第30話 奪われた食糧――伯爵令嬢の怒りと黒幕の影
ブラッドホーンウルフの討伐から、しばらくが経過していた。
ルミエール東方の森。
先ほどまで激しい戦闘が繰り広げられていた場所には、ようやく静けさが戻っていた。
黒瀬怜司は、倒れた巨狼を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
あれほど巨大な魔物と戦ったのは、初めてだった。
いや、正確には。
あれほど巨大な魔物を、仲間と協力して倒したのが初めてだった。
自分一人では、きっと違う戦い方になっていただろう。
圧倒的な身体能力に任せ、無理やり押さえ込もうとしていたかもしれない。
だが、今回は違った。
カイルの指示。
リーナの弓。
セドリックの魔法。
そして、自分の力。
それぞれが役割を果たしたからこそ、勝つことができた。
怜司は、静かに拳を握った。
――……もっと、強くなりたい。
単に力が強いだけではない。
仲間を守り、正しい判断ができる冒険者になりたい。
そんな思いが、胸の奥に芽生えていた。
「……レイジ!」
カイルの声がした。
怜司は、顔を上げた。
「……はい!」
「こっちに来てくれ!」
カイルは、拘束した男たちの近くに立っていた。
その表情は、真剣だった。
「……どうしました?」
怜司が尋ねると、カイルは森の奥を指さした。
「小屋を調べる。ただし、まだ敵が残っている可能性がある」
そして、静かに続けた。
「お前は俺の後ろを離れるな」
怜司は、しっかりと頷いた。
「……分かりました」
◇ ◇ ◇
森の奥に建てられた小屋。
先ほど、男たちが荷車から木箱を運び込んでいた場所だった。
カイルは慎重に扉へ近づいた。
リーナが弓を構える。
セドリックは杖を握り、周囲の魔力を探っていた。
怜司も、腰の短剣へ手を添えた。
「……中に反応は?」
カイルが尋ねる。
セドリックは、少しだけ目を閉じた。
「……人の魔力反応は感じません」
そして、続けた。
「ただし、魔法道具の反応が残っています」
カイルは頷いた。
「……よし」
そして、ゆっくりと扉を開いた。
――ギィィ……。
古びた木の扉が、軋んだ音を立てる。
中は薄暗かった。
窓は小さく、外から差し込む光も少ない。
だが。
怜司は、思わず目を見開いた。
「……これ」
小屋の中には、大量の木箱が積み上げられていた。
小麦粉。
乾燥肉。
保存用の豆。
そして、薬草や布類。
どれも、生活に欠かせない物資だった。
リーナが、眉をひそめた。
「……随分、集め込んでるわね」
カイルは、一つの木箱へ近づいた。
そして、側面に刻まれた印を確認する。
「……商会の印だ」
怜司も、近づいて覗き込んだ。
そこには、白い花を模した紋章が刻まれていた。
以前、森の外で見つけた木箱と同じものだった。
さらに、その下には小さな文字が記されている。
怜司は、ゆっくりと読み上げた。
「……ルミエール東地区、星の家……?」
その瞬間。
胸の奥が、冷たくなった。
――……星の家。
エリシアが支援している孤児院。
あの子供たちが暮らしている場所。
そして、食料の到着が遅れていた施設。
怜司は、木箱を見つめた。
その中には、子供たちへ届けられるはずだった食料が入っている。
だが、それは今、森の奥に隠されていた。
「……こんなところに」
思わず、声が漏れた。
カイルが、怜司を見た。
「……知ってる場所か?」
怜司は、頷いた。
「……はい」
そして、静かに説明した。
「この孤児院には、知り合いがいます」
カイルは、少しだけ表情を変えた。
「……そうか」
怜司は、拳を握った。
子供たちの顔が、頭に浮かぶ。
笑顔で話しかけてきた少年。
エリシアの周りに集まっていた少女たち。
そして、食料の到着を心配していた院長マーサ。
その生活を支える物資が、ここにある。
怜司は、ゆっくりと息を吐いた。
「……絶対に、届けたいです」
カイルは、しばらく怜司を見つめていた。
そして、静かに頷いた。
「……ああ」
その声には、迷いがなかった。
「もちろんだ」
◇ ◇ ◇
調査を進めると、小屋の奥から奇妙なものが見つかった。
小さな金属製の箱。
その表面には、複雑な模様が刻まれている。
セドリックが、慎重に近づいた。
「……これは」
カイルが尋ねる。
「分かるか?」
セドリックは、杖をかざした。
淡い光が、金属箱を包む。
しばらくして。
「……魔音石ですね」
怜司は、首を傾げた。
「……まおんせき?」
セドリックは、頷いた。
「魔力を込めることで、特定の音を再現する魔法道具です」
そして、少しだけ表情を険しくした。
「恐らく、魔物の鳴き声を再現するために使われていたのでしょう」
怜司は、息を呑んだ。
――……やっぱり。
街道で商人たちが魔物を恐れて引き返していた。
その原因の一つが、この道具だった。
リーナが、腕を組んだ。
「……つまり、魔物が出るって噂は、こいつらが作ってたわけね」
セドリックは、静かに頷いた。
「少なくとも、一部はそうでしょう」
カイルは、金属箱を見つめた。
「……だが、本物の魔物まで現れた」
その言葉に、全員が黙った。
ブラッドホーンウルフ。
あの巨大な魔物は、確かに実在していた。
しかも、突然現れた。
怜司は、少し考えた。
「……もしかして」
カイルが、顔を上げる。
「……何だ?」
「魔物の鳴き声を出していたから、本物の魔物が寄ってきた……とか?」
セドリックは、少しだけ目を見開いた。
そして、考え込んだ。
「……可能性はあります」
リーナも頷いた。
「縄張りを持つ魔物なら、他の魔物の鳴き声に反応することもあるわ」
カイルは、静かに息を吐いた。
「……なるほどな」
だが、セドリックは首を横に振った。
「ただし、先ほどの爆発については説明できません」
その言葉に、怜司は表情を引き締めた。
つまり、まだ分からないことがある。
魔音石。
爆発。
そして、ブラッドホーンウルフ。
それらが、どうつながっているのか。
今は、断定できなかった。
◇ ◇ ◇
その後。
カイルたちは、小屋の中から一冊の帳簿を発見した。
革の表紙。
粗雑な文字。
そして、日付と数字が並んでいる。
リーナが、頁をめくった。
「……これ、荷物の記録?」
カイルは、覗き込んだ。
「……そうみたいだな」
帳簿には、荷馬車が引き返した日付や、奪われた物資の種類が記されていた。
だが、その中に一つだけ奇妙な項目があった。
――『受領先変更』
怜司は、首を傾げた。
「……これ、どういう意味ですか?」
カイルは、少しだけ眉をひそめた。
「……さあな」
そして、頁をめくる。
すると、同じ言葉が何度も出てきた。
受領先変更。
受領先変更。
受領先変更。
リーナが、低い声で呟いた。
「……単なる略奪じゃないかもしれないわね」
怜司は、顔を上げた。
「……どういうことですか?」
リーナは、帳簿を指さした。
「盗んだ物を売るだけなら、わざわざこんな書き方をする必要がないもの」
カイルも、頷いた。
「……誰かに渡す予定だったのかもしれない」
怜司は、息を呑んだ。
つまり。
街道で物資を止めているのは、単なる盗賊ではない。
その裏に、何か別の目的がある可能性が高い。
カイルは、帳簿を閉じた。
「……これはギルドへ持ち帰る」
そして、真剣な表情で続けた。
「伯爵家にも報告が必要だ」
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
ルミエールの街。
怜司たちは、無事に冒険者ギルドへ戻ってきた。
捕らえた男たちは、ギルドの管理下で衛兵へ引き渡されることになった。
押収した物資についても、正式な確認が進められる。
受付にいたミリアは、四人の姿を見ると、ほっとしたように微笑んだ。
「……皆さん、お帰りなさい!」
カイルが、片手を上げた。
「ただいま」
そして、少しだけ苦笑した。
「……思ったより、大仕事になったけどな」
ミリアは、驚いたように目を見開いた。
「……え?」
カイルは、静かに言った。
「ギルド長を呼んでくれ。重要な報告がある」
◇ ◇ ◇
ギルド長室。
バルドは、机の上に置かれた帳簿と魔音石を見つめていた。
その表情は、普段とは違っていた。
「……なるほどな」
低い声だった。
カイルが、調査結果を説明する。
街道に残された人間の足跡。
森の中の小屋。
隠されていた物資。
魔音石。
そして、ブラッドホーンウルフの出現。
バルドは、最後まで黙って聞いていた。
やがて。
「……レイジ」
怜司は、顔を上げた。
「……はい」
「お前、魔物の突進を素手で逸らしたそうだな」
怜司は、少し気まずそうに頷いた。
「……はい」
バルドは、しばらく怜司を見つめていた。
そして。
「……ガハハハハ!」
突然、豪快に笑った。
「やっぱり、お前は面白えな!」
怜司は、少し困ったように笑った。
「……でも、カイルさんたちがいなかったら、危なかったです」
その言葉に、バルドの笑みが少しだけ変わった。
「……ほう」
そして、満足そうに頷いた。
「いいことを学んだな」
怜司は、静かに頷いた。
バルドは、続けた。
「強さってのは、単純な腕力だけじゃねえ」
そして、机を軽く叩いた。
「仲間を信じること。状況を見極めること。そして、無事に帰ってくることだ」
怜司は、その言葉を胸に刻んだ。
◇ ◇ ◇
その夜。
ルミナス伯爵邸。
エリシア・ルミナスは、父アルベルトから報告を受けていた。
街道の調査結果。
森の中に隠されていた物資。
そして、その中に星の家へ届けられるはずだった食料が含まれていたこと。
エリシアは、静かに拳を握った。
「……そんな」
その声は、震えていた。
アルベルトは、娘を見つめた。
「エリシア」
「……はい、お父様」
「まだ、すべてが明らかになったわけではない」
アルベルトは、静かに続けた。
「だが、物資の一部が意図的に止められていたことは確かだ」
エリシアは、唇を噛んだ。
孤児院の子供たち。
食料の不足を心配していたマーサ院長。
そして、何度も遅延を繰り返していた荷馬車。
その裏に、人為的な妨害があった。
エリシアは、ゆっくりと顔を上げた。
「……お父様」
「……何だね」
「……私は、許せません」
アルベルトは、黙って娘を見つめた。
エリシアの青い瞳には、強い意思が宿っていた。
「……子供たちの食事を、誰かの都合で奪うなんて」
その声には、怒りが滲んでいた。
だが、感情に任せて叫ぶことはなかった。
エリシアは、深く息を吸った。
そして、静かに続けた。
「……どうか、星の家への物資を、できるだけ早く届けてください」
アルベルトは、ゆっくりと頷いた。
「もちろんだ」
そして、穏やかに微笑んだ。
「すでに、衛兵と商会へ手配を進めている」
エリシアの表情が、少しだけ和らいだ。
「……ありがとうございます」
アルベルトは、娘を見つめた。
そして、静かに言った。
「今回の件は、レイジ君たちのおかげで大きく前進した」
エリシアは、顔を上げた。
「……レイジ様が?」
「ああ」
アルベルトは頷いた。
「彼も、調査に同行していたそうだ」
エリシアは、驚いたように目を見開いた。
そして、胸元へ手を添えた。
「……そう、だったのですね」
その声には、安堵と感謝が混じっていた。
◇ ◇ ◇
一方。
ルミエールの街の一角。
人通りの少ない建物の中で、一人の男が報告を受けていた。
黒い革鎧の男が、深く頭を下げている。
「……申し訳ありません」
向かいに座る男は、静かに書類をめくっていた。
顔は、薄暗い部屋の中でよく見えない。
「……失敗したのか」
低い声だった。
黒い革鎧の男は、唇を噛んだ。
「……はい」
「……理由は?」
「冒険者ギルドが動きました」
その言葉に、座っていた男の手が止まった。
「……ギルド?」
「はい。Cランクの冒険者たちです」
そして、少しだけ声を落とした。
「……それと、妙な少年が一人」
座っていた男は、ゆっくりと顔を上げた。
「……少年?」
「はい。見たこともない力を持っていました」
黒い革鎧の男は、震える声で続けた。
「ブラッドホーンウルフの突進を、素手で止めたそうです」
しばらく、沈黙が流れた。
そして。
「……面白い」
座っていた男が、静かに呟いた。
その声には、わずかな興味が滲んでいた。
「……名前は?」
黒い革鎧の男は、首を横に振った。
「……まだ、分かりません」
座っていた男は、ゆっくりと書類を閉じた。
「……調べろ」
その声は、冷たかった。
「その少年について、詳しく知りたい」
黒い革鎧の男は、深く頭を下げた。
「……承知しました」
そして、部屋を出ていった。
残された男は、窓の外を見つめた。
その表情は、暗闇に隠れている。
「……予定外の駒が、現れたか」
小さく呟く。
そして、静かに笑った。
街道封鎖事件。
その背後にいる人物は、まだ姿を現していない。
だが。
黒瀬怜司という少年の存在が、確かにその計画へ影響を与え始めていた。




