第25話 学校が下した決断――加害者たちへの正式処分
火曜日の朝。
黒瀬怜司は、いつもより少し早く目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋の床を照らしている。
目覚まし時計が鳴るまで、まだ十分ほどあった。
以前なら、布団から出ることすら嫌だった。
学校へ行けば、何をされるか分からない。
そんな不安が、毎朝のように胸を締めつけていた。
だが、今は違う。
不安が消えたわけではない。
それでも、学校で何かが変わり始めていることを感じていた。
相沢直人。
篠原紗季。
そして、学校側の調査。
自分を取り巻く状況は、少しずつ動いている。
怜司は、ゆっくりと身体を起こした。
「……よし」
小さく呟く。
そして、制服へ着替え始めた。
◇ ◇ ◇
午前八時二十分。
教室へ入ると、いつもとは違う空気が漂っていた。
翔真たち三人が、教室の後方で黙って座っている。
以前のような大声の笑い声はない。
誰かをからかう声も聞こえなかった。
怜司は、自分の席へ向かった。
鞄を置き、教科書を取り出す。
そのとき。
「……黒瀬」
直人が、隣から声をかけてきた。
「……おはよう」
「おはよう」
直人は、少しだけ周囲を見回した。
そして、小さな声で言った。
「……今日、何かあるらしいぞ」
怜司は、首を傾げた。
「……何が?」
「詳しくは分からないけど、先生たちが朝から会議してた」
怜司は、少しだけ表情を引き締めた。
学校側の調査。
その結果が、いよいよ出るのかもしれない。
だが、まだ何も分からない。
怜司は、静かに頷いた。
「……そっか」
◇ ◇ ◇
午前九時。
職員会議室。
校長の榊原義隆は、机の上に置かれた資料を見つめていた。
その表情は、険しかった。
「……これが、調査結果ですか」
向かいに座る教頭が、静かに頷いた。
「はい」
机の上には、複数の証言記録が並んでいる。
相沢直人。
篠原紗季。
その他の生徒たち。
さらに、加害者とされる三人への聞き取り。
内容は、概ね一致していた。
黒瀬怜司に対する継続的な嫌がらせ。
持ち物へのいたずら。
暴言。
そして、身体的な接触を伴う行為。
榊原は、深く息を吐いた。
「……ここまで、ですか」
教頭は、真剣な表情で答えた。
「はい。複数の証言が一致しています」
そして、静かに続けた。
「学校として、いじめがあったと認定すべきです」
榊原は、しばらく黙っていた。
学校の評判。
保護者への説明。
教育委員会への報告。
様々な問題が、頭をよぎる。
だが。
ここまで証拠が揃ってしまえば、曖昧にすることはできない。
榊原は、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
そして、静かに言った。
「正式に対応しましょう」
◇ ◇ ◇
午前十一時。
黒瀬家へ、学校から一本の電話が入った。
電話に出たのは、美咲だった。
「……はい、黒瀬です」
電話の向こうから、教頭の声が聞こえてきた。
『黒瀬様。学校の調査について、ご報告したいことがございます』
美咲は、表情を引き締めた。
「……はい」
『複数の証言を確認した結果、学校として、継続的ないじめがあったと判断いたしました』
その言葉に、美咲は息を呑んだ。
「……そうですか」
教頭は、静かに続けた。
『これまで適切な対応ができていなかったことについて、深くお詫び申し上げます』
美咲は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……謝罪は、受け止めます」
だが、その声は真剣だった。
「ただ、私たちが望んでいるのは、謝罪だけではありません」
『……はい』
「息子が、安心して学校へ通えるようにしていただきたいんです」
教頭は、はっきりと答えた。
『承知しております』
そして、続けた。
『本日中に、今後の対応について文書でご説明いたします』
美咲は、静かに頷いた。
「……分かりました」
電話を切る。
美咲は、しばらく受話器を見つめていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……やっと」
小さく呟く。
だが、その表情には、安堵だけでなく、複雑な感情が浮かんでいた。
いじめがあったと認められた。
それは、大きな一歩だ。
だが、怜司が受けた傷が消えるわけではない。
美咲は、静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇
午後一時。
学校の別室。
翔真、堂島、三枝の三人が、教師たちの前に座っていた。
教頭が、静かに口を開いた。
「……調査の結果、黒瀬君への継続的ないじめが確認されました」
翔真は、顔をしかめた。
「……だから、冗談だったって」
教頭は、首を横に振った。
「相手が苦痛を感じていたことは、複数の証言から明らかです」
翔真は、苛立ったように舌打ちした。
教頭は、続けた。
「学校として、正式な指導を行います」
そして、机の上の書類を手に取った。
「まず、黒瀬君への接触を禁止します」
堂島が、顔を上げた。
「……接触?」
「はい。必要のない会話や接近を避けること」
教頭は、はっきりと告げた。
「さらに、今後の学校生活について、一定期間、教員が状況を確認します」
三枝は、黙って頷いた。
翔真は、不満そうに腕を組んだ。
「……それだけですか」
教頭は、静かに答えた。
「いいえ」
そして、続けた。
「保護者を交えた面談を行い、再発防止のための指導を継続します」
翔真の表情が変わった。
「……親も?」
「当然です」
教頭は、はっきりと言った。
「今回の件は、学校として重大に受け止めています」
翔真は、何も答えなかった。
◇ ◇ ◇
放課後。
怜司は、教室で帰り支度をしていた。
そのとき、担任の田所が近づいてきた。
「……黒瀬」
怜司は、顔を上げた。
「……はい」
田所は、少しだけ言いにくそうな表情をした。
そして、静かに口を開いた。
「……今回の件について、学校として対応することになった」
怜司は、黙って聞いていた。
田所は、続けた。
「……今まで、十分な対応ができていなかったことは、申し訳なかった」
その言葉に、怜司は少し驚いた。
田所が、自分に謝る。
そんな日が来るとは、思っていなかった。
だが。
怜司は、すぐには返事をしなかった。
これまで、何度も助けを求めた。
それでも、田所は取り合ってくれなかった。
その記憶は、簡単には消えない。
怜司は、ゆっくりと口を開いた。
「……先生」
田所が顔を上げる。
「……はい」
「……俺、何回も相談しましたよね」
田所は、黙った。
怜司は、静かに続けた。
「でも、先生は……大したことじゃないって」
その言葉に、田所は目を伏せた。
「……そうだな」
怜司は、少しだけ拳を握った。
「……あのとき、ちゃんと話を聞いてほしかったです」
田所は、しばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……すまなかった」
怜司は、その姿を見つめていた。
謝罪されたからといって、すべてを許せるわけではない。
だが。
ようやく、自分の言葉が届いた。
そのことだけは、確かだった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
黒瀬家のリビング。
正臣は、学校から送られてきた文書を読んでいた。
美咲と怜司も、隣に座っている。
文書には、学校側の判断と今後の対応が記されていた。
継続的ないじめの認定。
加害生徒への指導。
被害生徒の安全確保。
そして、再発防止策。
正臣は、最後まで読み終えると、静かに息を吐いた。
「……ようやく、ここまで来たな」
美咲は、頷いた。
「……ええ」
怜司は、少しだけ不安そうに尋ねた。
「……これで、終わりなのかな」
正臣は、首を横に振った。
「……いや」
そして、怜司を見つめた。
「ここからが大事だ」
怜司は、顔を上げた。
「……どういうこと?」
「学校が認めたことと、実際に安心して通えることは別だからな」
正臣は、静かに続けた。
「今後も、ちゃんと見ていく必要がある」
怜司は、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
美咲が、優しく微笑んだ。
「でも、今日は少しだけ安心していいと思うわ」
怜司は、母を見つめた。
「……そうかな」
「ええ」
美咲は、しっかりと頷いた。
「あなたが我慢してきたことを、学校がようやく認めたんだから」
怜司は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……そっか」
胸の奥に、少しだけ温かいものが広がった。
◇ ◇ ◇
一方。
鷹宮家の邸宅。
翔真は、父の隆臣の前に立っていた。
隆臣は、机の上に置かれた学校からの通知を見つめている。
その表情は、冷たかった。
「……翔真」
「……何だよ」
翔真は、不満そうに答えた。
隆臣は、ゆっくりと顔を上げた。
「学校が、いじめを正式に認定したそうだな」
翔真は、舌打ちした。
「……だから、ただの冗談だって」
その瞬間。
――バンッ!
隆臣が、机を強く叩いた。
翔真の身体が、びくりと震えた。
「……まだ、そんなことを言っているのか」
低い声だった。
翔真は、思わず黙り込んだ。
隆臣は、静かに続けた。
「お前の軽率な行動が、どれだけ大きな問題になっているか分かっているのか」
翔真は、唇を噛んだ。
「……でも」
「言い訳は聞きたくない」
隆臣は、はっきりと言った。
「今後、黒瀬家に関わるな」
そして、少しだけ声を落とした。
「二度と、同じことを繰り返すな」
翔真は、何も答えなかった。
だが、その胸の奥には、納得できない感情が残っていた。
自分が悪者にされている。
黒瀬のせいで、すべてが狂った。
そんな歪んだ考えが、まだ消えていなかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
怜司は、自室の机に向かっていた。
ノートを開く。
今日の出来事を、ゆっくりと書き込んでいく。
『学校が、いじめを正式に認めた』
その一文を書いた瞬間。
怜司は、しばらくペンを止めた。
以前なら、考えられなかったことだった。
誰も信じてくれない。
誰も助けてくれない。
そう思っていた。
だが、今は違う。
父と母がいる。
陽菜がいる。
直人がいる。
紗季も、勇気を出してくれた。
そして。
異世界には、エリシアやバルドたちがいる。
怜司は、ゆっくりと微笑んだ。
「……一人じゃないんだな」
小さく呟く。
その言葉は、以前よりもずっと自然に口から出た。
そして、ノートの最後に一行を書き加えた。
『これからは、自分の人生を、自分で選ぶ』
怜司は、ペンを置いた。
窓の外には、静かな夜空が広がっている。
学校での問題は、まだ完全には終わっていない。
だが、大きな一歩を踏み出したことは確かだった。
そして。
その一歩が、やがて怜司の人生を大きく変えることになる。
黒瀬怜司の新しい日常は、少しずつ形になり始めていた。




