第138話 世界に知られるということ――二人の当主が誓った約束
「……黒瀬君。まず、一つ聞いてもいいかな?」
九条院家の当主が、静かに口を開いた。
「はい」
「君自身は、魔法の存在を世間へ公表したいと思っているのかい?」
その質問に、俺はすぐには答えられなかった。
魔法。
魔力。
魔石。
それらが実在すると分かれば、世界中が驚くだろう。
科学の常識も、大きく変わるかもしれない。
けれど。
その中心に立つのが自分だと考えると、少し怖かった。
「……正直に言うと」
俺は、ゆっくり口を開いた。
「今すぐ、全部を公表したいとは思っていません」
九条院家の当主が頷いた。
「……そうだろうね」
「でも、薬を世の中へ届けたい気持ちは本当です」
俺は続けた。
「だから、どこまで話すべきなのか、分からなくて……」
西園寺家の当主が、静かに腕を組んだ。
「……なるほど」
そして、少し考え込む。
「……黒瀬君。君は、自分の力がどれほど特別なものか、理解しているかな?」
「……ある程度は」
俺は頷いた。
「でも、正直、まだ実感できていない部分もあります」
その言葉に、当主は小さく笑った。
「……そうだろうね」
そして、真剣な表情になる。
「もし、世界中の人間が、君だけが魔法を使えると知ったらどうなると思う?」
「…………」
俺は、少し考えた。
研究者。
企業。
政府。
そして、世界中の人々。
きっと、色々な人が俺に会いたがるだろう。
「……大変なことになると思います」
「その通りだ」
西園寺家の当主が頷いた。
「君を研究したいと考える者も現れるだろう。君の力を利用したい者も出てくるかもしれない」
母さんが、心配そうに俺を見つめた。
「……怜司……」
父さんも、真剣な表情になっている。
「……それは、危険だな」
俺は、ゆっくり頷いた。
自分だけの問題じゃない。
父さんや母さん。
陽菜。
そして、澪さんや麗華さんたちにも影響が及ぶかもしれない。
そう考えると、簡単に公表するわけにはいかなかった。
◇
「……でも」
澪さんが、静かに口を開いた。
全員の視線が集まる。
「レイジさんの薬を必要としている人は、きっとたくさんいます」
その声は、優しかった。
「……だから、何も公表しないという選択も、少し違う気がするんです」
俺は、澪さんを見つめた。
「……澪さん」
澪さんは、ゆっくり続けた。
「もちろん、レイジさんの安全が一番大切です」
そして、柔らかく微笑む。
「でも、守る方法を考えながら、少しずつ前へ進むことはできると思います」
その言葉に、九条院家の当主が満足そうに頷いた。
「……いい意見だね、澪」
すると、麗華さんも口を開いた。
「私も、同じ考えですわ」
俺は、麗華さんへ視線を向けた。
「……麗華さん」
「黒瀬さんが、すべてを一人で背負う必要はありません」
麗華さんは、まっすぐ俺を見つめた。
「研究も、法律も、広報も。それぞれ専門の方々に協力していただけばいいんですの」
そして、少しだけ微笑む。
「……私たちだって、いますわ」
胸の奥が、温かくなった。
「……ありがとうございます」
俺は、静かに頷いた。
◇
「……さて」
九条院家の当主が、テーブルへ一枚の紙を置いた。
「ここからは、現実的な話をしよう」
俺は、背筋を伸ばした。
「……はい」
「まず、魔法の存在を公表するかどうかと、回復ポーションを医薬品として開発するかどうかは、分けて考える必要がある」
俺は、少し首を傾げた。
「……分けて、ですか?」
「ああ」
当主は頷いた。
「薬の研究を進めるために、いきなり世界中へ魔法の実演を見せる必要はない」
なるほど。
確かに、その通りだ。
「ただし」
西園寺家の当主が続けた。
「製造工程や品質に関わる重要な情報を、規制当局や研究者へ隠したまま進めることはできない」
「……はい」
俺は頷いた。
「それは、俺も分かっています」
「よろしい」
当主は、静かに微笑んだ。
「だから、段階的に進めよう」
そして、紙へいくつかの項目を書き始めた。
最初に、魔石の性質を調べる。
次に、製造工程の再現性を確認する。
そのうえで、必要な専門家や規制当局へ相談する。
そして、安全性と有効性を確認できた段階で、製品として社会へ届ける方法を検討する。
「……なるほど」
俺は、ゆっくり頷いた。
「……つまり、いきなり魔法を公表する必要はないんですね」
「そういうことだ」
九条院家の当主が微笑んだ。
「ただし、説明できない現象があること自体は、いずれ専門家へ正直に伝える必要があるだろう」
「……はい」
俺は頷いた。
「そのときは、ちゃんと説明します」
◇
「……もう一つ、重要なことがある」
西園寺家の当主が、真剣な表情になった。
「黒瀬君。君の安全だ」
俺は、少し驚いた。
「……俺の、ですか?」
「ああ」
当主は頷いた。
「魔力を補充できるのが君一人なら、製造事業は君の存在に大きく依存することになる」
確かに、その通りだ。
「……もし、君に何かあったら?」
「…………」
俺は、言葉に詰まった。
魔石へ魔力を補充できなくなる。
そうなれば、製造は止まってしまう。
それだけじゃない。
俺自身が、危険に晒される可能性もある。
「……だからこそ」
九条院家の当主が続けた。
「君の生活を守る体制が必要になる」
「……生活、ですか?」
「ああ。学校へ通い、家族と過ごし、友人たちと笑い合う。そういう当たり前の時間だよ」
俺は、思わず顔を上げた。
当主は、穏やかに微笑んでいた。
「……君はまだ高校生なんだ」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
「……はい」
「事業が大きくなったからといって、君の青春を奪っていい理由にはならない」
西園寺家の当主も頷いた。
「……私も、同じ考えだ」
そして、まっすぐ俺を見つめる。
「黒瀬君。君が持つ力がどれほど大きなものであっても、私たちにとって君は大切な一人の少年だ」
その声は、真剣だった。
「君の自由を奪ってまで、この事業を成功させるつもりはない」
俺は、何も言えなかった。
「……むしろ」
当主は、少しだけ微笑んだ。
「今度は、私たち大人が君を守る番だ」
その瞬間。
胸の奥に、熱いものが込み上げた。
「……ありがとうございます」
俺は、深く頭を下げた。
父さんも、静かに頷いていた。
「……九条院さん、西園寺さん」
父さんが口を開く。
「息子のことを、そこまで考えていただいて……ありがとうございます」
九条院家の当主が微笑んだ。
「当然のことですよ」
西園寺家の当主も頷く。
「黒瀬君には、私たちも大きな恩がありますから」
その言葉に、母さんがそっと目元を拭った。
◇
「……あの!」
突然、陽菜が手を上げた。
全員の視線が集まる。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
九条院家の当主が微笑んだ。
「もちろんだよ」
陽菜は、少しだけ真剣な表情になった。
「……お兄ちゃん、これからすごく忙しくなるんですよね?」
俺は、少し驚いた。
「……まあ、そうかもしれない」
「……じゃあ」
陽菜は、俺を見つめた。
「……家に帰ってくる時間、なくなっちゃうの?」
その言葉に、胸が締めつけられた。
陽菜は、いつも明るい。
俺をからかって、笑っている。
けれど。
そんな妹も、少し不安だったのかもしれない。
「……陽菜」
俺は、ゆっくり首を横に振った。
「そんなことにはしないよ」
「……ほんと?」
「うん」
俺は、笑った。
「俺は、家族と過ごす時間も大切にしたいから」
陽菜の表情が、ぱっと明るくなった。
「……よかった!」
そして、嬉しそうに笑う。
「じゃあ、社長になっても、ちゃんと一緒にゲームしてね!」
「……そこ?」
俺が苦笑すると、みんなが笑った。
張り詰めていた空気が、少しずつ和らいでいく。
◇
会合の終わり。
俺は、改めて全員へ頭を下げた。
「……今日は、本当にありがとうございました」
九条院家の当主が、穏やかに微笑んだ。
「こちらこそ。大切な秘密を話してくれて、ありがとう」
西園寺家の当主も頷いた。
「……これから、一緒に考えていこう」
「……はい」
俺は、静かに頷いた。
魔力の存在。
魔法の存在。
そして、魔石式製造機。
その秘密を、ようやく信頼できる人たちへ伝えられた。
もちろん、まだすべてを話したわけではない。
異世界のことは、今も秘密のままだ。
けれど。
今日、確かに一歩前へ進めた。
俺は、窓の外へ目を向けた。
夕暮れの空が、柔らかな橙色に染まっている。
世界を変えるかもしれない力。
その力を、どう使うべきなのか。
まだ、答えは出ていない。
でも。
もう、一人で悩む必要はなかった。
それが、今の俺にとって何より心強かった。




