第31話 伯爵家の決断――星の家に届いた希望
ルミエールの朝は、荷馬車の車輪が石畳を叩く音から始まる。
その日、東地区へ向かう三台の荷馬車には、いつもと違うものがあった。
荷台に積まれた小麦粉や保存食ではない。
前後を固める伯爵家の騎士たちと、荷車の側面に掲げられたルミナス家の紋章だった。
「荷崩れはないな?」
「はい、隊長。封印も確認済みです」
騎士隊長ガルドは、荷台を見上げて頷いた。
森の小屋から押収された物資は、衛兵による確認を終えたものから順次持ち主へ返還されることになっている。
ただし、食料を必要としている施設には、手続きの完了を待たずに伯爵家の備蓄から同量を届ける。
それが、アルベルト・ルミナス伯爵の決定だった。
「出発するぞ」
ガルドの号令に、御者たちが手綱を握った。
荷馬車がゆっくりと動き始める。
その先頭には、白い外套を羽織った少女が立っていた。
エリシア・ルミナス。
彼女は荷台を見上げ、ようやく小さく息を吐いた。
「……これで、子供たちに温かい食事を届けられますね」
「はい、お嬢様」
ガルドは頷いた。
「ですが、まだ事件は終わっておりません」
エリシアの表情が引き締まる。
「分かっています」
彼女は東の街道へ視線を向けた。
「だからこそ、今日届けられるものは、今日届けたいのです」
ガルドは、少しだけ目を細めた。
「……承知しました」
◇ ◇ ◇
その頃、冒険者ギルドでは。
「……つまり、まだ調査は続くんですね」
黒瀬怜司の問いに、ギルド長バルド・グランツは大きく頷いた。
「そういうことだ」
机の上には、森の小屋で見つかった帳簿が置かれていた。
隣には、音を再現する魔法道具《魔音石》。
どちらも今回の事件を裏付ける重要な証拠だ。
「街道を妨害していた連中は捕まえた。物資も見つかった。だが、肝心の雇い主が分かってねえ」
バルドは帳簿を指で叩いた。
「それに、妙な記録が残ってやがる」
「……受領先変更、ですか?」
「おう」
バルドは、満足そうに笑った。
「よく覚えてたな」
怜司は、少し照れくさそうに頷いた。
帳簿に何度も記されていた言葉。
単に物資を奪うだけなら、わざわざ書き残す必要のない項目だった。
「奪った荷物を、誰かに渡す予定だったんでしょうか」
「可能性は高い」
バルドは答えた。
「ただし、推測だけで誰かを捕まえるわけにはいかん」
そして、声を落とした。
「だから、次は金の流れを追う」
怜司は首を傾げた。
「……お金?」
「ああ。人を雇って街道を封鎖するなら、当然金が要る。魔音石だって安い道具じゃねえ」
バルドは帳簿の端を開いた。
「誰が支払ったのか。誰が得をするのか。そこを調べる」
怜司は、思わず感心した。
魔物を倒すだけでは解決しない事件。
その裏側を調べることも、冒険者ギルドの仕事なのだ。
「……俺にも、何かできますか?」
バルドは怜司を見た。
そして、にやりと笑った。
「あるぞ」
「……本当ですか?」
「お前はまず、昨日の戦闘報告書を完成させろ」
「……え?」
怜司は固まった。
バルドは豪快に笑った。
「ガハハ! 冒険者の仕事は戦って終わりじゃねえ!」
机の上には、数枚の紙が置かれていた。
魔物の出現位置。
戦闘の経過。
使用された魔法。
負傷者の有無。
そして、異常な状況についての記録。
「……これ、全部ですか?」
「全部だ」
バルドは容赦なく頷いた。
「自分の目で見たことと、人から聞いたことを分けて書け。分からんことは分からんと書け」
怜司は、紙を手に取った。
昨日の戦闘が頭に浮かぶ。
ブラッドホーンウルフの突進。
カイルの指示。
リーナとセドリックの連携。
そして、自分が勝手に前へ出てしまった瞬間。
「……分かりました」
怜司は椅子に座った。
バルドは、その姿を見て満足そうに頷いた。
◇ ◇ ◇
昼前。
東地区の孤児院《星の家》。
門の前に荷馬車が到着すると、子供たちが一斉に窓へ駆け寄った。
「馬車だ!」
「エリシアお姉ちゃんが来た!」
「ねえ、あれ何が入ってるの!?」
騒がしい声に、院長マーサが慌てて姿を現した。
「こらこら、みんな! 走らないの!」
だが、荷馬車の中身を見た瞬間、彼女の表情が変わった。
「……これは」
エリシアが、ゆっくりと歩み寄った。
「マーサ院長。遅くなってしまい、申し訳ありません」
マーサは、何度も首を横に振った。
「とんでもありません、お嬢様……!」
エリシアは、荷馬車を振り返った。
「小麦粉と保存食、それに冬へ向けた毛布も用意しました」
マーサの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとうございます」
その声は、震えていた。
「実は、あと数日もすれば、食事の量を減らさなければならないところでした」
エリシアは、胸が締めつけられる思いだった。
そんな状況になっていたとは。
もっと早く気づくべきだった。
そう思いかけたとき。
「お嬢様」
ガルドが、静かに声をかけた。
「荷下ろしを始めてもよろしいでしょうか」
エリシアは顔を上げた。
そして、しっかりと頷いた。
「はい。お願いします」
今、すべきことがある。
後悔するより、目の前の子供たちのために動くこと。
エリシアは袖をまくった。
「私も手伝います」
ガルドは一瞬、困った顔をした。
「……お嬢様」
「軽いものだけです」
エリシアは微笑んだ。
「それなら、構いませんよね?」
ガルドは、諦めたように息を吐いた。
「……承知しました」
◇ ◇ ◇
午後。
冒険者ギルドの報告書をようやく書き終えた怜司は、机に突っ伏していた。
「……疲れた」
「ガハハ! 魔物との戦闘より疲れた顔してるじゃねえか!」
バルドの笑い声が響く。
「……慣れてないんです」
「慣れろ。冒険者を続けるなら必要だ」
怜司は、苦笑しながら身体を起こした。
そこへ、受付のミリアが顔を出した。
「ギルド長。ルミナス伯爵家から伝言です」
「おう、何だ?」
「星の家への物資搬入が、無事に完了したそうです」
その言葉に、怜司は思わず顔を上げた。
「……本当ですか?」
ミリアは、嬉しそうに頷いた。
「はい。エリシア様も現地でお手伝いされたそうですよ」
怜司の胸に、温かいものが広がった。
あの子供たちへ、食料が届いた。
それだけで、昨日の戦いに意味があったと思えた。
バルドは、そんな怜司を見て笑った。
「……嬉しそうだな」
「……はい」
怜司は、素直に答えた。
「よかったです。本当に」
バルドは、満足そうに頷いた。
「なら、次も無事に帰ってこい」
怜司は、少し驚いた。
「……次?」
「ああ」
バルドは、机の上の帳簿を指さした。
「今回の事件は、まだ終わっちゃいねえ」
そして、少しだけ表情を厳しくした。
「次に動くのは、俺たちじゃなく、向こうかもしれんからな」
怜司は、静かに息を呑んだ。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
ルミナス伯爵邸。
アルベルトは、執務室で一通の報告書を読んでいた。
そこには、押収された帳簿の内容と、街道封鎖に関する調査結果が記されていた。
アルベルトは、ある部分で手を止めた。
「……受領先変更」
そして、眉をひそめた。
通常、商人が荷物の受領先を変更する場合、商会や依頼主の正式な記録が残る。
だが、今回の帳簿には、変更先の名前が記されていない。
代わりに、数字と記号だけが並んでいた。
「……隠しているな」
アルベルトは、静かに呟いた。
そのとき、扉がノックされた。
「お父様、エリシアです」
「入りなさい」
扉が開き、エリシアが姿を現した。
「星の家への搬入は、すべて終わりました」
「ご苦労だったね」
アルベルトは微笑んだ。
「子供たちは喜んでいたかい?」
「はい」
エリシアは、嬉しそうに頷いた。
「今日は、久しぶりに全員で焼きたてのパンを食べられたそうです」
アルベルトの表情が和らいだ。
「それは何よりだ」
だが、エリシアは机の上の資料に気づいた。
「……お父様。それは?」
「今回の事件の報告書だ」
アルベルトは、少しだけ表情を引き締めた。
「どうやら、単なる盗賊の仕業ではないらしい」
エリシアは、黙って父の言葉を待った。
「奪われた物資には、受け渡し先を変更する指示があったようだ」
「……誰かが、意図的に?」
「その可能性が高い」
アルベルトは頷いた。
「だが、まだ相手は分からない」
エリシアは、静かに拳を握った。
「……それなら、私たちも気をつけなければなりませんね」
アルベルトは、少し驚いた。
「……ほう?」
「物資が届くようになったからといって、安心はできません」
エリシアは続けた。
「また同じことが起きるかもしれませんから」
アルベルトは、娘を見つめた。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……そのとおりだ」
◇ ◇ ◇
一方。
ルミエールの商業地区。
大きな商会の建物の一室で、一人の男が書類を見つめていた。
机の上には、街道封鎖に関する報告が置かれている。
男は、静かに息を吐いた。
「……冒険者ギルドが、ここまで動くとはな」
その声には、苛立ちが混じっていた。
部屋の隅には、黒い革鎧の男が立っている。
「……申し訳ありません」
男は、書類を閉じた。
「謝罪は必要ない」
そして、静かに続けた。
「問題は、帳簿を押収されたことだ」
黒い革鎧の男が、顔を上げた。
「……ですが、名前は記していません」
「名前がなくても、金の流れを追われれば面倒になる」
男は、窓の外を見た。
夕暮れの街には、多くの商人たちが行き交っている。
「……計画を変更する」
黒い革鎧の男が、息を呑んだ。
「……どのように?」
男は、ゆっくりと振り返った。
「しばらく、街道には手を出すな」
そして、少しだけ目を細めた。
「代わりに、商会の中を整理する」
黒い革鎧の男は、黙って頷いた。
男は、机の上の書類を一枚取り上げた。
そこには、いくつかの商会名が記されていた。
そして、その中の一つに赤い印がついている。
「……邪魔になる者は、先に排除しておくべきだ」
その声は、冷たかった。
◇ ◇ ◇
夜。
怜司は、ルミエールの街を歩いていた。
冒険者ギルドでの仕事を終え、帰る前に少しだけ街の様子を見ておこうと思ったのだ。
石畳の道。
店先に灯るランプ。
夕食の準備をする家々から漂う香り。
昼間とは違う、穏やかな空気が流れている。
怜司は、ふと立ち止まった。
通りの向こうから、子供たちの笑い声が聞こえてきた。
星の家の子供たちだろうか。
そう思うと、自然と笑みが浮かんだ。
――……よかった。
自分が参加した調査が、誰かの生活を守ることにつながった。
その実感は、これまでにないものだった。
だが。
怜司は、空を見上げた。
まだ、事件は終わっていない。
背後にいる人物も分かっていない。
そして、自分自身も、まだ未熟だ。
「……もっと、学ばないとな」
小さく呟く。
その声には、焦りではなく、静かな決意が込められていた。
怜司は、再び歩き始めた。
やがて、人通りの少ない路地へ入る。
周囲を確認する。
誰もいない。
怜司は、固有権能《界渡り》を発動した。
空間が、静かに揺らぐ。
そして、次の瞬間。
怜司の姿は、ルミエールの街から消えていた。
異世界での一日は、確かな成長をもたらした。
だが、彼の知らないところで。
新たな陰謀が、静かに動き始めていた。




