第117話 万象習得の真価――奇跡の霊薬を生み出す少年
翌日。
俺はミリアさんに案内され、冒険者ギルドから少し離れた職人街を訪れていた。
鍛冶屋の金属音。
革製品を扱う店から漂う独特の匂い。
行き交う荷馬車と、忙しそうに働く職人たち。
何度か足を運んだことのある通りだったが、今日はいつもと違う目的がある。
ポーションの製法を学ぶこと。
それが今回の目的だ。
「こちらです、レイジ様」
ミリアさんが立ち止まったのは、石造りの小さな工房だった。
扉の上には、薬瓶を模した木製の看板が掛かっている。
中からは薬草の香りが漂っていた。
「失礼します。オルドさん、いらっしゃいますか?」
「聞こえとる! そんな大声を出さんでも耳は悪くないわい!」
奥から返ってきたのは、しわがれた声だった。
現れたのは、白髪交じりの髭を蓄えた老人。
小柄だが、目つきは鋭い。
「なんじゃ、ミリアか。注文の品なら明日じゃぞ」
「今日は注文ではありません。こちらのレイジ様をご紹介したくて」
老人の視線が俺へ向く。
「……この若造か?」
「黒瀬怜司です。よろしくお願いします」
頭を下げると、老人は鼻を鳴らした。
「わしはオルド。ポーションを作って四十年以上になる」
四十年。
それだけの時間を一つの技術に費やしてきた職人だ。
軽い気持ちで教えを請う相手ではない。
「レイジ様は、ギルドでも信頼されている冒険者です。調合を学びたいとのことで」
「ほう。冒険者が調合を?」
「はい。ぜひ教えていただきたくて」
「言っておくが、ポーション作りは剣を振るのとは違うぞ」
オルドさんは腕を組んだ。
「薬草の性質、抽出の温度、混合する順序、魔力を通す瞬間。どれか一つ間違えれば、ただの苦い水になる」
「はい」
「まともな下級ポーションを作れるようになるまで、普通は何年もかかる」
「……そうなんですね」
「それでもやるか?」
俺は迷わず頷いた。
「お願いします」
オルドさんはしばらく俺を見つめたあと、小さく笑った。
「いい目をしとる。なら、まず見て覚えろ」
工房の奥へ案内される。
そこには大小さまざまな釜や蒸留器、薬草を乾燥させる棚が並んでいた。
俺が最初に教わったのは、下級回復ポーションの調合だった。
「この薬草は、若葉の部分だけを使う。根を混ぜると成分が濁るからの」
オルドさんは手慣れた動作で薬草を刻んでいく。
「水の温度は高すぎても低すぎてもいかん。沸騰させればよいというものではないぞ」
俺はその手元を注意深く観察した。
刻む角度。
薬草の量。
加熱時間。
液体の色が変わる瞬間。
そして、最後に行われる魔力の注入。
「ここが肝心じゃ」
オルドさんが釜へ手をかざす。
淡い光が液体へ吸い込まれていった。
「薬液の中に魔力を定着させる。これができなければ、回復ポーションにはならん」
なるほど。
単に薬草を煮込むだけでは完成しないのか。
その瞬間、俺の中で《万象習得》が反応した。
観察していた動作の意味が、驚くほど明瞭になる。
薬草から抽出される成分。
それぞれが結びつく条件。
魔力が液体へ浸透し、性質を変化させる過程。
まるで、複雑な計算式の答えが一つずつ見えていくようだった。
「……よし。これが下級回復ポーションじゃ」
オルドさんが完成した小瓶を持ち上げる。
「さて、質問はあるか?」
「一度、自分で作ってみてもいいですか?」
「……何?」
老人の眉が上がった。
「今のを見ただけでか?」
「はい。やってみたいんです」
「ふん。失敗も勉強じゃ。好きにしてみろ」
俺は作業台の前へ立った。
薬草を手に取る。
包丁を動かす。
必要な分だけ計量し、加熱する。
すべて、先ほど見た手順の通り。
いや。
《万象習得》が働いているせいか、細かな改善点まで自然に理解できていた。
薬液の色が変わる。
火を止める。
そして、魔力を注ぐ。
液体が柔らかな光を放った。
「……できました」
オルドさんが近づいてくる。
「まさか、そんな簡単に――」
老人は瓶を手に取ると、光に透かした。
次に、専用の鑑定器具を取り出して液体を調べる。
そして。
「…………おい」
「はい?」
「お前、本当に初めてか?」
「はい」
「……嘘をつくな」
思わず苦笑する。
「本当なんですけど……」
「不純物がほとんどない。魔力の定着も見事じゃ。わしが作るものより品質が高いではないか!」
ミリアさんが目を丸くした。
「レイジ様……?」
「たまたま、うまくいったみたいです」
「たまたまで済むか!」
オルドさんの声が工房に響いた。
けれど、怒っているというより、興奮しているようだった。
「次じゃ! 中級をやってみろ!」
「分かりました」
それからの時間は、驚くほど早く過ぎていった。
中級回復ポーション。
上級回復ポーション。
最上級回復ポーション。
解毒ポーション。
魔力回復ポーション。
疲労回復や状態異常の緩和に用いる特殊な調合薬。
オルドさんが知る製法を教わるたび、俺はそれを理解し、再現していった。
もちろん、材料の品質によって仕上がりには差が出る。
必要な魔力量も、上位になるほど増えていく。
それでも、技術そのものが壁になることはなかった。
「……上級まで、一日で作りおった」
オルドさんは椅子へ腰を下ろし、天井を仰いだ。
「四十年じゃぞ……わしの四十年は何だったんじゃ……」
「い、いえ! オルドさんが教えてくれなければ、俺には作れませんでしたから!」
これは本心だった。
《万象習得》は、何もないところから勝手に知識を生み出す能力じゃない。
目の前にある技術を理解し、自分のものにする力だ。
教えてくれる人がいなければ、そもそも学ぶ機会がなかった。
オルドさんはしばらく黙っていたが、やがて大きく笑った。
「はっはっは! まったく、とんでもない弟子が来たものじゃ!」
そして、工房の奥にある古びた棚へ歩いていった。
「……最後に、一つ見せてやろう」
取り出したのは、使い込まれた分厚い本だった。
「これは?」
「エリクサーに関する古い調合書じゃ」
俺は思わず息を呑んだ。
「エリクサー……」
「わし自身、完成させたことはない。記されている製法も、失われた工程を含む不完全なものじゃ」
オルドさんは本を開いた。
そこには、複雑な魔力の流れと、いくつもの薬液を統合する工程が描かれていた。
「並の調合師には理解すら難しい。まして、完成させるなど……」
俺はページを見つめた。
すると、頭の中で膨大な情報が結びついていく。
これまでに習得した製法。
魔力を定着させる技術。
薬液同士の相互作用。
そして、調合書に残された断片的な記述。
(……そういうことか)
足りない工程が、少しずつ見えてきた。
エリクサーは、単純に回復力を強めたポーションではない。
身体が本来持つ正常な状態を、魔力によって再構築する。
そのための、極めて精密な調合。
俺は顔を上げた。
「オルドさん。この本、もう少し読ませてもらってもいいですか?」
「……構わんが、まさかお前……」
「試してみたいことがあります」
老人は目を見開いた。
だが、やがて諦めたように笑った。
「好きにせい。もう何が起きても驚かんわい」
その言葉とは裏腹に。
数時間後。
小さな試験瓶の中で、黄金色の液体が静かに輝き始めたとき。
「…………」
オルドさんは完全に言葉を失っていた。
ミリアさんも、口元へ手を当てている。
「……レイジ様。それは……」
俺は瓶を見つめた。
《万象習得》によって組み上げた調合式。
自分の魔力を使った最終工程。
すべてが、理論上は成立している。
けれど、本当にエリクサーと同じ効果があるのかは、まだ分からない。
「……少なくとも、調合自体は成功したと思います」
オルドさんは震える手で鑑定器具を取り出した。
だが、器具の表示は途中で止まってしまった。
「測定限界を超えとる……」
老人は瓶を見つめ、かすれた声で呟く。
「……これは、わしの手に負える代物ではない」
俺は黄金色の液体を、そっと保管箱へ収めた。
効能の確認もできていないものを、軽々しく使うつもりはない。
それに、こんなものが存在すると広まれば、大騒ぎになるだろう。
「オルドさん。今日のことは、できれば内密にお願いします」
老人はしばらく俺を見つめてから、深く頷いた。
「……分かった。わしも、まだ長生きしたいからの」
「ありがとうございます」
「ただし、一つだけ約束せい」
「何でしょう?」
「その腕を、つまらんことに使うな」
真剣な目だった。
俺も、まっすぐ頷いた。
「はい」
帰り道。
俺は鞄の中に収めた数本の試作品を思い出していた。
ポーションの製法は、ほぼ習得できた。
エリクサーについても、製法の再構築に成功した可能性が高い。
次に確かめるべきことは、一つ。
(……日本でも、作れるのか?)
もし作れるなら。
この技術には、想像以上の未来が待っている。
俺は胸の高鳴りを抑えながら、《界渡り》を使うための場所へ向かった。




