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虐げられた俺は異世界で神を超える 〜傷ついた黒猫を助けたら、現実世界での復讐が始まった〜  作者: 覇王が好き


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第121話 信じる心と奇跡の薬――美月を救った一瓶

 放課後の聖蘭学園。


 秋の気配が少しずつ深まり始めた校庭には、運動部の掛け声が響いていた。


「よしっ! もう一本!」


 橘美月は、額に浮かんだ汗を腕で拭いながら、元気よく声を上げた。


 明後日に控えた陸上競技の記録会。


 美月はその短距離種目に出場する予定だった。


 これまで積み重ねてきた練習の成果を試す、大切な機会だ。


 本人も、いつになく気合いが入っていた。


「美月、そろそろ休憩した方がいいんじゃない?」


 同じ部の女子生徒が声をかける。


「大丈夫! あと一本だけ!」


「さっきもそう言ってたよ?」


「あははっ! 今度こそ本当に最後!」


 美月は笑いながら、スタート位置へ戻った。


 身体の調子は悪くない。


 むしろ、ここ最近は走る感覚がとてもよかった。


 地面を蹴るタイミング。


 腕の振り。


 呼吸の合わせ方。


 どれも、以前より自然になっている。


 それに――。


(……怜司にも、いい結果を報告したいし)


 ふと浮かんだ少年の顔に、美月は少しだけ頬を緩めた。


 先日、一緒に出かけたショッピングモール。


 ゲームセンターで取ってもらった白い猫のぬいぐるみは、今も自室のベッドに飾ってある。


 思い出すたびに、胸が温かくなる。


(よしっ! 絶対、いいタイム出してやる!)


 美月は大きく息を吸った。


 そして、地面を蹴る。


 勢いよく加速した。


 だが。


 コーナーを抜けようとした、その瞬間だった。


「――っ!?」


 足元のわずかな段差に、靴の端が引っかかった。


 身体が傾く。


 踏ん張ろうとした右足首に、不自然な力がかかった。


 ぐきっ。


 嫌な感触。


 次の瞬間、美月の身体は地面へ投げ出されていた。


「きゃあっ!」


 膝を強く擦り、鋭い痛みが走る。


「美月!?」


「大丈夫!?」


 仲間たちが駆け寄ってきた。


 美月は反射的に立ち上がろうとした。


 けれど。


「……いっ、た……!」


 右足首に激痛が走り、その場へ座り込んでしまった。


 膝からは血が流れている。


 足首も、みるみる腫れ始めていた。


「無理しないで!」


「先生呼んでくる!」


 周囲が慌ただしくなる。


 美月は唇を噛んだ。


(……嘘でしょ)


 明後日なのに。


 あんなに練習したのに。


 こんなところで――。


     ◇


「……捻挫ですね。腫れも強いですし、医療機関で詳しく診てもらってください」


 保健室で応急処置を受けた美月は、ベッドに腰掛けたまま俯いていた。


 膝には清潔なガーゼが当てられ、足首は固定されている。


 養護教諭は必要な連絡を済ませると、医療機関での受診について確認するため、いったん隣の職員室へ向かった。


 室内には、美月と、知らせを聞いて駆けつけた澪、麗華の三人だけが残された。


「美月さん……痛みはどうですか?」


 澪が心配そうに尋ねる。


「……うん。さっきよりは、ちょっとマシかな」


 美月は笑おうとした。


 けれど、うまく笑えなかった。


「明後日の記録会は……難しそうですわね」


 麗華が静かに言った。


 その言葉に、美月の肩が小さく震えた。


「……分かってる」


 いつもの明るい声ではなかった。


「分かってるんだけどさ……」


 美月は膝の上で拳を握った。


「ずっと練習してきたんだよ。今回こそ自己ベスト出せるって、思ってたのに……」


 ぽつりと落ちた言葉。


 澪は何も言えなくなった。


 麗華も、そっと視線を落とす。


 怪我をしたことだけが悔しいのではない。


 積み重ねてきた時間が、目の前で途切れてしまう。


 その悔しさは、本人にしか分からない。


「……ごめん。二人にこんな顔見せちゃって」


 美月が無理に笑おうとした、そのとき。


 保健室の扉が開いた。


「美月さん!」


 飛び込んできたのは、黒瀬怜司だった。


「怜司……?」


 美月が顔を上げる。


 怜司は少し息を切らしていた。


「練習中に怪我をしたって聞いて……!」


 その視線が、美月の固定された足首と膝のガーゼへ向かう。


「……ひどい怪我じゃないですか」


「……あはは。ちょっと派手に転んじゃった」


「ちょっと、じゃないですよ」


 怜司は心配そうに眉を寄せた。


 その表情を見て、美月の胸がきゅっと締めつけられる。


「……明後日、試合なんだけどね」


「……はい」


「さすがに、無理かなって」


 最後の言葉は、ほとんど消え入りそうだった。


 怜司は何も言わず、美月の足首を見つめた。


 強い腫れ。


 膝の裂傷。


 普通なら、二日で競技へ復帰できる状態ではない。


 だが、怜司には一つだけ、思い当たるものがあった。


(……ポーション)


 異世界ルミエールで学んだ、奇跡の回復薬。


 下級では足りないかもしれない。


 けれど、中級回復ポーションなら。


 捻挫も裂傷も、治療できるはずだ。


 実際に異世界では、それ以上の怪我が治る光景を見ている。


 そして今、自分の鞄には試作品が一本入っていた。


 日本で調達した材料を使い、魔石式製造機で完成させたものだ。


 もちろん、正式な安全性試験を終えた製品ではない。


 日本人に対して、同じ効果が現れる保証もない。


 それでも。


 目の前には、大切な試合を諦めかけている美月がいる。


(……どうする?)


 怜司は迷った。


 これは、簡単に決めていいことではない。


 けれど、何もしなければ。


 美月は、明後日の試合に出られない。


「……美月さん」


「ん?」


「一つ、お願いしてもいいですか?」


 怜司は鞄から、小さな瓶を取り出した。


 透明な容器の中で、淡い青緑色の液体が揺れている。


「……それ、何?」


 美月が首を傾げる。


 澪と麗華も、同時に瓶へ視線を向けた。


 怜司は一度、大きく息を吸った。


「俺が作ったものです」


「……怜司が?」


「はい。今後、商品化を考えている回復薬の試作品です」


 澪の目が大きく開いた。


「……レイジさん。もしかして、先日お話しされていた……?」


「はい。あれです」


 麗華も思わず身を乗り出す。


「黒瀬さん……本当に、完成していたんですの?」


「製造はできています。ただ、正式な検証はまだです」


 怜司は瓶を見つめた。


 そして、美月へ視線を戻す。


「美月さん。これは、まだ日本で安全性や効果が確認された薬じゃありません」


 その言葉に、室内が静かになった。


「だから、本来なら人に飲んでもらう段階じゃないんです」


「……うん」


「でも、俺は……これが怪我を治せる可能性を知っています」


 怜司の声は真剣だった。


「絶対に大丈夫だとは、軽々しく言えません。それでも……美月さんが試合を諦める前に、どうしても伝えたくて」


 美月は、怜司を見つめた。


 いつも優しくて、少し控えめな少年。


 でも、誰かのために動くときだけは、不思議なくらいまっすぐになる。


 そんな彼の姿を、美月は何度も見てきた。


「……怜司」


「はい」


「それ、私に飲んでほしいってこと?」


 怜司は少し迷ってから頷いた。


「……信じて、飲んでほしいです」


 短い沈黙。


 澪も麗華も、息を呑んでいた。


 すると。


「もちろん!」


 美月が、勢いよく答えた。


「……え?」


 怜司が目を丸くする。


「怜司が作ったんでしょ?」


「……はい」


「だったら、信じるよ!」


 美月は笑った。


 さっきまで涙をこらえていたとは思えないほど、明るい笑顔だった。


「私、怜司のこと信じてるもん!」


 その言葉に、怜司の胸が大きく鳴った。


「……美月さん」


「それに、何もしないで諦めるのは嫌だから!」


 美月は瓶を受け取った。


 澪が思わず声を上げる。


「美月さん、待ってください。本当に……」


「大丈夫!」


 美月は澪へ笑いかけた。


「私が決めたことだから!」


 そして。


 きゅぽん、と栓を抜いた。


「いただきます!」


 ごくっ。


 ごくっ。


 美月は、ポーションを一気に飲み干した。


「……あ」


 次の瞬間。


 美月の表情が変わった。


「……え?」


 身体の奥から、温かな感覚が広がっていく。


 右足首の痛みが、すっと薄れていく。


 膝の傷口が、淡い光を帯びた。


「……な、何これ!?」


 美月が声を上げる。


 澪と麗華は、目の前の光景に言葉を失った。


 ガーゼの下で、裂けていた皮膚がみるみる塞がっていく。


 腫れていた足首も、少しずつ元の形へ戻っていった。


「……うそ……」


 澪が、震える声で呟く。


「……こんなことが……」


 麗華も、信じられないという表情で見つめていた。


 ほんの数十秒。


 それだけだった。


 美月は恐る恐る、足首を動かした。


「……痛くない」


 もう一度。


 ゆっくり回してみる。


「……全然、痛くない!」


 膝のガーゼをそっと外す。


 そこには、さっきまであったはずの傷が、跡形もなく消えていた。


「…………」


 三人の少女が、同時に怜司を見つめた。


 怜司は安堵の息を吐いた。


「……よかった」


 心の底から出た言葉だった。


「本当に、よかった……」


 美月は、しばらく自分の足を見つめていた。


 そして。


「……怜司っ!」


「うわっ!?」


 勢いよく立ち上がり、怜司へ抱きついた。


「ありがとう! 本当にありがとうっ!」


「み、美月さん!?」


「私、試合に出られるかもしれない!」


 美月の声が震えていた。


 肩越しに、温かなものが伝わってくる。


 泣いている。


 さっきまで必死にこらえていた涙が、今になって溢れ出したのだ。


「……ありがとう、怜司」


 今度は、小さな声だった。


「私の頑張ってきた時間、守ってくれて……」


 怜司は、そっと美月の背中へ手を添えた。


「……俺も、嬉しいです」


 澪はその光景を見つめながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。


 美月が救われた。


 それが何より嬉しい。


 けれど、同時に。


 怜司が生み出したものの価値を、改めて理解していた。


 麗華も同じだった。


 資料で読んだだけでは、想像すらできなかった。


 薬を飲んだだけで、深い傷が消える。


 捻挫が治る。


 それも、ほんのわずかな時間で。


 これは、ただの新商品ではない。


 医療の常識を覆しかねないものだ。


「……黒瀬さん」


 麗華が、ゆっくり口を開いた。


「今の効果……本当に、あなたが作られたものなんですのね?」


「……はい」


「……信じられませんわ」


 その声には、驚きと畏敬が入り混じっていた。


 澪も頷く。


「レイジさん……これは、想像していた以上です」


 怜司は二人へ向き直った。


「……だから、お願いがあります」


 三人が顔を上げる。


「今日のことは、まだ誰にも話さないでほしいんです」


 怜司は真剣な表情で続けた。


「製造方法も、効果も、まだ正式に確認されていません。広まったら、きっと大変なことになると思うので」


「……分かった!」


 美月が真っ先に答えた。


「絶対、秘密にする!」


 そして、少し照れくさそうに笑った。


「……私と怜司だけの秘密、って言いたいところだけど」


「美月さん?」


「今日は澪も麗華もいるもんね!」


 澪がくすりと笑う。


「ええ。私たちも一緒です」


「もちろんですわ」


 麗華も微笑んだ。


「黒瀬さんの大切な技術ですもの。軽々しく口外したりいたしません」


 怜司は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 すると、澪が少し考え込んだ。


「……レイジさん。一つだけ、ご相談してもいいですか?」


「はい」


「今日の出来事を、父に伝える許可をいただけませんか?」


 怜司が顔を上げる。


「……お父さんに?」


「はい。もちろん、製造方法や詳しい仕組みは話しません。ただ、実際に確認できた効果については、専門家への相談を進めるうえで重要な情報になると思うんです」


 麗華も頷いた。


「私も同じことを考えていましたわ。お父様には、秘密保持を徹底していただきます」


 怜司は少し考えた。


 確かに、商品化を進めるなら、いつまでも三人だけで抱えておくわけにはいかない。


 信頼できる大人の協力が必要だ。


「……分かりました」


 怜司は頷いた。


「お二人のお父さんになら、今日確認できたことを話してもらって大丈夫です。ただし、ほかの人へ広めるのは待ってください」


「ありがとうございます、レイジさん」


「承知しましたわ」


 美月が、にこっと笑った。


「なんか、すごいことになりそうだね!」


 怜司は苦笑した。


「……俺も、そう思います」


 その後、養護教諭が戻る前に、三人は美月の状態を改めて確認した。


 傷は消え、痛みもなくなっている。


 ただし、正式な医療機関での確認は必要だ。


 美月も、その点については素直に頷いた。


「うん! ちゃんと診てもらう!」


 そして、怜司へ向き直る。


「……でも、怜司」


「はい?」


「明後日の試合、絶対にいい結果を出してみせるから!」


 その笑顔は、いつもの美月そのものだった。


 怜司も、自然と笑った。


「楽しみにしています」


 美月の頬が、ほんのり赤くなる。


「……へへっ。期待してて!」


 澪と麗華は、そのやり取りを静かに見つめていた。


 そして、二人とも同じことを考えていた。


 今日、自分たちは何かとてつもないものを目撃した。


 そして。


 その奇跡を生み出した少年は、今、目の前でいつも通りの優しい笑顔を浮かべている。


 黒瀬怜司。


 彼の存在が、これからどれほど大きなものになっていくのか。


 その答えは、まだ誰にも分からなかった。

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