第157話 二大財閥、全面攻勢へ
第157話 二大財閥、全面攻勢へ
怜司が東邦メディカルへの反撃を決意した翌日。
九条院グループと西園寺グループの幹部たちは、急遽設けられた合同会議へと集まっていた。
場所は九条院グループ本社の特別会議室。
普段は大型の企業買収や海外投資など、数百億円規模の案件を扱うときに使用される部屋だ。
その中央に、制服姿の少年が座っていた。
黒瀬怜司。
株式会社ルミナス・ライフの代表取締役である。
「それでは、始めようか」
九条院家の当主が口を開いた。
大型モニターには、東邦メディカルホールディングスの事業構成が表示されている。
医療用医薬品。
医療機器。
医療材料。
病院向けの保守・管理サービス。
関連する物流事業。
どれも医療現場を支える重要な分野だった。
「東邦メディカルの強みは、製品単体ではなく、病院との長年の取引関係にある」
九条院グループの事業責任者が説明する。
「医療機器を導入した病院は、その後も保守や消耗品の供給を受けることになります。簡単には取引先を変更できません」
怜司は資料に目を落とした。
「つまり、性能がいい製品を出すだけでは駄目なんですね」
「そのとおりです」
西園寺グループの幹部が頷く。
「医療機器は、故障時の対応や部品供給も重要です。病院にとっては、安心して使い続けられることが何より大切ですから」
怜司は考え込んだ。
自分がポーションを開発したときも、ただ効果が高ければいいとは思っていなかった。
患者が安心して使えること。
必要なときに手に入ること。
そして、使う人が困らないこと。
結局、大切なのは同じなのだ。
「だったら、そこも含めて東邦メディカルより良いものを提供すればいいんですよね」
その言葉に、数人の幹部が顔を上げた。
「簡単におっしゃいますが……」
「もちろん、簡単じゃないのは分かっています」
怜司は慌てて付け加えた。
「ただ、価格だけで勝とうとすると、どこかに無理が出る気がするんです。だから、使う人にとって本当に良いものを作りたいです」
九条院家の当主が微笑んだ。
「それでいい。今回の戦略の中心は、そこに置こう」
会議は具体的な役割分担へと移った。
九条院グループは、医療機器と関連サービスの強化を担当する。
既存の製造子会社を活用し、診断装置や治療支援機器の改良、保守網の拡充を進める方針だった。
一方、西園寺グループは医薬品の製造基盤と医療材料、物流網を中心に攻勢をかける。
すでに保有している事業を強化し、必要に応じて新たな設備投資も行う。
そして、ルミナス・ライフ。
「黒瀬君には、やはり新しい医療技術の研究開発を担ってもらいたい」
西園寺家の当主が言った。
「はい。そのつもりです」
「中級ポーションの開発状況は?」
「基本的な製法は確立しています。今は製造装置の調整と、品質を安定させるための検証を進めています」
怜司は研究資料を開いた。
「ただ、正式に発売するには、まだ時間が必要です」
「当然だな」
高瀬博士も会議に参加していた。
「効果が高い薬ほど、慎重な検証が必要になる。特に中級ポーションは、従来の医薬品では考えられない回復作用を示している」
博士の声には、研究者としての興奮が滲んでいた。
「だからこそ、安易に市場へ出すわけにはいかん」
「はい。そこは絶対に守ります」
怜司が頷く。
その様子を見て、榊原弁護士が口を開いた。
「今回の事業展開では、競争法上の問題にも十分注意する必要があります」
大型モニターに、新たな資料が映し出された。
「各社の役割分担は、共同研究や正当な業務提携の範囲で整理します。競争を不当に制限するような合意や、取引先への圧力は認められません」
「分かっています」
九条院家の当主が答えた。
「市場で勝つのであって、法律を破って勝つわけではない」
西園寺家の当主も同意した。
「病院側に不利益が出るようなことも避けたい。医療は一般の商品とは違うからな」
その言葉に、怜司は少し安心した。
自分の考えていることが、きちんと伝わっている。
それが嬉しかった。
会議が一段落したところで、怜司は手を挙げた。
「あの、一ついいでしょうか」
「何だね?」
「東邦メディカルで働いている人たちのことなんですが……」
幹部たちの視線が集まる。
「もし事業を引き継ぐことになったら、できるだけそのまま働けるようにしてあげたいんです」
西園寺家の当主が目を細めた。
「そこまで考えているのか」
「はい。会社の経営者が何をしていたとしても、社員さん全員が悪いわけじゃありませんから」
九条院家の当主は、しばらく怜司を見つめていた。
「黒瀬君。君は不思議な少年だね」
「え?」
「これほど大きな戦いを始めようとしているのに、勝った後の相手の生活まで心配している」
怜司は少し困ったように笑った。
「俺も、昔は周りの人に助けてもらいましたから」
かつての自分。
学校で居場所を失い、毎日を耐えるように過ごしていたころ。
あのとき、誰かが手を差し伸べてくれることが、どれほど嬉しかったか。
怜司は忘れていなかった。
「だから、必要以上に誰かを苦しめたくないんです」
会議室に静かな空気が流れた。
やがて、西園寺家の当主が力強く頷いた。
「分かった。その方針も正式に組み込もう」
こうして、三社による事業戦略の骨格が決まった。
ただし、実際の投資や製品開発には、各社での審査と承認が必要になる。
会議が終わったころには、窓の外が夕暮れに染まり始めていた。
「黒瀬君」
九条院家の当主が怜司を呼び止めた。
「澪から、君が最近忙しそうだと聞いているよ」
「あ……すみません」
「謝る必要はない。ただ、学校生活まで犠牲にしてはいけない」
怜司は少し驚いた。
「君はまだ高校生だ。会社のことばかり考えていては、今しかできない経験を逃してしまう」
「……はい」
「仕事は我々大人にも任せなさい」
その言葉に、怜司は思わず笑った。
「ありがとうございます」
帰り際、スマートフォンにメッセージが届いた。
澪からだった。
『レイジさん、お仕事お疲れさまです。あまり無理をなさらないでくださいね』
続けて、もう一通。
『それと、以前お約束した展覧会のこと、楽しみにしています』
怜司の表情が自然と緩んだ。
『ありがとうございます。俺も楽しみにしています。近いうちに予定を合わせましょう』
返信を送る。
すると、すぐに可愛らしい花のスタンプが返ってきた。
怜司は小さく笑った。
大きな会社を相手にする戦いが始まろうとしている。
それでも、自分には守りたい日常がある。
家族と過ごす時間。
友人たちとの何気ない会話。
そして、大切な人たちと交わした約束。
そのすべてを守るためにも、負けるわけにはいかなかった。
一方、そのころ。
東邦メディカル本社では、一通の報告書が御堂隆臣の机に置かれていた。
「……九条院と西園寺が、同時に動き始めた?」
御堂の眉が険しくなる。
報告書には、両グループが医療関連事業への投資計画を相次いで見直していると記されていた。
「偶然ではあるまい」
御堂は低く呟いた。
そして、窓の外に広がる夜景を睨みつけた。
「黒瀬怜司……貴様、何を始めるつもりだ?」
巨大企業の頂点に立つ男は、まだ知らなかった。
自分が軽視していた少年が、すでに次の一手を打ち始めていることを。




