第146話 魔力の真実――研究者たちへ明かされた世界の秘密
九条院家と西園寺家の皆さんへ護身用の魔道具を渡してから、数日が経った。
株式会社ルミナス・ライフの研究施設。
その会議室で、俺は一枚の書類を見つめていた。
秘密保持契約書。
そこには、これから共有する技術情報の取り扱いについて、細かな条件が記されている。
「……黒瀬君。内容について、もう一度確認しておこう」
榊原さんが、落ち着いた声で言った。
「はい。お願いします」
「今回の契約では、魔石式製造装置の構造、特殊なエネルギーの存在、関連する研究成果を機密情報として扱います」
俺は、静かに頷いた。
「研究目的以外での使用は禁止。第三者への開示には、事前の承諾が必要です」
榊原さんは続けた。
「ただし、法令に基づく開示や、安全性の確保に必要な報告まで妨げるものではありません」
「……分かりました」
それは大切なことだ。
秘密を守るための契約が、薬の安全性を確かめる妨げになってはいけない。
榊原さんは、俺の表情を確認してから微笑んだ。
「そして、もう一つ。黒瀬君が未成年であることを踏まえ、契約や研究上の責任が君一人へ集中しないよう、会社側の管理体制も整えています」
「ありがとうございます」
俺は、深く頭を下げた。
父さんも、隣で静かに頷いていた。
「怜司。分からないことがあったら、遠慮せず聞きなさい」
「うん」
今日、魔力の存在を新たに伝える相手は二人。
高瀬博士と篠原さんだ。
榊原さんは秘密の内容を知らされる側でもあるが、まず弁護士として契約と開示手続きを担当してくれている。
両家の当主たちも同席する。
研究の核心へ進むために、必要な一歩だった。
◇
「……正直に申し上げます」
高瀬博士が、契約書を確認しながら口を開いた。
「私は、今日の説明を非常に楽しみにしています」
その目には、研究者らしい好奇心が宿っていた。
「これまで、何度分析しても説明できなかった現象ですからね」
篠原さんも頷いた。
「ただ、私は製造工程の管理を担当する立場です。理解できない部分があれば、遠慮なく質問させていただきます」
「もちろんです」
俺は答えた。
「むしろ、そうしていただけると助かります」
二人は、書類を最後まで読み、署名した。
榊原さんが内容を確認する。
「……これで、必要な手続きは完了です」
俺は、小さく息を吐いた。
そして、立ち上がった。
「……それでは、説明します」
会議室の視線が、一斉に集まる。
「まず、皆さんには信じられない話かもしれませんが……」
俺は、右手を上げた。
「この世界には、魔力という力が存在します」
高瀬博士が、ぴくりと眉を動かした。
「……魔力?」
「はい」
「それは、何らかの未知のエネルギーという意味でしょうか?」
「そう考えていただいて構いません。ただ、俺自身もすべてを科学的に説明できるわけではありません」
俺は、手のひらへ魔力を集めた。
次の瞬間。
淡い金色の光球が、空中に生まれた。
「…………!」
高瀬博士が、椅子から立ち上がった。
篠原さんも、息を呑んでいる。
俺は光球をゆっくり動かし、二人の前へ浮かべた。
「……これが、魔法です」
「……まさか」
高瀬博士の声が震えた。
「……投影装置では……?」
「違います」
俺は首を横に振った。
光球を消し、今度は手のひらの上へ小さな水球を生み出す。
それを、用意した透明な容器へ落とした。
ぱしゃり。
水音が響く。
高瀬博士は、容器を見つめたまま動かなかった。
「……これは……」
篠原さんが、ようやく口を開いた。
「……実際に、液体が発生したということですか?」
「はい」
俺は頷いた。
「俺は、以前、車に轢かれそうになっていた黒猫を助けたことがあります」
そして、ゆっくり続けた。
「そのとき、神様から啓示を受けました。それ以来、こうした力を使えるようになったんです」
高瀬博士は、しばらく沈黙していた。
やがて、静かに椅子へ腰を下ろす。
「……神様、ですか」
「信じられないですよね」
「……ええ」
博士は、正直に頷いた。
「ですが、今、私の目の前で説明のつかない現象が起きたことも事実です」
そして、真剣な表情になった。
「私は研究者です。最初から否定するのではなく、確かめられることを一つずつ確かめたい」
その言葉に、俺は安心した。
「……ありがとうございます」
◇
次に、俺は魔石を取り出した。
淡い青色の結晶。
内部には、魔力の光が揺れている。
「……これが、魔石です」
篠原さんが、興味深そうに身を乗り出した。
「製造装置の中央に設置されていた結晶ですね」
「はい」
俺は頷いた。
「魔力を蓄えておける特殊な素材です。俺が加工と調整を行い、製造装置へ組み込んでいます」
高瀬博士が尋ねた。
「……この素材は、どのように作られているのですか?」
予想していた質問だった。
俺は、少しだけ息を吸った。
「……その部分については、現段階では製造方法を公開できません」
博士が、静かに俺を見つめる。
「ただ、供給できる数量には限りがあります。研究に必要な範囲で、素材の性質は確認していただきたいと思っています」
「……分かりました」
博士は頷いた。
「では、来歴が確認できない部分については未確認事項として記録し、必要な段階で改めて協議しましょう」
「はい」
俺は頷いた。
異世界の存在は、まだ話せない。
だからこそ、説明できないことを無理に取り繕わず、今は未確認として扱うことにした。
「……では、実際に魔力を込めます」
俺は、魔石へ手をかざした。
ゆっくり魔力を流す。
結晶の内部にある光が、少しずつ強くなっていく。
「……これは……!」
高瀬博士が、思わず声を上げた。
「外部から何らかのエネルギーが供給されている……?」
「はい」
俺は手を離した。
「この状態なら、魔石式製造装置を動かせます」
篠原さんが、真剣な表情で質問した。
「魔力の残量は、測定できるのでしょうか?」
「今は、結晶の発光状態と装置側の反応を組み合わせて確認しています」
「……なるほど」
「ただ、もっと正確な管理方法が必要だと思っています」
その言葉に、篠原さんが頷いた。
「それなら、私たちの仕事がありますね」
俺は、思わず笑った。
「……ぜひ、お願いします」
◇
午後。
俺たちは製造室へ移動した。
小型の魔石式製造装置。
その前で、俺は説明を続ける。
「魔石へ魔力を込むことができるのは、今のところ俺だけです」
高瀬博士が頷いた。
「ですが、装置を動かすことは、他の人にもできる」
「はい」
俺は、篠原さんへ操作手順を説明した。
材料の確認。
魔石の装着。
処理条件の設定。
安全確認。
そして、開始操作。
「……では、お願いします」
篠原さんが、慎重にボタンを押した。
装置が動き始める。
魔石が淡く輝き、内部の液体がゆっくり変化していく。
俺は、一切魔法を使っていない。
ただ、隣で見守っているだけだ。
「……本当に、動いている……」
高瀬博士が呟いた。
やがて、装置が停止する。
容器の中には、淡い青緑色の液体ができあがっていた。
「……下級回復ポーションの試作品です」
俺が説明すると、篠原さんは真剣な表情で記録を確認した。
「……黒瀬君」
「はい」
「これなら、工程の一部を標準化できるかもしれません」
その言葉に、胸が高鳴った。
「……本当ですか?」
「ええ。ただし、まだ課題は山ほどあります」
篠原さんは、少しだけ微笑んだ。
「魔石の残量による品質変化、装置ごとのばらつき、材料の管理、異常停止時の対応……」
次々と挙げられる課題。
けれど、不思議と不安にはならなかった。
むしろ、嬉しかった。
俺一人では気づけなかった問題を、専門家が見つけてくれる。
それこそが、協力する意味なのだと思った。
◇
会議室へ戻ると、高瀬博士が静かに口を開いた。
「……黒瀬君」
「はい」
「今日、私は研究者として、忘れられないものを見ました」
俺は、少し緊張した。
「……ありがとうございます」
「ですが」
博士は、真剣な表情になる。
「魔法が存在することと、薬が安全であることは別問題です」
「……はい」
俺は、はっきり頷いた。
「分かっています」
「その認識があるなら、私はぜひ研究を続けたい」
博士は、穏やかに微笑んだ。
「未知の現象を、少しずつ理解していきましょう」
篠原さんも頷いた。
「私は、誰が作っても同じ品質になる仕組みを目指します」
俺は、二人へ深く頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
すると、九条院家の当主が口を開いた。
「黒瀬君。今日から、この研究は新しい段階へ進むね」
西園寺家の当主も頷いた。
「秘密を共有する相手が増えた以上、守る責任も大きくなる」
「……はい」
俺は、静かに答えた。
「だからこそ、皆さんを信じて進めたいと思います」
榊原さんが、契約書を閉じた。
「秘密を守ることと、安全な製品を世に出すこと。その両方を実現するために、私たちも力を尽くします」
俺は、ゆっくり頷いた。
窓の外には、夕暮れの光が差し込んでいた。
魔力。
魔石。
そして、回復ポーション。
今まで一人で抱えていた技術が、少しずつ研究者たちの手によって形になっていく。
もちろん、異世界の秘密はまだ俺だけのものだ。
けれど。
今日、確かに大きな一歩を踏み出した。
この小さな研究室から、いつか世界中の人々を救える薬が生まれる。
そんな未来が、少しだけ近づいた気がした。




