第12話 冒険者ギルド――異世界での新たな一歩
黒瀬怜司は、自室の机に並べた荷物を一つずつ確認していた。
飲み水の入ったペットボトル。
携帯食料。
消毒液と包帯。
小さな懐中電灯。
そして、予備の衣服。
「……こんなもんかな」
怜司はリュックサックの口を閉じた。
前回の異世界探索では、ほとんど何も持たずに森へ飛び込んでしまった。
その結果、魔物と遭遇し、盗賊と戦い、伯爵令嬢を助けることになった。
今思い返しても、無茶な行動だったと思う。
「……よく生きて帰れたな、俺」
苦笑しながら呟く。
だが、あの経験は無駄ではなかった。
エリシアという少女に出会った。
アルベルト伯爵やガルドとも知り合った。
そして、この世界には冒険者という職業が存在することを知った。
――冒険者ギルド。
その言葉を思い浮かべると、胸が少し高鳴る。
ゲームや小説で何度も見た場所だ。
依頼を受け、魔物を倒し、報酬を得る。
そんな世界が、本当に存在する。
怜司はリュックを背負った。
そのとき、部屋の扉が軽く叩かれた。
「怜司?」
母の美咲だった。
「……うん?」
「ちょっといい?」
怜司は慌ててリュックをベッドの脇へ置いた。
「……いいよ」
扉が開く。
美咲は、少し心配そうな顔をしていた。
「さっき、お父さんから連絡があったの」
「……父さんから?」
「ええ。学校の件で、また少し動きがあったみたい」
怜司の表情が引き締まる。
「……何かあった?」
「詳しい話は帰ってからするって。ただ、学校側が面談の場を設けたいと言ってきたそうよ」
「……面談」
怜司は小さく呟いた。
これまで何度も、学校には相談してきた。
そのたびに、まともに取り合ってもらえなかった。
今回も同じことになるのではないか。
そんな不安が胸をよぎる。
美咲は怜司の表情を見て、優しく微笑んだ。
「大丈夫。今回はお父さんも、ちゃんと準備してるから」
「……うん」
「それに、無理して学校へ行く必要はないのよ」
怜司は頷いた。
「……分かってる」
美咲は少し安心したように笑った。
「じゃあ、お母さん、陽菜のお迎えに行ってくるね」
「……うん。気をつけて」
「怜司も、家でゆっくりしててね」
そう言って、美咲は部屋を出ていった。
玄関の扉が閉まる音がする。
怜司は、しばらくその場に立っていた。
母には、まだ異世界のことを話していない。
話したところで、信じてもらえるか分からない。
それに、今は学校の問題だけでも心配をかけている。
これ以上、不安を増やしたくなかった。
「……短時間だけにしよう」
怜司はスマートフォンの時刻を確認した。
午後三時二十分。
前回は、異世界と日本で時間の流れが違うことが分かった。
だが、どの程度違うのかは、まだはっきりしていない。
だからこそ、今回は時間を記録する。
怜司はノートに時刻を書き込んだ。
そして、深く息を吸う。
「……界渡り」
目の前に、淡い光の輪が現れた。
その向こうには、見覚えのある森の景色が広がっている。
怜司は一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
異世界。
ルミナス領近郊の森。
木々の間から、柔らかな光が差し込んでいた。
怜司は周囲を見回した。
「……よし」
無事に到着した。
まずはスマートフォンを確認する。
当然ながら圏外。
だが、時計は動いている。
「……帰ったときに比べればいいか」
怜司はリュックを背負い直した。
今回の目的は、魔物討伐ではない。
街へ行くこと。
そして、冒険者ギルドについて調べること。
もちろん、危険なことは避けたい。
前回は偶然、盗賊に襲われていたエリシアを助けることになった。
だが、毎回あんなことが起きていたら、命がいくつあっても足りない。
「……慎重に行こう」
怜司は森を抜け、街道へ向かった。
しばらく歩くと、遠くに大きな城壁が見えてきた。
ルミエール。
前回、エリシアと一緒に訪れた街だ。
怜司は少しだけ胸を高鳴らせた。
「……また来たんだな」
城門へ近づくと、衛兵たちが旅人の確認をしていた。
怜司は列の最後尾へ並ぶ。
前には、大きな荷物を背負った商人。
後ろには、剣を腰に下げた冒険者らしき男性がいる。
怜司は少し緊張した。
前回は、エリシアと一緒だったから簡単に通れた。
だが、今回は一人だ。
身分証など持っていない。
どうすればいいのだろう。
「……次!」
衛兵の声が響いた。
怜司は一歩前へ出る。
「……あの」
衛兵が怜司を見た。
「身分証は?」
「……持ってないです」
衛兵の眉が動く。
「……初めての入街か?」
「……はい」
怜司は正直に答えた。
衛兵は少し考えた後、口を開いた。
「なら、仮の入街記録を作る。名前と出身地を言え」
「……黒瀬怜司です」
「クロセ・レイジ?」
「……はい」
「出身地は?」
怜司は言葉に詰まった。
日本。
そう答えて、通じるだろうか。
いや、通じるはずがない。
「……遠いところです」
衛兵が眉をひそめた。
「……具体的には?」
怜司は困った。
どう答えればいいのか分からない。
そのとき。
ふと、エリシアから渡された紹介状のことを思い出した。
「……あっ」
怜司はリュックから、丁寧に折りたたんだ紙を取り出した。
「……これ、使えますか?」
衛兵が受け取る。
そして、紋章を見た瞬間。
「……っ!?」
表情が変わった。
「……ルミナス伯爵家の紹介状!?」
怜司は思わず身を引いた。
「……え、えっと」
衛兵は慌てて姿勢を正した。
「失礼いたしました!」
「……えっ?」
「こちらは、伯爵家の正式な紹介状でございます!」
周囲の衛兵たちまで、こちらへ視線を向けた。
怜司は、ますます居心地が悪くなる。
「……あの、普通に入れればいいんですけど……」
衛兵は紹介状を丁寧に返した。
「もちろんでございます。どうぞ、お通りください」
「……ありがとうございます」
怜司は慌てて頭を下げた。
そして、城門をくぐった。
背後で、衛兵たちが小声で何かを話している。
「……あの少年、何者だ?」
「伯爵家の紹介状を持っていたぞ」
「……しかも、あの紋章は……」
怜司は聞こえないふりをした。
――エリシア、すごいもの渡してくれたんだな。
改めて、伯爵令嬢という立場の重さを実感した。
◇ ◇ ◇
街へ入ると、前回と変わらない賑わいが広がっていた。
石畳の道。
行き交う馬車。
露店から漂う香ばしい匂い。
商人たちの威勢のいい声。
怜司は、しばらく街の様子を眺めていた。
だが、今回は目的がある。
冒険者ギルド。
まずは、その場所を探さなければならない。
怜司は近くの露店へ向かった。
果物を並べていた中年の女性に声をかける。
「……すみません」
「はいよ。何か買うかい?」
「……冒険者ギルドって、どこにありますか?」
女性は少し驚いた顔をした。
「冒険者ギルド?」
「……はい」
「なんだい、あんた。冒険者になりたいのかい?」
怜司は少し迷ってから頷いた。
「……そうです」
女性は怜司を上から下まで見た。
そして、少し心配そうな顔をした。
「……悪いことは言わないよ。冒険者は危険な仕事だからね」
怜司は苦笑した。
「……そうですよね」
「魔物と戦うんだ。怪我をする奴もいれば、帰ってこない奴もいる」
女性の声は真剣だった。
「見たところ、まだ若いだろう?」
「……十五歳です」
「十五!?」
女性は目を丸くした。
「まだ子供じゃないか!」
怜司は少し困った。
確かに、日本では高校一年生だ。
だが、異世界ではどうなのだろう。
女性はため息をついた。
「……まあ、冒険者になるかどうかは、あんたが決めることだけどね」
そして、通りの奥を指さした。
「あの道をまっすぐ行って、噴水のある広場を右に曲がりな。大きな剣と盾の看板が見えるはずだよ」
「……ありがとうございます!」
怜司は深く頭を下げた。
女性は小さく笑った。
「気をつけなよ、坊や」
怜司は頷き、歩き出した。
◇ ◇ ◇
教えられた道を進むと、やがて大きな建物が見えてきた。
石造りの三階建て。
入口には、剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。
そして、その前には、武器や防具を身につけた人々が集まっていた。
「……ここか」
怜司は建物を見上げた。
冒険者ギルド。
ついに、本物のギルドへ来たのだ。
胸が高鳴る。
だが、同時に緊張もしていた。
ここには、魔物と戦うことを仕事にしている人間が集まっている。
自分は、まだまともな戦闘経験がほとんどない。
レベルは高いかもしれない。
だが、技術も知識も未熟だ。
怜司は深く息を吸った。
「……よし」
そして、扉を開いた。
中に入ると、ざわめきが耳に飛び込んできた。
大きな掲示板。
受付カウンター。
酒場のような飲食スペース。
そして、様々な装備を身につけた冒険者たち。
まさに、想像していた冒険者ギルドそのものだった。
「……すげえ」
怜司は思わず呟いた。
すると、近くにいた大柄な男が振り返った。
「……ん?」
男の視線が、怜司の身体を上から下までなぞる。
そして、にやりと笑った。
「おいおい。なんだ、この坊主」
周囲の数人が振り返る。
「……冒険者ギルドに、迷子が来たぞ」
小さな笑い声が起きた。
怜司の胸が、ちくりと痛んだ。
――また、これか。
学校で何度も聞いた声。
自分の体型を見て、笑う声。
その記憶が、一瞬で蘇る。
だが、怜司は目を逸らさなかった。
ここは学校ではない。
そして、自分はもう、以前の自分ではない。
「……登録に来ました」
怜司は静かに答えた。
男が目を丸くする。
「……は?」
「冒険者登録をしたいんです」
その言葉に、周囲がざわついた。
「……本気か?」
「……あの体で?」
「……魔物に食われるぞ」
怜司は、黙って受付へ向かった。
男たちはしばらく呆然としていたが、やがて興味を失ったように笑い合い始めた。
怜司は、その声を背中で聞きながら歩いた。
――気にするな。
他人が何を言おうと、自分がやるべきことは変わらない。
◇ ◇ ◇
受付カウンターには、若い女性が座っていた。
栗色の髪を後ろでまとめ、穏やかな笑顔を浮かべている。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルド・ルミエール支部へようこそ」
女性は丁寧に頭を下げた。
「本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「……冒険者登録をしたいんです」
怜司が答えると、女性は少し驚いたように目を瞬かせた。
だが、すぐに笑顔へ戻る。
「新規登録ですね。承知いたしました」
そして、書類を一枚取り出した。
「まず、お名前と年齢をお願いいたします」
「……黒瀬怜司。十五歳です」
女性はペンを動かした。
「クロセ・レイジ様ですね」
「……はい」
「では、登録条件についてご説明いたします」
女性は丁寧に話し始めた。
「当ギルドでは、十五歳以上の方であれば冒険者登録が可能です。ただし、未成年の方には一部の依頼に制限がございます」
怜司は頷いた。
「……分かりました」
「また、最初は全員、最低ランクからの登録となります」
「……ランク?」
「はい」
女性は説明を続けた。
「冒険者には、実績と能力に応じたランクがございます」
そして、指を折りながら数えた。
「下から順に、F、E、D、C、B、A、そしてSランクです」
怜司は目を輝かせた。
――本当にゲームみたいだ。
女性は微笑んだ。
「Sランクは、国家規模の危機に対応できるほどの実力者とされています」
「……そんなにすごいんですか?」
「はい。ですが、非常に数が少ない方々です」
怜司は頷いた。
今の自分が、どの程度の強さなのか。
正直、まったく分からない。
日本の人間よりは、遥かに強くなっている。
だが、この世界には魔法も魔物も存在する。
上には上がいるかもしれない。
だからこそ、油断は禁物だった。
「……では、登録手続きを進めましょう」
女性が微笑む。
「私は受付担当のミリアと申します。よろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いします」
怜司は頭を下げた。
ミリアは書類を確認し、カウンターの奥から小さな水晶を取り出した。
「こちらは、登録用の魔力測定水晶です」
「……魔力測定?」
「はい。登録時の参考として、魔力の反応を確認するものです」
怜司は水晶を見つめた。
透明な球体。
内部には、淡い光が揺らめいている。
「こちらに手を置いていただけますか?」
「……はい」
怜司は、ゆっくりと右手を伸ばした。
水晶へ触れる。
その瞬間。
――ピシッ。
小さな音がした。
「……え?」
怜司は目を見開いた。
水晶の内部で、光が急激に強くなる。
青。
白。
そして、金色。
光が次々と変化していく。
ミリアの笑顔が固まった。
「……え?」
周囲の冒険者たちが、ざわめき始める。
「……なんだ、あれ」
「……測定水晶が……」
怜司は慌てて手を離そうとした。
だが、その瞬間。
水晶の表面に、細いひびが走った。
――パキッ。
静かなギルド内に、乾いた音が響いた。
ミリアが息を呑む。
「……そんな……」
怜司は、恐る恐る水晶を見つめた。
ひびは、ゆっくりと広がっていく。
そして。
――パリンッ!
水晶が砕け散った。
ギルド内が、静まり返る。
誰も、声を出さなかった。
怜司は、呆然と自分の手を見つめた。
「……えっと」
そして、小さく呟いた。
「……これ、弁償した方がいいですか?」
その一言で。
ギルド内にいた全員が、同時に怜司を見つめた。
ミリアは、口を開けたまま固まっていた。
そして、ようやく声を絞り出した。
「……ギ、ギルド長を……」
その声は、震えていた。
「……ギルド長を、お呼びしてください……!」
怜司は、心の中で頭を抱えた。
――やっぱり、普通には終わらないのか。
こうして。
黒瀬怜司の冒険者としての第一歩は、ギルド中を騒然とさせる出来事から始まった。




