第149話 世界が驚愕した日――奇跡の回復薬、ついに発売
発売当日の朝。
俺は、いつもより早く目を覚ました。
窓の外には、澄み切った青空が広がっている。
今日は、株式会社ルミナス・ライフにとって特別な日だ。
下級回復ポーション。
正式な製造販売承認を受けた、俺たちの最初の製品。
その発売日だった。
「……いよいよ、か」
俺は、小さく呟いた。
最初に回復ポーションを作ったときは、こんな日が来るなんて想像もしていなかった。
異世界で学んだ錬金術。
魔石を利用した製造装置。
そして、日本の研究者たちと積み重ねてきた試験。
そのすべてが、今日につながっている。
俺は、ゆっくり制服へ着替えた。
そう。
今日は、普通に学校へ行く。
発売のために授業を休む必要はない。
製造も販売も、専門家たちが担当してくれている。
俺は、あくまでルミナス・ライフの代表取締役。
すべてを一人で動かす必要はないんだ。
◇
「お兄ちゃん!」
リビングへ入ると、陽菜がスマートフォンを片手に駆け寄ってきた。
「……何?」
「見て見て!」
画面を差し出される。
そこには、ニュース記事が表示されていた。
『新型創傷治療薬、本日発売』
『従来と異なる製造技術に注目』
『九条院・西園寺両グループが共同事業を支援』
俺は、思わず目を見開いた。
「……もう記事になってるんだ」
「そうだよ!」
陽菜は、嬉しそうに笑った。
「お兄ちゃんの会社、ニュースになってる!」
母さんも、キッチンから微笑んだ。
「朝のニュースでも紹介されていたわよ」
「……本当に?」
「ええ」
父さんが、新聞を畳んだ。
「ただし、個人情報については、きちんと守られているようだな」
「うん」
俺は頷いた。
今回の広報では、会社名と製品情報を中心に発表している。
俺が高校生であることや、魔力を使えることは公表していない。
もちろん、異世界のことも秘密だ。
魔石については、特殊な製造技術の一部として、必要な範囲で説明している。
すべてを公開する必要はない。
大切なのは、薬を必要としている人たちへ安全に届けることだ。
「……お兄ちゃん」
陽菜が、にやりと笑った。
「何?」
「……有名人になっちゃうかもね!」
「……勘弁してほしいな」
俺が苦笑すると、家族が笑った。
◇
学校へ到着すると、教室はいつも通りだった。
「おっ、怜司!」
隼人が、元気よく声をかけてくる。
「おはよう、隼人」
「おはよう! なあ、今日のニュース見たか?」
俺は、少しだけ緊張した。
「……何のニュース?」
「新しい薬が発売されたってやつ!」
……やっぱり。
隼人は、興奮した様子で続けた。
「なんか、傷の治りを助けるすごい薬らしいぞ!」
「……へえ」
俺は、できるだけ自然に答えた。
その隣で、蒼真が静かに口を開く。
「ただ、報道ではかなり慎重な説明だったな」
「……そうなの?」
「ああ。承認された用途は限定的だし、万能薬というわけではないらしい」
俺は、心の中で頷いた。
その通りだ。
今発売されるのは、下級回復ポーションだけ。
しかも、使用できる範囲は限られている。
けれど。
その限定された範囲でも、従来の治療では考えられなかった効果が確認されていた。
「……それでも、すごいよな!」
隼人が笑う。
「こういう技術がどんどん進んだら、世の中変わりそうだよな!」
俺は、静かに微笑んだ。
「……そうだね」
その言葉が、何だか嬉しかった。
◇
昼休み。
俺のスマートフォンに、九条院家の当主から連絡が届いた。
『黒瀬君。発売開始から、予想を上回る問い合わせが入っている』
俺は、思わず目を見開いた。
続いて、もう一通。
『初回出荷分は、すでにすべて引き当てが決まった。詳しい報告は放課後にしよう』
「……えっ?」
思わず声が漏れた。
初回出荷分が、もう?
まだ発売初日なのに。
俺は、画面を見つめたまま固まってしまった。
すると。
「……レイジさん?」
澪さんの声が聞こえた。
顔を上げると、澪さんが心配そうに見つめている。
「……どうかしましたか?」
「……いえ」
俺は、少しだけ笑った。
「……どうやら、初回出荷分が全部売れたみたいです」
澪さんが、目を大きく見開いた。
「……本当ですか!?」
「はい」
俺は頷いた。
「まだ、詳しい数字は分かりませんけど」
澪さんは、嬉しそうに微笑んだ。
「……すごいです、レイジさん!」
その声に、麗華さんも近づいてきた。
「……何のお話ですの?」
澪さんが説明すると、麗華さんの表情が変わった。
「……初回出荷分が、もう?」
「はい」
俺は頷いた。
麗華さんは、少しだけ驚いたあと、柔らかく微笑んだ。
「……おめでとうございます、黒瀬さん」
「ありがとうございます」
すると、澪さんが小さく笑った。
「……これから、ますます忙しくなりそうですね」
「……そうですね」
俺は苦笑した。
けれど。
不思議と、不安はなかった。
支えてくれる人たちがいる。
そのことが、何より心強かった。
◇
放課後。
俺は、研究施設の会議室で報告を受けていた。
九条院家と西園寺家の当主。
販売部門の責任者。
高瀬博士。
篠原さん。
そして、榊原さん。
全員が、どこか興奮した表情をしている。
「……黒瀬君」
九条院家の当主が、静かに口を開いた。
「まず、発売初日の結果を報告しよう」
「……はい」
俺は、背筋を伸ばした。
大型モニターに、販売状況が表示される。
初回出荷数量。
医療機関からの注文。
追加発注の問い合わせ。
そして、今後の供給予定。
「……初回出荷分、五万本」
俺は、思わず呟いた。
九条院家の当主が頷く。
「そのすべてについて、出荷先が確定した」
「……五万本、全部ですか?」
「ああ」
俺は、言葉を失った。
もちろん、五万本すべてが患者に使用されたわけではない。
医療機関や流通先への供給が決まったという意味だ。
それでも。
発売初日で、五万本。
想像していた以上だった。
「……すごいですね……」
俺が呟くと、西園寺家の当主が微笑んだ。
「それだけ、期待されているということだよ」
そして、少しだけ真剣な表情になる。
「ただし、ここからが大切だ」
「……はい」
「需要が大きいからといって、無理に製造量を増やしてはいけない」
篠原さんも頷いた。
「品質を維持できる範囲で、段階的に増産します」
「……お願いします」
俺は、深く頭を下げた。
◇
さらに、販売部門から報告が続いた。
医療機関からの追加注文。
海外の研究機関からの問い合わせ。
そして、製薬企業からの提携希望。
その数は、想像以上だった。
「……こんなに……」
俺は、思わず呟いた。
九条院家の当主が頷いた。
「今回の製品は、既存の医薬品とは異なる特徴を持っている」
西園寺家の当主も続ける。
「そのため、業界全体が注目しているんだ」
俺は、静かに頷いた。
もちろん、すべてが好意的な反応というわけではない。
慎重な意見もある。
効果を疑う声もある。
製造技術の透明性について、質問も寄せられている。
それらには、きちんと向き合わなければならない。
けれど。
少なくとも、必要としている人たちがいる。
そのことは、確かだった。
◇
会議が終わったあと。
俺は、研究施設の廊下を歩いていた。
窓の外には、夕暮れの空が広がっている。
「……発売できたんだな」
小さく呟く。
最初に魔法を使えるようになった日。
異世界で錬金術を学んだ日。
初めて回復ポーションを作った日。
そして、琴音さんの命を救った日。
いくつもの出来事が、頭の中を駆け巡った。
あのときは、ただ目の前の人を助けたかった。
でも、今は。
もっと多くの人を助けられるかもしれない。
俺は、静かに笑った。
「……ここからだな」
そのとき。
スマートフォンが震えた。
美月さんからだった。
『怜司! 今日のニュース見た!? すごい薬が発売されたらしいよ!』
俺は、思わず笑った。
『見たよ。かなり話題になってるね』
すると、すぐに返事が届く。
『ああいう薬があったら、怪我で悩む人も減るかもしれないね!』
その言葉に、胸が温かくなった。
『そうだね。そうなったらいいと思う』
俺は、ゆっくり返信した。
美月さんは、まだこの薬が俺の会社から生まれたものだとは知らない。
詩織さんも。
蒼真も、隼人も。
それでいい。
今は、まだ。
大切なのは、薬が必要な人へ届くことだ。
俺は、夕暮れの空を見上げた。
発売初日。
五万本。
そして、想像を超える反響。
その数字が、これからさらに大きくなっていくことを。
このときの俺は、まだ知らなかった。




