男が、自分の名前を知っている。
偶然ではない。
「……何か用ですか?」
怜司は立ち止まったまま尋ねた。
金髪の男が笑う。
「ちょっと話があるんだよ。こっち来い」
男が顎で示したのは、倉庫の裏へ続く細い通路だった。
人通りはほとんどない。
怜司は、すぐに首を横に振った。
「話なら、ここで聞きます」
「あ?」
男の笑顔が消えた。
「いいから来いって言ってんだろ」
そのとき、背後から足音が聞こえた。
怜司が振り向く。
別の男が二人。
さらに、通路の奥から一人。
合計五人だった。
怜司は、静かに息を吸った。
心臓が少し速くなる。
怖くないわけではない。
相手は見知らぬ大人で、人数も多い。
だが、異世界で盗賊や魔物と向き合った経験が、彼を落ち着かせていた。
――まず、逃げ道を確認する。
大通りまでは、それほど遠くない。
近くには住宅もある。
声を上げれば、誰かが気づく可能性もあった。
「用がないなら、帰ります」
怜司はそう告げ、距離を取ろうとした。
だが、金髪の男が進路を塞いだ。
「おいおい。逃げんなよ」
黒いパーカーの男が、怜司の肩へ手を伸ばす。
怜司は半歩下がり、その手を避けた。
「触らないでください」
「……何だ、その態度」
男の表情が険しくなった。
そして、いきなり怜司の胸ぐらを掴もうとした。
怜司はその腕を軽く払った。
ただ、それだけだった。
しかし。
「……うおっ!?」
男の身体が大きくよろめいた。
勢い余って数歩後退し、壁に手をつく。
怜司自身も、わずかに目を見開いた。
――……しまった。
軽く払ったつもりだった。
それでも、相手にとっては予想以上の力だったらしい。
「てめえ……!」
男が顔を真っ赤にした。
金髪の男が、低い声で言った。
「……もういい。やれ」
その言葉を合図に、五人が一斉に動いた。
◇ ◇ ◇
最初に飛びかかってきたのは、黒いパーカーの男だった。
大きく振りかぶった拳が、怜司の顔へ向かう。
だが、怜司にはその動きがはっきり見えていた。
異世界でカイルと訓練したときより、ずっと大きく、分かりやすい動作だった。
怜司は上体をずらして拳を避ける。
男は勢い余って前につんのめった。
「なっ……!」
続いて、横から別の男が蹴りを放つ。
怜司は後ろへ下がり、距離を取った。
蹴りは空を切る。
「くそっ! ちょこまかと!」
怜司は、反撃しなかった。
相手の力も、動きも、自分とは大きく違う。
不用意に殴れば、大怪我をさせてしまうかもしれない。
だから、まずは逃げる機会を探した。
しかし、男たちは簡単には諦めなかった。
「真壁さん! こいつ、妙に動きがいいっす!」
その声に、通路の奥に立っていた男が舌打ちした。
短く刈った髪。
鋭い目つき。
他の四人より一回り体格がよい。
真壁亮介だった。
「……ガキ一人に何やってんだ、お前ら」
真壁はゆっくりと歩み寄った。
そして、怜司を見下ろした。
「お前、何か格闘技でもやってんのか?」
「……少し、練習してます」
「へえ」
真壁は薄く笑った。
「なら、ちょうどいい」
そう言うと、いきなり拳を振り抜いた。
怜司は顔を横へ動かし、避けた。
拳が頬のすぐ横を通り過ぎる。
真壁の表情が変わった。
「……は?」
怜司は、真っ直ぐに相手を見た。
「もう、やめてください」
その声は震えていなかった。
「俺は、あなたたちと喧嘩するつもりはありません」
真壁は一瞬黙った。
そして、笑った。
「……気に入らねえな」
次の瞬間、彼は仲間へ怒鳴った。
「逃がすな! 囲め!」
五人が再び動く。
怜司は、静かに構えた。
――……仕方ない。
逃げ道を塞がれた以上、自分の身を守らなければならない。
だが、絶対に力を使いすぎない。
そう決めた。
◇ ◇ ◇
最初の男が掴みかかってきた。
怜司は手首を取り、相手の勢いに合わせて身体を回した。
「うわっ!?」
男はバランスを崩し、尻もちをついた。
次の男には、踏み込む足の前へ軽く足を置いて進路を塞ぐ。
相手は自分の勢いで転び、地面へ手をついた。
「痛ってえ!」
金髪の男が背後から殴りかかる。
怜司は振り返り、拳を避けた。
そのまま相手の腕を押さえ、壁へ向かう動きを止める。
「……離せ!」
男は必死に腕を引いた。
だが、びくともしない。
怜司はゆっくりと手を離した。
男は後ろへよろめき、呆然とした。
「……何だよ、こいつ」
残る二人も、足を止めた。
誰もまともに一撃を当てられない。
それどころか、怜司はほとんど反撃していない。
真壁の額に、汗が浮かんだ。
自分たちは、相手を間違えた。
そのことに、ようやく気づき始めていた。
だが、真壁は引き下がれなかった。
「……ふざけんなよ」
そう呟き、腰のポケットへ手を伸ばした。
取り出したのは、折り畳み式の金属製警棒だった。
――カシャッ!
乾いた音とともに、警棒が伸びる。
怜司の表情が変わった。
素手とは違う。
あれが頭に当たれば、命に関わる可能性もある。
「……それは、やめた方がいいです」
「うるせえ!」
真壁が警棒を振り上げた。
怜司は、静かに息を吸った。
そして。
――ここからは、絶対に当たらせない。
そう決めた。




