第118話 現代日本の錬金術――最後に足りないもの
異世界から帰還した翌日。
俺は自室の机に向かい、ノートへ材料の一覧を書き出していた。
薬草。
精製水。
植物由来の抽出成分。
微量の鉱物成分。
そして、調合の最後に必要となる魔力。
「……やっぱり、ここだよな」
ペンの先で、最後の項目を軽く叩く。
昨日、オルドさんから教わったポーションの製法。
あれを日本で再現できれば、俺にとって大きな転機になるかもしれない。
だが、問題がある。
異世界の材料をそのまま使い続けるのでは、安定した製造が難しい。
何より、販売することを考えれば、原材料の調達方法や品質管理も重要になるはずだ。
俺一人が異世界から薬草を運び続ける。
そんな方法では、いずれ限界が来る。
「まずは、材料からだな」
俺はパソコンを開いた。
異世界で学んだ薬草の特徴を、一つずつ整理していく。
見た目だけでなく、香り、抽出時の性質、含まれる成分。
《万象習得》によって理解した知識をもとに、日本で入手できる植物との共通点を探した。
最初は難しいと思っていた。
ところが。
「……あれ?」
調べ始めて間もなく、俺は画面を見つめた。
異世界で使われている薬草の中には、日本の植物と非常によく似た性質を持つものがあった。
もちろん、名前も見た目も完全に同じとは限らない。
それでも、調合に必要な働きを担う成分に着目すれば、代替できそうなものが見つかる。
さらに調べていく。
一種類。
二種類。
三種類。
気づけば、下級回復ポーションに必要な材料の大部分が、日本で普通に調達できるものだった。
「……嘘だろ」
思わず笑ってしまった。
異世界の奇跡の薬。
その材料が、現代日本でも手に入る。
もちろん、すべてが簡単というわけではない。
上級以上の調合には、精製方法を工夫する必要がある材料もある。
エリクサーともなれば、複数の成分を極めて正確に調整しなければならない。
それでも。
原理的には、日本の材料で再現できる。
その可能性が見えてきた。
「……よし」
俺はノートを閉じた。
次は、実際に作ってみるだけだ。
◇
週末。
俺は必要な材料を揃え、事前に調べた時間貸しの実験スペースを利用することにした。
自宅の台所で調合することも考えたが、家族が普段使う場所で未知の薬液を扱うのは避けたかった。
まして、将来的に商品化する可能性があるなら、作業環境にも気を配る必要がある。
今回は飲用や人体への使用を目的としない、少量の基礎試作だ。
持ち込める材料や作業内容も、施設の利用条件に合う範囲に限定している。
「さて……始めるか」
手袋を着け、計量器を準備する。
異世界の工房とは、使う道具がまったく違う。
だが、温度管理や計量の精度に関しては、日本の設備の方が優れている部分も多かった。
薬草に相当する植物から成分を抽出する。
不純物を取り除く。
一定の順序で混合する。
液体の色が、少しずつ変化していった。
「……ここまでは、問題なし」
《万象習得》によって習得した技術が、自然と手を動かしてくれる。
いや、正確には違う。
理解しているからこそ、何をすればいいのか迷わないのだ。
俺は出来上がった液体を、小さな試験容器へ移した。
見た目は、異世界の下級回復ポーションとほとんど同じ。
香りも近い。
だが。
「……やっぱり、違うな」
魔力の気配がない。
液体は完成している。
けれど、ポーションとしては未完成だった。
異世界で見た回復薬には、独特の魔力の流れがあった。
それが、この液体には存在しない。
俺は試験容器を見つめながら考えた。
原材料が違うからだろうか。
いや。
そうではない。
オルドさんの工房でも、最後の工程を終えるまでは同じ状態だった。
つまり。
「……魔力注入か」
俺は、持ち帰った未完成の試作品を一つ手に取った。
周囲に人がいないことを確認する。
そして、容器へ向けてごく少量の魔力を流した。
次の瞬間。
液体の内部に、淡い光が広がった。
光はすぐに消えたが、俺には分かる。
魔力が、確かに定着した。
「……できた」
日本で調達した材料。
日本の設備。
そして、最後に俺自身の魔力。
それだけで、異世界の下級回復ポーションと同じ魔力構造を持つ液体が完成した。
俺は思わず拳を握った。
「本当に……作れたんだ」
ただし、ここで浮かれてはいけない。
異世界のポーションと同じ構造になったからといって、日本の人間に対する安全性や効能まで確認できたわけではない。
今の段階では、あくまで試作品。
人に飲ませたり、傷へ使ったりするつもりはなかった。
それでも、大きな前進だった。
材料の問題は、思った以上に簡単に解決できそうだ。
だが。
「……これ、俺が毎回やるのか?」
そこで、新しい問題に気づいた。
一本作るだけなら、何の苦労もない。
十本でも、百本でも。
今の俺なら、それほど時間はかからないだろう。
でも、仮に本格的な事業になったら?
一日に何千本、何万本と製造することになったら?
全部の薬液へ、俺が一つずつ魔力を注ぐのか?
「……いや、無理だろ」
思わず声が漏れた。
正確には、絶対にできないわけじゃない。
けれど、それでは俺が工場から離れられなくなる。
学校にも通いたい。
家族との時間も大切にしたい。
異世界での冒険だって続けたい。
何より、俺一人しか製造できない商品なんて、事業としてあまりにも不安定だ。
「……誰でも作れるようにしないと」
俺はノートを開いた。
魔力注入。
魔力の定着。
製造工程の自動化。
思いつく言葉を書き並べていく。
しかし、そこで手が止まった。
日本の人間には、基本的に魔力を扱う技術がない。
いや、そもそも魔力という存在が知られていない。
普通の製造設備では、最後の工程を再現できないのだ。
「……どうする?」
椅子にもたれ、天井を見上げる。
魔力を直接注入できないなら。
あらかじめ、どこかへ蓄えておけばいい。
必要なときに、そこから取り出せれば――。
「…………あ」
俺は勢いよく身体を起こした。
思い出したのは、異世界の魔石だった。
魔物から得られる、魔力を宿した結晶。
冒険者ギルドでも取引され、魔道具の動力として使われている。
種類によっては、魔力を蓄積したり、外部へ放出したりできる。
「……そうか!」
魔石だ。
魔石へあらかじめ俺の魔力を蓄えておく。
そして、必要な量だけ薬液へ流し込める装置を作る。
それができれば。
俺以外の人間でも、最後の工程を行える。
俺は急いでノートへ図を描き始めた。
魔石を収める部分。
魔力を流す経路。
注入量を制御する仕組み。
薬液を一定時間保持する容器。
最初は雑な図だった。
だが、考えれば考えるほど、形になっていく。
異世界の魔道具と、日本の製造技術。
その二つを組み合わせれば、実現できるかもしれない。
「……これだ」
俺は思わず笑った。
初めてポーションを見たときから、ずっと考えていた。
どうすれば日本でも使えるのか。
どうすれば、ただ持ち込むだけではなく、継続して作れるのか。
その答えが、ようやく見え始めた。
帰り支度をしながら、俺は小さな試作品を見つめた。
ただの液体だったものが、魔力を注いだ瞬間に別の性質を持った。
この違いを、普通の科学機器でどこまで確認できるのかは分からない。
それも、いずれ調べなければならない。
だが、今はまず。
(……製造機を作ろう)
魔石を使った、誰でも扱えるポーション製造機。
それが完成すれば、俺の考えていることは単なる夢ではなくなる。
自分一人の手を離れて、誰かに届けられる技術になる。
俺はノートを鞄へしまい、実験スペースを後にした。
外には、いつも通りの日本の街並みが広がっていた。
車が走り、人々が歩き、信号が変わる。
何も変わらない日常。
けれど、その日常を変えるかもしれない技術の設計図が、今、俺の鞄の中にあった。




