第154話 侵入者たちの誤算――小さな魔石が守った命
その日は、朝から雨が降っていた。
窓を叩く雨音を聞きながら、俺は学校へ向かう準備をしていた。
「……お兄ちゃん」
リビングへ入ると、陽菜が少し眠そうな顔で座っていた。
「……どうしたの?」
「……雨、嫌だなあ」
俺は、思わず笑った。
「傘を忘れないようにね」
「分かってるよー」
陽菜は、少しだけ頬を膨らませた。
その胸元には、俺が渡した小さな魔石のペンダントがある。
星形のチャーム。
淡い青色の結晶。
毎日、大切に持ち歩いてくれているものだ。
「……陽菜」
「ん?」
「そのペンダント、ちゃんと持っててね」
俺が言うと、陽菜は嬉しそうに笑った。
「もちろん!」
そして、胸元のペンダントを握る。
「お兄ちゃんが作ってくれた、大事なお守りだもん!」
その言葉に、胸が温かくなった。
「……ありがとう」
俺は、妹の頭を軽く撫でた。
いつも通りの朝。
何も変わらない日常。
少なくとも、そのときはそう思っていた。
◇
同じ日の午後。
西園寺家の屋敷。
琴音さんは、自室で本を読んでいた。
事故から長い時間が経ち、体調もすっかり落ち着いている。
もちろん、定期的な診察は続けている。
けれど、以前のような明るい笑顔が戻っていた。
「……うーん」
琴音さんは、本を閉じて伸びをした。
「……ちょっと疲れた」
机の上には、将来の仕事について調べたメモが並んでいる。
医師。
看護師。
救急救命士。
そして、研究者。
以前、俺へ話してくれた夢。
誰かを助けられる人になりたい。
その想いを、少しずつ形にしようとしているらしい。
そのとき。
コンコン。
扉がノックされた。
「……琴音。少しよろしいかしら?」
「お姉様?」
麗華さんが、顔を覗かせた。
「お茶にしませんこと?」
「……する!」
琴音さんは、嬉しそうに立ち上がった。
「ちょうど休憩したかったんです!」
麗華さんが、柔らかく微笑む。
「ふふ。では、行きましょう」
二人は、並んで廊下を歩き始めた。
その胸元と手首には。
俺が贈った、小さな魔石が輝いていた。
◇
その頃。
西園寺家の敷地の外では、不審な車が一台停まっていた。
運転席には、葛城慎吾。
助手席には、部下の男が座っている。
「……本当に、ここでいいんですか?」
部下が、不安そうに尋ねた。
「……ああ」
葛城は、屋敷の門を見つめた。
「西園寺家の娘たちが、あの会社の代表と親しいらしい」
「……だからって、こんなところまで来る必要がありますか?」
葛城は、冷たく笑った。
「情報は、人から取るのが一番早い」
部下は、黙り込んだ。
「……ただし、今日は様子を見るだけだ」
葛城は続けた。
「どんな警備があるか、確認しておく」
その言葉に、部下は少し安心した。
けれど。
葛城の目には、明確な欲望が宿っていた。
製造技術の秘密。
魔石の存在。
そして、その技術を握る少年。
それらを手に入れれば、莫大な報酬が待っている。
葛城は、そう信じていた。
◇
夕方。
西園寺家の屋敷では、琴音さんと麗華さんが庭へ出ていた。
雨は、すでに上がっている。
濡れた木々が、夕暮れの光を受けて輝いていた。
「……綺麗ですね、お姉様」
「ええ」
麗華さんが、柔らかく微笑んだ。
「雨上がりの庭も、悪くありませんわね」
琴音さんは、嬉しそうに頷いた。
そのときだった。
庭の外側で、何かが動いた。
「……?」
琴音さんが、首を傾げる。
「……お姉様?」
「……どうしましたの?」
「……今、あっちで……」
琴音さんが指さした瞬間。
ガシャンッ!
大きな音が響いた。
庭の外側にある管理用の門が、強い衝撃を受けたのだ。
「……っ!?」
麗華さんが、琴音さんの肩を抱いた。
次の瞬間。
門の一部が大きく傾き、金属製の部材が庭側へ倒れ込んできた。
その先には。
琴音さんと麗華さんがいた。
「……琴音!」
麗華さんが、妹を庇おうとした。
けれど。
間に合わない。
そう思われた瞬間。
キィィンッ!
澄んだ音が響いた。
琴音さんの胸元。
そして、麗華さんの手首。
二つの魔石が、同時に青く輝いた。
次の瞬間。
二人の周囲に、透明な結界が展開された。
ガァンッ!
倒れ込んできた金属部材が、結界へ激突する。
けれど。
二人の身体には、触れなかった。
「…………え?」
琴音さんが、呆然と呟いた。
麗華さんも、目を見開いている。
透明な膜が、二人を包み込んでいた。
まるで、そこだけ別の空間になったかのように。
「……これって……」
琴音さんが、胸元のペンダントを見つめた。
淡い青色の光が、少しずつ弱くなっていく。
「……怜司さんの……」
麗華さんも、ブレスレットへ視線を落とした。
そして、静かに息を呑んだ。
「……黒瀬さん……」
その声は、震えていた。
◇
「お嬢様!」
警備員たちが、慌てて駆けつけてきた。
「お怪我はありませんか!?」
麗華さんは、ゆっくり頷いた。
「……ええ。私たちは大丈夫ですわ」
琴音さんも、胸元のペンダントを握りしめた。
「……本当に、何ともありません」
警備員たちは、倒れた門の部材を確認した。
そして、すぐに周囲の安全確保へ動いた。
門の外では、不審な車が急いで走り去ろうとしていた。
その様子を、敷地の監視カメラが捉えていた。
葛城たちは、警備の様子を探るために門へ接近していた。
だが、部下の不用意な操作によって、門の設備へ強い衝撃を与えてしまったのだ。
結果として、門の一部が倒れた。
そして。
その事故が、二人の命を脅かした。
「……まずい!」
助手席の男が、青ざめた。
「……今の、見られましたよ!」
「……黙ってろ!」
葛城は、ハンドルを強く握った。
だが。
彼らは、まだ知らなかった。
その場の映像が、複数の監視カメラに記録されていることを。
そして。
彼らの行動が、すでに西園寺家の警備部門へ報告されていることを。
◇
その頃。
俺は、学校から帰宅したところだった。
スマートフォンが震える。
画面には、西園寺家の当主の名前。
「……もしもし」
『黒瀬君。落ち着いて聞いてほしい』
その声に、胸がざわついた。
「……何かあったんですか?」
『琴音と麗華が、危険な目に遭った』
「……っ!?」
心臓が、大きく跳ねた。
「……二人は!?」
『無事だ』
その言葉に、俺は大きく息を吐いた。
『君が渡してくれた魔道具が、二人を守ってくれた』
「…………」
俺は、言葉を失った。
護身用魔道具。
あのとき、作っておいてよかった。
本当に。
『ただ、魔石が発動したようなんだ』
「……分かりました」
俺は、すぐに答えた。
「今から伺います。点検と魔力の補充をさせてください」
『ありがとう。だが、慌てて危険な運転などしないでくれ』
「……はい」
俺は、静かに頷いた。
◇
西園寺家へ到着すると、琴音さんが玄関で待っていた。
「……怜司さん!」
「……琴音さん!」
俺は、思わず駆け寄った。
「……大丈夫ですか!? 怪我は!?」
琴音さんは、ゆっくり首を横に振った。
「……大丈夫です」
そして、胸元のペンダントを握りしめた。
「……これが、守ってくれました」
その声が、少し震えた。
「……本当に、怖かったんです」
俺は、静かに頷いた。
「……そうですよね」
琴音さんの目に、涙が浮かぶ。
「……でも、怜司さんがくれたお守りが……」
言葉が、途中で詰まった。
俺は、ゆっくり微笑んだ。
「……無事で、よかったです」
その瞬間。
琴音さんが、ぽろぽろと涙をこぼした。
「……ありがとうございます……!」
俺は、何も言わずに頷いた。
その隣では、麗華さんが静かに立っていた。
「……黒瀬さん」
「……麗華さん」
俺は、彼女を見つめた。
「……本当に、無事でよかった」
麗華さんは、少しだけ目を潤ませた。
「……ええ」
そして、手首のブレスレットへ触れる。
「……あなたが、私たちを守ってくださったんですわ」
俺は、静かに首を横に振った。
「……魔道具が役に立って、よかったです」
すると、麗華さんが、少しだけ微笑んだ。
「……いいえ」
その声は、優しかった。
「……これを作ってくださったのは、あなたですもの」
俺は、何も言えなくなった。
◇
その後。
俺は、二人の魔石を点検した。
琴音さんのペンダント。
麗華さんのブレスレット。
どちらも、大量の魔力を消費していた。
けれど、術式そのものに異常はない。
「……再充填すれば、また使えます」
俺が説明すると、二人は安心したように頷いた。
俺は、ゆっくり魔力を込めた。
青い結晶が、再び輝き始める。
「……これで、大丈夫です」
琴音さんが、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます!」
麗華さんも、静かに頭を下げた。
「……本当に、感謝していますわ」
俺は、少しだけ笑った。
「……どういたしまして」
そのとき。
西園寺家の当主が、静かに口を開いた。
「……黒瀬君」
「……はい」
「……今回の件、単なる事故ではない可能性がある」
俺は、顔を上げた。
「……どういうことですか?」
当主は、真剣な表情だった。
「敷地の外で、不審な車が確認されている」
そして、続けた。
「警備部門が、映像を調べているところだ」
俺は、静かに息を呑んだ。
まさか。
研究施設を狙っていた人間が。
今度は、西園寺家へ?
「……まだ、決めつけることはできない」
当主は、落ち着いた声で言った。
「だが、もし意図的な行為なら、見過ごすわけにはいかない」
俺は、ゆっくり頷いた。
「……はい」
琴音さんと麗華さん。
二人が無事だったことは、何より嬉しい。
けれど。
大切な人たちへ危険が迫った。
その事実が、胸の奥に重く残った。
俺は、静かに拳を握った。
今度こそ。
誰かが傷つく前に、止めなければならない。
そう、強く思った。




