第153話 忍び寄る悪意――狙われた魔石の秘密
「……また、ですか?」
俺は、思わず眉を寄せた。
ルミナス・ライフの研究施設。
会議室のテーブルには、数枚の報告書が並んでいる。
その内容は、決して気持ちのいいものではなかった。
「はい」
篠原さんが、真剣な表情で頷いた。
「ここ一週間で、研究員への不審な接触が三件確認されています」
「……三件も?」
「ええ」
俺は、資料へ目を落とした。
一件目。
研究員に対して、現在の給与を大きく上回る条件で転職を持ちかけた人物。
二件目。
研究施設の外で、製造装置について執拗に質問してきた人物。
三件目。
取引先を名乗り、許可されていない研究区域への立ち入りを求めた人物。
「……これって」
俺は、小さく呟いた。
「……偶然じゃないんでしょうか」
篠原さんは、少しだけ考えた。
「個別には、単なる転職の勧誘や手続き上の行き違いという可能性もあります」
そして、真剣な表情になる。
「ですが、短期間に集中していることは気になります」
俺は、静かに頷いた。
九条院家の当主が、報告書を閉じた。
「黒瀬君。今の段階で、特定の企業が関与していると決めつけることはできない」
「……はい」
「ただし、機密情報を狙う動きがある可能性は考えておくべきだ」
西園寺家の当主も頷いた。
「だから、施設の警備と情報管理を強化しよう」
俺は、静かに息を吐いた。
「……お願いします」
◇
その日の午後。
高瀬博士が、俺のところへやって来た。
「……黒瀬君。少し、お話しできますか?」
「はい。どうしました?」
博士は、少しだけ困ったように笑った。
「実は、私のところにも連絡がありましてね」
「……連絡?」
「以前、一緒に研究をしていた知人からです」
俺は、静かに耳を傾けた。
「最近の研究について、詳しく聞きたいと言われました」
「……それは」
「もちろん、機密情報は話していません」
博士は、はっきり答えた。
「ですが、少し気になることがありました」
「……何でしょう?」
「相手が、製造装置の中心にある結晶について、妙に詳しく知りたがったんです」
俺は、思わず息を呑んだ。
魔石。
回復ポーション製造の核心に関わるもの。
その存在は、外部へ詳しく公開していない。
「……どうして、そのことを?」
「分かりません」
高瀬博士は、静かに首を横に振った。
「公開資料から推測したのかもしれません。あるいは、誰かから聞いたのか」
俺は、少し考え込んだ。
秘密を共有する人が増えれば、情報が漏れる可能性も高くなる。
だからこそ、契約と管理が必要だった。
「……博士」
「はい」
「報告してくださって、ありがとうございます」
俺は、深く頭を下げた。
博士は、少し驚いたように目を開いた。
「……いえ。当然のことです」
「でも、助かりました」
俺は、はっきり答えた。
「皆さんが協力してくださるから、安心して研究を続けられます」
その言葉に、高瀬博士が穏やかに微笑んだ。
「……そう言っていただけると、嬉しいですね」
◇
数日後。
俺は、九条院家と西園寺家の当主から、改めて警備体制について説明を受けた。
「……まず、研究施設への出入りを厳格に管理する」
九条院家の当主が言った。
「関係者であっても、必要な区域以外には立ち入れないようにする」
西園寺家の当主も続ける。
「製造装置の核心部分については、さらに管理を強化する」
俺は、静かに頷いた。
「……分かりました」
「それから」
九条院家の当主が、少しだけ真剣な表情になる。
「黒瀬君自身の安全も考えたい」
「……俺ですか?」
「ああ」
当主は頷いた。
「君がルミナス・ライフの代表であることは、調べれば分かる情報だ」
俺は、少しだけ考えた。
確かに。
会社を設立した以上、完全に身元を隠すことは難しい。
「……でも、学校には普通に通いたいです」
俺が答えると、当主は穏やかに微笑んだ。
「もちろんだよ」
そして、続けた。
「君の日常を奪わない形で、必要な安全対策を考えよう」
その言葉に、俺は安心した。
「……ありがとうございます」
◇
その夜。
俺は、自室で護身用魔道具の設計図を見つめていた。
先日、家族と両家の皆さんへ渡したアクセサリー。
悪意や重大な危険を感知すると、自動で結界を展開する。
銃弾や爆発、大型車両との衝突に相当する衝撃にも耐えられるよう設計したものだ。
ただし、魔力には限りがある。
使用後は、俺が点検して再充填する必要がある。
「……もう少し、改良できるかな」
俺は、小さく呟いた。
今のところ、誰かが危険な目に遭ったという報告はない。
それでも。
嫌な予感がした。
魔石の秘密を狙う人間がいるのなら。
その人間が、俺だけを狙うとは限らない。
澪さん。
麗華さん。
琴音さん。
そして、父さん、母さん、陽菜。
大切な人たちの顔が、次々と浮かぶ。
「……絶対に、巻き込みたくない」
俺は、静かに拳を握った。
だからこそ、護身用魔道具を作った。
あのときの判断は、間違っていなかったと思う。
◇
翌日。
学校の廊下を歩いていると、澪さんと麗華さんが声をかけてきた。
「レイジさん。こんにちは」
「こんにちは、澪さん」
「黒瀬さん。少しお疲れではありませんこと?」
麗華さんが、心配そうに俺を見つめた。
「……そう見えますか?」
「ええ。少し考え事をしているようでしたから」
俺は、思わず苦笑した。
「……ちょっと、会社のことで」
澪さんの表情が、少しだけ真剣になる。
「……何かあったんですか?」
俺は、周囲を確認した。
廊下には、他の生徒たちもいる。
「……詳しいことは、あとで」
小さな声で答えると、二人はすぐに察してくれた。
「……分かりました」
「ええ」
放課後。
人目のない場所で、俺は最近の不審な接触について説明した。
澪さんは、静かに聞いていた。
麗華さんも、真剣な表情だった。
「……そんなことが」
澪さんが、小さく呟いた。
「まだ、誰が何を目的にしているのかは分かりません」
俺は答えた。
「でも、念のため気をつけてください」
すると、麗華さんが静かに口を開いた。
「……黒瀬さん」
「はい?」
「……あなたも、ですわよ」
俺は、少し驚いた。
「……俺も?」
「当然ですわ」
麗華さんは、まっすぐ俺を見つめた。
「私たちのことを心配してくださるのは嬉しいです」
そして、少しだけ声を柔らかくする。
「でも、あなたが危険な目に遭うのも、私たちは嫌なんですのよ」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
澪さんも、静かに頷いた。
「……レイジさん。私たちにも、できることがあれば言ってください」
俺は、二人を見つめた。
守ることばかり考えていた。
でも。
俺自身も、こうして心配してもらっている。
「……ありがとうございます」
俺は、ゆっくり笑った。
「……無茶はしません」
二人の表情が、少しだけ柔らかくなった。
◇
同じ頃。
都内の小さな事務所。
一人の男が、机の上に写真を並べていた。
研究施設の外観。
出入りする研究員。
そして、製造装置が搬入された日の記録。
「……なるほどな」
男は、小さく呟いた。
名前は、葛城慎吾。
企業調査を請け負う民間の調査業者だった。
もっとも。
その仕事のすべてが、正当な調査というわけではない。
机の上には、依頼人から渡された資料が置かれている。
『特殊結晶の情報』
『製造工程の詳細』
『技術責任者との接触』
葛城は、静かに笑った。
「……ずいぶん高く買ってくれるらしいじゃないか」
そして、電話を手に取った。
「……ああ。調査は進んでる」
電話の向こうで、男の声がした。
『成果は?』
「もう少しだ」
葛城は、写真を一枚取り上げた。
そこには、研究施設の出入口が写っていた。
「……まずは、中に入れる人間を探す」
電話の向こうが、静かになる。
『……余計な騒ぎは起こすなよ』
「分かってるさ」
葛城は、口元を歪めた。
「……目立たずにやる」
その言葉が、どこまで本当なのか。
電話の相手にも、分からなかった。
ただ一つ確かなのは。
回復ポーションの秘密へ、明確な悪意が近づき始めているということだった。




