第33話 囚われた商人――夜の倉庫街に潜む罠
ルミエール冒険者ギルド。
ギルド長室に、重苦しい沈黙が落ちていた。
机の上には、一通の脅迫状が置かれている。
『余計なことをすれば、会頭の命はない』
短い文章だった。
だが、その意味は明白だった。
ベルン商会の会頭、トーマス・ベルン。
彼は何者かに連れ去られ、命を盾に口を封じられようとしている。
「……家族には、他に何か届いていないのか?」
ギルド長バルド・グランツが尋ねた。
報告に来た衛兵が、首を横に振る。
「今のところ、この手紙だけです」
「差出人は?」
「不明です。ただ、手紙を届けた少年が目撃されています」
カイルが眉をひそめた。
「……少年?」
「はい。市場で小銭を渡され、ベルン商会へ届けるよう頼まれたそうです」
リーナが、舌打ちした。
「……使い捨ての配達役ね」
セドリックも、静かに頷いた。
「差出人を辿らせないためでしょう」
怜司は、机の上の脅迫状を見つめていた。
誰かが、家族を人質に取られたような恐怖の中にいる。
そのことを考えると、胸が苦しくなった。
自分にも、守りたい家族がいる。
もし、父や母、陽菜が同じ目に遭ったら。
そう想像するだけで、拳に力が入った。
「……ギルド長」
怜司が口を開く。
「トーマスさんは、何か証拠を持っていたんですよね?」
バルドは頷いた。
「その可能性が高い」
「だったら、犯人はその証拠を取り戻そうとしているんじゃないですか?」
その言葉に、カイルが顔を上げた。
「……なるほど」
リーナも、考え込んだ。
「確かに。脅迫するだけなら、家族に手紙を送る必要はないものね」
バルドは、静かに頷いた。
「……あり得るな」
そして、衛兵へ視線を向けた。
「ベルン商会を調べさせろ。会頭が持ち出した書類や、最近の取引記録を確認したい」
「承知しました!」
衛兵が部屋を出ていく。
バルドは、ゆっくりと立ち上がった。
「……さて」
その声に、全員が顔を上げた。
「ここからは、時間との勝負だ」
◇ ◇ ◇
ルミエール商業地区。
ベルン商会の事務所には、不安げな表情の人々が集まっていた。
帳簿を抱えた従業員。
荷運びを担当する若者たち。
そして、トーマスの妻であるマリア・ベルン。
四十歳ほどの女性だった。
目元には、眠れなかったことを示す疲労が浮かんでいる。
「……主人は、本当に無事なのでしょうか」
マリアの声は震えていた。
カイルは、慎重に答えた。
「必ず助けるために動いています」
そして、続けた。
「ただ、今は情報が必要です」
マリアは、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
怜司は、その姿を見つめていた。
目の前の女性は、必死に不安を抑えている。
自分が何か言って安心させたい。
だが、根拠のない言葉を口にすることはできなかった。
だからこそ、今は行動するしかない。
カイルが尋ねた。
「会頭は、最近何か変わったことを話していませんでしたか?」
マリアは、少し考えた。
「……そういえば」
そして、顔を上げた。
「最近、主人は何度も同じことを言っていました」
「……何を?」
「『街道の件には、誰かが関わっている』と」
リーナが、眉をひそめた。
「……誰か?」
マリアは頷いた。
「名前までは聞いていません。ただ……」
そこで、言葉を止めた。
カイルが、静かに促す。
「……ただ?」
「……ある商会から、何度も取引を持ちかけられていたんです」
怜司は、息を呑んだ。
「……どこの商会ですか?」
マリアは、少しだけ躊躇した。
そして、答えた。
「……グレイヴ商会です」
その瞬間。
カイルたちの表情が変わった。
◇ ◇ ◇
グレイヴ商会。
ルミエールでも有数の大商会。
東方街道の物流を一手に引き受けようとしているという噂がある。
そして、トーマスが姿を消した路地には、その商会の紋章が刻まれた留め具が落ちていた。
怜司は、静かに拳を握った。
偶然にしては、あまりにも重なりすぎている。
だが。
「……まだ、決めつけるなよ」
カイルが、怜司へ声をかけた。
怜司は、顔を上げた。
「……はい」
「証拠が揃うまでは、疑いでしかない」
その言葉に、怜司は頷いた。
以前の自分なら、感情に任せて相手を悪者だと決めつけていたかもしれない。
だが、今回は違う。
相手が誰であっても、事実を確かめる必要がある。
怜司は、静かに息を吐いた。
――……焦るな。
今は、トーマスを助けることが最優先だ。
◇ ◇ ◇
調査を続ける中で、セドリックが一つのことに気づいた。
「……この取引記録、少し不自然ですね」
彼が指さしたのは、最近の荷馬車の運行記録だった。
そこには、通常の輸送経路とは異なる場所へ荷物を運んだ記録が残っていた。
カイルが覗き込む。
「……郊外の倉庫?」
セドリックは頷いた。
「はい。ただし、ベルン商会の所有する倉庫ではありません」
リーナが、眉をひそめた。
「……誰の倉庫なの?」
セドリックは、記録を確認した。
「……所有者の名前は記されていません」
怜司は、首を傾げた。
「……でも、荷物を運んだ場所なら分かるんですよね?」
セドリックは頷いた。
「ええ」
そして、地図を広げた。
「ここです」
そこは、ルミエールの郊外。
街道から少し外れた場所にある、古い倉庫街だった。
カイルは、地図を見つめた。
「……怪しいな」
リーナも頷いた。
「少なくとも、調べる価値はありそうね」
怜司は、地図に記された場所を見つめた。
トーマスが、そこにいるかもしれない。
その可能性が、胸を高鳴らせた。
◇ ◇ ◇
夕方。
怜司たちは、冒険者ギルドへ戻った。
バルドは、報告を聞くとすぐに衛兵隊へ連絡を取った。
そして、慎重に作戦を立て始めた。
「……倉庫街か」
バルドは、地図を見つめた。
「確かに、身を隠すには都合がいい場所だ」
カイルが頷いた。
「人通りが少なく、建物も多いです」
リーナが、続けた。
「見張りを置けば、近づく人間にも気づきやすい」
セドリックは、静かに言った。
「ですが、魔法で内部を探ることは可能です」
バルドは、少し考えた。
そして、全員へ視線を向けた。
「……よし」
その声に、怜司は背筋を伸ばした。
「今夜、衛兵隊と協力して調査する」
カイルが頷いた。
「了解です」
バルドは、怜司へ視線を向けた。
「……レイジ」
「……はい」
「お前は、今回も補助だ」
怜司は、頷いた。
「……分かっています」
「いいか。人質がいる可能性がある。力任せに突っ込めば、相手が何をするか分からん」
怜司は、真剣な表情で頷いた。
「……はい」
バルドは、満足そうに頷いた。
「……よし」
◇ ◇ ◇
夜。
ルミエール郊外。
古びた倉庫が立ち並ぶ一角に、怜司たちは到着した。
月明かりが、石畳を淡く照らしている。
建物の間には、深い影が落ちていた。
カイルが、静かに手を上げた。
「……ここからは、声を抑えろ」
全員が頷く。
リーナは、周囲の屋根を確認した。
セドリックは、杖を握り直した。
怜司も、呼吸を整えた。
少し離れた場所には、衛兵たちが待機している。
合図があれば、すぐに動けるようになっていた。
カイルは、建物の影から倉庫を見つめた。
「……あれか」
そこには、古びた木造の倉庫があった。
窓は少なく、扉も大きい。
外には、二人の男が立っていた。
腰には剣。
周囲を警戒している様子だった。
リーナが、小さく呟いた。
「……見張りね」
カイルは頷いた。
「……ああ」
そして、セドリックへ視線を向けた。
「中は分かるか?」
セドリックは、静かに目を閉じた。
杖の先に、淡い光が灯る。
しばらくして。
「……人の反応があります」
怜司は、息を呑んだ。
「……何人ですか?」
セドリックは、少しだけ眉をひそめた。
「……正確には分かりません」
そして、続けた。
「ですが、少なくとも五人以上」
カイルは、静かに頷いた。
「……十分だ」
怜司は、倉庫を見つめた。
その中に、トーマスがいるかもしれない。
そう思うと、自然と拳に力が入った。
◇ ◇ ◇
一方。
倉庫の内部。
トーマス・ベルンは、椅子に縛られたまま、目の前の男を睨みつけていた。
男は、上質な服を身につけている。
そして、静かな笑みを浮かべていた。
「……ベルン会頭」
男は、穏やかな声で言った。
「最後に、もう一度だけ聞きます」
トーマスは、黙っていた。
男は、続けた。
「……あなたが持っている証拠を、こちらへ渡してください」
トーマスは、唇を噛んだ。
「……断る」
男は、少しだけ目を細めた。
「……困りましたね」
そして、静かに息を吐いた。
「あなたが素直に協力してくれれば、こんなことにはならなかったのですが」
トーマスは、怒りに震えた。
「……人々の生活を犠牲にしてまで、利益を得ようとする人間に協力できるか!」
男は、表情を変えなかった。
ただ、静かに微笑んでいた。
「……商売とは、そういうものですよ」
その声には、冷たさがあった。
トーマスは、強く首を横に振った。
「……違う!」
そして、言い放った。
「商人は、人々の生活を支えるためにいるんだ!」
男は、しばらく黙っていた。
やがて。
「……残念です」
静かに呟いた。
そして、背後の男へ視線を向けた。
「……準備を」
黒い革鎧の男が、頷いた。
「……承知しました」
トーマスの表情が、変わった。
「……何をするつもりだ!」
男は、静かに答えた。
「……あなたには、少し眠っていただきます」
その言葉に、トーマスは息を呑んだ。
◇ ◇ ◇
倉庫の外。
カイルたちは、慎重に様子を窺っていた。
そのとき。
「……カイル」
リーナが、小さく声をかけた。
「……何だ?」
「……中で、何か動きがあったみたい」
カイルは、顔を上げた。
倉庫の奥から、微かな物音が聞こえる。
そして。
――ガタンッ!
何かが倒れる音。
続いて、男の怒鳴り声。
「……やめろ!」
怜司は、息を呑んだ。
――……今の声!
カイルも、表情を変えた。
「……人質かもしれん」
セドリックが、杖を握り直した。
「……魔力反応が強まっています!」
カイルは、すぐに判断した。
「……衛兵隊へ合図を!」
リーナが、頷いた。
そして、合図用の小さな笛を取り出した。
――ピィィッ!
鋭い音が、夜の倉庫街に響いた。
その瞬間。
倉庫の外にいた見張りたちが、顔を上げた。
「……何だ!?」
カイルは、剣を抜いた。
「……行くぞ!」
怜司も、短剣へ手を伸ばした。
胸の鼓動が、速くなる。
だが、不思議と恐怖はなかった。
あるのは、強い決意だけだった。
――……絶対に、助ける。
その思いを胸に。
怜司は、仲間たちとともに動き出した。
夜の倉庫街。
ついに、囚われた商人を救うための作戦が始まった。




