第148話 長い審査の果てに――奇跡の回復薬、ついに承認
回復ポーションの製造ラインが安定してから、さらに時間が流れた。
季節が巡り、学校では新しい学期が始まり、また終わっていく。
研究と審査は、俺が最初に想像していたよりもずっと長い道のりだった。
魔力という未知の力を利用する製造工程。
既存の医薬品とは異なる作用。
そして、これまでにない回復効果。
どれも、簡単に認めてもらえるものではなかった。
高瀬博士たちは、何度も試験を重ねた。
篠原さんは、製造工程の記録と品質管理体制を整え続けた。
榊原さんは、規制当局との協議や契約の整理に奔走してくれた。
九条院家と西園寺家も、必要な資金と人員を段階的に投入してくれていた。
そして、俺は。
学校へ通いながら、魔石の補充と製造装置の改良を続けていた。
もちろん、すべてが順調だったわけではない。
何度も、壁にぶつかった。
◇
「……この結果では、まだ足りませんね」
ある日の研究室。
高瀬博士が、難しい表情で資料を見つめていた。
俺は、隣から覗き込む。
「……何が問題なんですか?」
「効果そのものは確認できています」
博士は、ゆっくり答えた。
「ですが、どのような条件で、どの程度の効果が得られるのか。その範囲を、もっと明確にしなければなりません」
俺は、静かに頷いた。
異世界では、下級回復ポーションは軽い傷を治す薬として使われている。
けれど、日本で医薬品として販売するなら、それだけでは足りない。
どんな傷に使えるのか。
どれくらいの量が必要なのか。
副作用はないのか。
他の薬と併用しても問題ないのか。
そうしたことを、一つずつ確認しなければならない。
「……やっぱり、難しいですね」
俺が呟くと、高瀬博士は少し笑った。
「ええ。ですが、それが医薬品の開発というものです」
そして、真剣な表情になる。
「どれほど素晴らしい効果があっても、安全に使えなければ意味がありませんから」
俺は、ゆっくり頷いた。
「……はい」
その言葉は、胸に残った。
◇
それからも、研究は続いた。
対象を限定した試験。
使用量の調整。
保存条件の確認。
製造工程の検証。
そして、段階的な臨床評価。
必要な審査や手続きを踏みながら、慎重に進めていった。
魔石の存在についても、規制当局には必要な範囲で説明を行った。
未知のエネルギーを利用する特殊な製造技術。
その原理は、まだ完全には解明されていない。
けれど、製造工程を管理し、完成品の品質と安全性を確認できるよう、研究者たちが粘り強く資料を積み重ねてくれた。
当然、審査は簡単ではなかった。
追加の資料を求められたこともある。
試験計画を見直したこともある。
製造工程の一部を、最初から検証し直したこともあった。
そのたびに、俺たちは立ち止まった。
そして、問題を一つずつ解決していった。
時間はかかった。
けれど、無駄な時間ではなかった。
◇
研究開始から、さらに一年以上が過ぎた頃。
俺は、久しぶりに高瀬博士から直接呼び出された。
『黒瀬君。重要なお話があります』
そのメッセージを見た瞬間、胸が高鳴った。
何か問題が起きたのだろうか。
それとも。
期待と不安が入り混じったまま、俺は研究施設へ向かった。
会議室には、すでに関係者が集まっていた。
九条院家の当主。
西園寺家の当主。
高瀬博士。
篠原さん。
榊原さん。
そして、父さん。
全員が、どこか緊張した表情をしている。
「……お待たせしました」
俺が入室すると、九条院家の当主が微笑んだ。
「黒瀬君。よく来てくれたね」
「……はい」
俺は、席へ腰を下ろした。
高瀬博士が、一枚の書類を取り出す。
そして。
「……黒瀬君」
「……はい」
「……おめでとうございます」
その言葉に、俺は一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
博士は、穏やかに微笑んだ。
「下級回復ポーションについて、申請していた限定された用途での製造販売承認が下りました」
「…………」
俺は、言葉を失った。
……承認?
……本当に?
「……それって……」
声が、少し震えた。
「……発売できるってことですか?」
榊原さんが、静かに頷いた。
「承認条件に沿った表示や製造販売体制、出荷前の確認など、残りの準備はあります」
そして、微笑んだ。
「ですが、正式な発売へ進める段階に来ました」
その瞬間。
胸の奥に、熱いものが込み上げた。
「……っ!」
俺は、思わず両手で顔を覆った。
長かった。
本当に、長かった。
何度も試験をやり直した。
何度も装置を改良した。
思うような結果が出ず、悩んだ日もあった。
それでも。
ようやく、ここまで来られた。
「……ありがとうございます……!」
俺は、深く頭を下げた。
高瀬博士が、穏やかに笑った。
「こちらこそ。黒瀬君が諦めなかったからですよ」
篠原さんも頷いた。
「まだ、ここからが本番ですけどね」
その言葉に、俺は少し笑った。
「……はい!」
◇
会議では、発売へ向けた具体的な準備が進められた。
今回承認されたのは、下級回復ポーションの限定された用途だけだ。
軽度の皮膚損傷など、試験で安全性と有効性が確認された範囲に限られる。
中級回復ポーションや上級回復ポーションについては、引き続き研究段階だ。
もちろん、エリクサーなど、まだ遠い未来の話でしかない。
「……まずは、承認された範囲で確実に届けていこう」
九条院家の当主が、静かに言った。
西園寺家の当主も頷く。
「欲張る必要はない。信頼を積み重ねることが大切だ」
「……はい」
俺は、真剣に答えた。
その通りだと思った。
どれほど効果が高くても、無理に広げてはいけない。
まずは、安全に使える範囲から。
そして、少しずつ。
必要としている人たちへ届けていく。
◇
その夜。
俺は、家族へ報告した。
「……父さん、母さん、陽菜」
リビングで、三人が俺を見つめる。
「……どうしたの?」
母さんが尋ねた。
俺は、少しだけ笑った。
「……下級回復ポーションの承認が下りたんだ」
その瞬間。
「……えっ!?」
陽菜が、勢いよく立ち上がった。
「……ほんと!?」
「うん」
「……すごいじゃん、お兄ちゃん!」
陽菜が、嬉しそうに抱きついてくる。
「……おめでとう!」
「……ありがとう」
母さんも、目を潤ませていた。
「……怜司。本当によかったわね」
「……うん」
父さんが、静かに微笑んだ。
「……よく頑張ったな」
その一言に、胸が熱くなった。
「……ありがとう、父さん」
俺は、ゆっくり頷いた。
研究は、まだ終わっていない。
発売してからも、安全性の確認は続く。
けれど。
今日だけは、少し喜んでもいいと思った。
◇
翌日。
澪さんと麗華さんにも、正式な承認の報告をした。
「……レイジさん!」
澪さんが、嬉しそうに微笑んだ。
「本当に、おめでとうございます!」
「ありがとうございます、澪さん」
麗華さんも、柔らかく笑った。
「……黒瀬さん。ついに、ですわね」
「……はい」
俺は頷いた。
「皆さんのおかげです」
すると、麗華さんが静かに首を横に振った。
「……もちろん、たくさんの方が協力しました」
そして、まっすぐ俺を見つめた。
「でも、最初にこの薬を作ろうとしたのは、あなたですわ」
その言葉に、胸が温かくなった。
澪さんも頷いた。
「……レイジさんが、誰かを助けたいと思ったから、ここまで来られたんです」
俺は、少しだけ照れくさくなった。
「……ありがとうございます」
そして、ゆっくり笑った。
「……でも、ここからですね」
二人が、同時に頷いた。
「はい」
「ええ」
その笑顔を見ながら。
俺は、改めて思った。
ようやく、スタートラインに立てたんだ。
回復ポーションが、初めて正式に世の中へ出る。
その日が、もうすぐそこまで来ていた。




