第156話 少年社長の宣戦布告
第156話 少年社長の宣戦布告
西園寺家の屋敷を訪れた怜司は、応接室へと案内されていた。
窓の外には手入れの行き届いた庭園が広がっている。
以前ここを訪れたときは、その美しい景色に目を奪われたものだった。
しかし、今日の怜司には庭を眺める余裕などなかった。
「黒瀬さん」
隣に座っていた麗華が、静かに声をかけてくる。
「本当に、よろしいのですか?」
「はい。もう決めましたから」
怜司が答えると、麗華は少しだけ眉を下げた。
先日の事故。
門の設備が倒れ、麗華と琴音が巻き込まれそうになった事件は、怜司にとって決して見過ごせるものではなかった。
幸い、二人に贈っていた護身用魔道具が正常に作動した。
けれど、もし魔道具を渡していなかったら。
そう考えるだけで、今でも胸の奥が冷たくなる。
「黒瀬さんがくださったお守りのおかげで、わたくしたちは助かりましたわ」
「……無事で、本当によかったです」
「ですが、黒瀬さんが責任を感じる必要はありませんのよ?」
麗華の言葉に、怜司は首を横に振った。
「責任を感じているというより、許せないんです」
「黒瀬さん……」
「俺の会社や技術を調べるのは、まだ理解できます。競争相手なんですから。でも、そのために麗華さんや琴音ちゃんまで危険な目に遭うなんて……」
そこで言葉を切る。
握りしめた拳に、自然と力がこもった。
「もう、黙っているつもりはありません」
麗華はしばらく怜司を見つめていた。
やがて、その手をそっと包み込む。
「ありがとうございます。でも、どうか無理だけはなさらないでくださいませ」
「はい。約束します」
怜司が微笑むと、麗華もようやく表情を和らげた。
そのとき、応接室の扉が開いた。
「待たせたね、黒瀬君」
現れたのは西園寺家の当主だった。
その後ろには九条院家の当主と、顧問弁護士の榊原も続いている。
今回の会談は、怜司自身が希望したものだった。
普段なら二大財閥の当主を同時に呼び出すなど、普通の高校生には考えられない。
だが、今の怜司は単なる高校生ではない。
株式会社ルミナス・ライフの代表取締役。
そして、医療業界の常識を変えつつある技術の保有者でもあった。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
怜司が立ち上がって頭を下げる。
「構わないよ。君から重要な相談があると聞けば、時間くらい作るさ」
九条院家の当主が穏やかに答えた。
全員が席に着く。
麗華は父親の勧めで、そのまま同席することになった。
「それで、黒瀬君。今日の話というのは?」
西園寺家の当主が切り出した。
怜司は一度だけ深く息を吸った。
「東邦メディカルホールディングスについてです」
室内の空気が変わった。
九条院家の当主が静かに目を細める。
「……やはり、その話か」
「はい」
怜司は真っすぐに二人を見た。
「俺から喧嘩を売るつもりはありませんでした。会社を作ったのも、誰かと争うためじゃありません」
怜司が思い浮かべたのは、交通事故で命を落としかけた琴音の姿だった。
あのとき、自分の持つ力が誰かを救えるのだと知った。
だからこそ、ポーションを多くの人へ届けたいと思ったのだ。
「でも、大切な人に手を出された以上、何もしないわけにはいきません」
静かな声だった。
怒鳴るわけでも、机を叩くわけでもない。
それでも、怜司の決意は十分に伝わった。
「東邦メディカルの市場シェアを奪いたいと思っています」
「ほう……」
西園寺家の当主が身を乗り出した。
「具体的には?」
「九条院グループと西園寺グループのお力を借りたいんです」
怜司は用意していた資料をテーブルに置いた。
そこには、東邦メディカルが展開する事業領域と、二大財閥が保有する関連事業の概要がまとめられていた。
「東邦メディカルは医薬品だけじゃなく、医療機器や医療材料、病院向けのサービスも扱っていますよね」
「ああ。国内でも相当な規模だ」
「その分野で、正面から競争を仕掛けられないでしょうか」
九条院家の当主が資料を手に取る。
「価格競争かね?」
「それだけではありません」
怜司は首を振った。
「品質や性能、供給体制も含めてです。患者さんや病院が、自然とこちらの製品を選びたくなるようなものを作りたいんです」
「なるほど」
「そして、ルミナス・ライフは新しい回復ポーションの開発を進めます」
その言葉に、榊原が反応した。
「中級回復ポーションですね」
「はい」
下級ポーションは、すでに限定された用途で正式発売されている。
しかし、怜司が持つ技術の可能性は、それだけではない。
中級回復ポーション。
深い傷や骨折、重度の火傷にまで高い回復効果を示す薬。
もちろん、日本で医薬品として発売するには、さらなる試験と審査が必要になる。
だが、その可能性は計り知れなかった。
「中級ポーションが承認されれば、医療の選択肢は大きく変わります」
怜司は続けた。
「俺は、それをきちんと患者さんに届けたい。その過程で、東邦メディカルが今まで持っていた市場を奪えるなら……徹底的にやりたいと思っています」
西園寺家の当主は腕を組んだ。
「黒瀬君。君は東邦メディカルを倒産させたいのかね?」
「……今の経営陣が、これ以上好き勝手できないようにしたいです」
「会社そのものは?」
「できることなら、無関係な社員さんたちまで苦しめたくありません」
怜司は迷わず答えた。
「会社が事業を続けられなくなるなら、必要な事業は引き継げばいいと思っています。薬を使っている患者さんや、働いている人たちを置き去りにはしたくありません」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、九条院家の当主が小さく笑った。
「君らしい答えだね」
「甘いでしょうか?」
「いや。経営者として、むしろ大切な視点だ」
西園寺家の当主も頷いた。
「企業を追い詰めるのは簡単ではない。ましてや相手は大手製薬企業だ。だが、勝った後のことまで考えているなら、話は違ってくる」
そこで表情を引き締める。
「一つ確認しておこう。今回の事件について、東邦メディカル上層部が指示したという証拠は、まだない」
「分かっています」
「ならば、事件の責任追及と市場競争は分ける必要がある」
「はい。そこは榊原先生にも確認していただきたいです」
榊原が頷く。
「法的な問題が起きないよう、私も全面的に協力します」
怜司は再び二人の当主へ向き直った。
「お願いします。俺一人では、ここまで大きなことはできません」
西園寺家の当主は、しばらく怜司の顔を見つめていた。
そして、力強く笑った。
「よかろう」
「……!」
「我が娘と琴音を危険にさらされた件については、私も看過するつもりはない。もちろん、責任の所在は捜査で明らかにする。そのうえで、企業としての競争なら堂々と受けて立とう」
九条院家の当主も頷いた。
「九条院グループも協力しよう。君の技術には、それだけの価値がある」
「ありがとうございます!」
怜司は深く頭を下げた。
その姿を見て、麗華は胸の奥が温かくなるのを感じていた。
自分たちを守ろうとしてくれることが嬉しい。
けれど、それ以上に。
誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るために立ち上がろうとする怜司が、たまらなく誇らしかった。
「黒瀬さん」
怜司が顔を上げる。
麗華は穏やかに微笑んだ。
「わたくしも、応援しておりますわ」
「ありがとうございます、麗華さん」
そのやり取りを見て、西園寺家の当主がわずかに目を細めた。
娘が怜司に向ける眼差し。
そこに込められた感情を、父親が見逃すはずもなかった。
だが、今は何も言わなかった。
代わりに、テーブルの資料を手に取る。
「さて、黒瀬君」
「はい」
「本気でやるというのなら、まずは勝つための戦略を練ろうじゃないか」
九条院家の当主も微笑んだ。
「相手は巨大企業だ。こちらも遠慮する必要はない。ただし、正々堂々と勝つ」
怜司は力強く頷いた。
この日。
一人の少年が下した決断によって、日本の医療業界を揺るがす戦いが、静かに動き始めた。




