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虐げられた俺は異世界で神を超える 〜傷ついた黒猫を助けたら、現実世界での復讐が始まった〜  作者: 覇王が好き


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第108話 藤宮家の両親が見つけた、娘の小さな勇気

 藤宮詩織の母親は、娘の部屋から聞こえてくる小さな笑い声に、思わず足を止めた。


「……ふふっ」


 扉の向こうから聞こえたのは、間違いなく詩織の声だった。


 別に、娘が笑うこと自体は珍しくない。


 けれど、最近は以前よりもずっと楽しそうにしている。


 特に休日になると、何かを待ち遠しそうにしていることが増えた。


 母親は少し迷ってから、扉を叩いた。


「詩織、入ってもいい?」


「あっ、お母さん。うん、大丈夫」


 部屋へ入ると、詩織は机に向かっていた。


 その手元には、一冊の小説が置かれている。


 どうやら、読み終えたばかりらしい。


「あら、その本。新しく買ったの?」


「うん。この前、書店で買ったんだ」


「そうなの。面白かった?」


「うん。すごく」


 詩織は嬉しそうに本の表紙を撫でた。


「最後の展開がね、思っていたのと少し違っていて。でも、読み返すとちゃんと伏線があったんだ」


「へえ。そういうお話なのね」


「うん。それで……」


 詩織はそこで言葉を止めた。


 少しだけ頬が赤くなる。


「……どうしたの?」


「ううん。何でもない」


 母親は首を傾げた。


 しかし、すぐに気づく。


 机の上に置かれたスマートフォン。


 その画面には、メッセージの通知が表示されていた。


 送り主の名前までは見えなかったが、詩織が何度もそちらへ視線を向けていることは分かった。


「誰かと、この本のお話をする約束でもしているの?」


「えっ?」


 詩織が驚いたように顔を上げる。


「ど、どうして?」


「だって、さっきから嬉しそうなんだもの」


「…………」


 詩織は少し俯いた。


 そして、観念したように小さく頷く。


「……うん。友達と、同じ本を買ったんだ」


「あら、素敵ね」


「読み終わったら、感想を話そうって約束してて」


「そうなの」


 母親は微笑んだ。


「そのお友達とは、最近仲がいいの?」


「……うん」


 詩織は本を胸元へ引き寄せた。


「すごく、優しい人なんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、母親は何となく察した。


 娘が話している相手は、ただの友人ではないのかもしれない。


     ◇


 藤宮詩織は、幼い頃から静かな子供だった。


 人見知りというほどではないが、大勢の中で積極的に発言することは少ない。


 休み時間には本を読み、分からないことがあれば自分で調べる。


 勉強も好きで、何事にも真面目に取り組む。


 両親にとって、自慢の娘だった。


 ただ、少しだけ心配なこともあった。


 自分の気持ちを、遠慮して飲み込んでしまうところだ。


 誰かに何かを頼まれても、断るのが苦手。


 自分が本当にしたいことがあっても、相手の都合を先に考えてしまう。


 そんな娘が最近、少しずつ変わり始めていた。


 休日に自分から出かけるようになった。


 新しい服を選ぶとき、以前よりも楽しそうに悩むようになった。


 そして何より。


 誰かと過ごした時間について、嬉しそうに話すようになったのだ。


 母親は、その変化を心から喜んでいた。


     ◇


 夕食の時間。


 父親が帰宅すると、詩織はいつものように食卓についていた。


「ただいま」


「おかえり、お父さん」


「今日は何をしていたんだ?」


「本を読んでたよ」


「そうか。また新しい本か?」


「うん。この前買った小説」


 父親は笑った。


「相変わらず本が好きだな」


「……うん」


 詩織は少し照れくさそうに頷く。


 その様子を見ていた母親が、何気ない調子で尋ねた。


「そういえば詩織。その本、一緒に買ったお友達とは、もう感想を話したの?」


「っ……!」


 詩織の箸が止まった。


 父親が顔を上げる。


「一緒に買った友達?」


「う、うん……」


「学校の友達か?」


「……そうだよ」


「へえ。誰なんだ?」


 父親に悪気はなかった。


 ただ、娘の交友関係に興味があっただけだ。


 しかし詩織は、少しだけ迷った。


 そして、小さな声で答えた。


「……黒瀬君」


「黒瀬君?」


「うん。同じ研究班だった人」


 父親は頷いた。


「そういえば、子供たちのスポーツ体験会をやったんだったな」


「うん」


「その黒瀬君とは、仲がいいのか?」


「……うん。仲は、いいと思う」


 詩織の声が、少し小さくなる。


 母親は優しく微笑んだ。


「詩織、その人とは二人で本屋さんへ行ったの?」


「……うん」


「そう」


 母親はそれ以上追及しなかった。


 だが、父親は少し驚いたようだった。


「二人で?」


「……うん」


「詩織が、自分から誘ったのか?」


 その問いに、詩織はしばらく黙っていた。


 やがて、こくりと頷く。


「……私から、誘った」


 父親は目を丸くした。


 母親も、少し驚いた。


 もちろん、娘が誰かを誘うことが悪いわけではない。


 ただ、これまでの詩織を知っているからこそ、その一歩がどれほど勇気のいることだったのか、よく分かったのだ。


「……そうか」


 父親は穏やかに笑った。


「楽しかったか?」


「うん」


 詩織は顔を上げた。


 その表情には、はっきりとした喜びが浮かんでいた。


「すごく楽しかった」


 父親は、その笑顔を見て少しだけ目を細めた。


「それなら、よかったな」


「……うん」


     ◇


 夕食後。


 詩織が自室へ戻ると、父親は妻に尋ねた。


「……なあ」


「何?」


「詩織、最近変わったと思わないか?」


「そうね」


「前より明るくなったというか……」


「ええ。私もそう思うわ」


 母親は微笑んだ。


「たぶん、好きな人ができたんじゃないかしら」


「……好きな人?」


「うん」


「……黒瀬君か?」


「たぶんね」


 父親はしばらく黙り込んだ。


 そして、ぽつりと言った。


「……あの詩織がなあ」


 母親は笑った。


「何よ、その言い方」


「いや。小さい頃は、知らない子に話しかけるだけでも緊張していただろう?」


「そうね」


「それが、自分から男の子を誘って出かけるようになったんだな」


 父親の声には、驚きと嬉しさが混じっていた。


「成長したんだなあ……」


「本当にね」


 母親も頷いた。


 娘が自分から誰かに会いたいと思い、そのために勇気を出した。


 それは、二人にとって何より嬉しい変化だった。


「黒瀬君って、どんな子なんだろうな」


「詩織の話を聞く限り、優しい子みたいよ」


「そうか」


「それに、詩織があんなに嬉しそうなんだもの。きっと、一緒にいて安心できる人なんでしょうね」


 父親は静かに頷いた。


「……一度、会ってみたいな」


「ふふっ。気が早いんじゃない?」


「そうか?」


「まだ詩織だって、自分の気持ちをどう伝えようか考えているところかもしれないでしょう?」


「……それもそうだな」


 父親は苦笑した。


 そして、少しだけ真剣な表情になる。


「でも、もし本当に好きな人ができたのなら、応援してやりたいな」


「ええ。私も」


     ◇


 その頃、詩織は自室でスマートフォンを手にしていた。


 画面には、怜司とのメッセージが表示されている。


『この前の小説、読み終わりました』


 そう送ると、しばらくして返信が届いた。


『俺も読み終わったよ。最後の展開、かなり驚いた』


 詩織は思わず微笑んだ。


『私もです。途中のあの場面が、最後につながっていたんですね』


『そうそう。詩織さんがどこで気づいたのか、聞いてみたいな』


 その言葉に、胸が温かくなる。


 怜司は、ちゃんと覚えていてくれた。


 同じ本を買ったことも、感想を話す約束も。


『よかったら、また一緒にお話ししませんか?』


 文章を入力して、詩織は少し迷った。


 以前の自分なら、きっと送れなかった。


 相手が忙しかったらどうしよう。


 迷惑だったらどうしよう。


 そんなことばかり考えて、結局何も言えなかったはずだ。


 でも、今は違う。


 会いたい。


 話したい。


 その気持ちを、きちんと伝えたい。


 詩織は小さく息を吸い、送信ボタンを押した。


 数分後。


『もちろん。俺も詩織さんと話したいと思ってた』


「……っ」


 詩織はスマートフォンを胸に抱きしめた。


 嬉しかった。


 たった一通のメッセージなのに、こんなにも幸せな気持ちになる。


「……黒瀬君」


 小さく名前を呼ぶ。


 そして、少しだけ勇気を出して、もう一通送った。


『今度は、本のお話だけじゃなくてもいいですか?』


 返事は、思っていたより早かった。


『もちろん。詩織さんとなら、いろんな話ができそうだね』


 詩織は顔を赤くした。


 けれど、今度はスマートフォンを伏せたりしなかった。


 嬉しい気持ちを、そのまま大切にしたかった。


     ◇


 翌朝。


 朝食の席で、詩織は両親に言った。


「あの……今度のお休み、また友達と出かけてもいい?」


 母親が微笑む。


「もちろん。黒瀬君?」


「……うん」


 父親は少しだけ驚いた顔をした。


 だが、すぐに笑った。


「楽しんでおいで」


「……ありがとう」


 詩織は嬉しそうに頷いた。


 その笑顔を見ながら、両親は顔を見合わせる。


 娘が、自分から誰かに会いたいと言えるようになった。


 それだけで、十分だった。


 藤宮家の両親は、まだ黒瀬怜司という少年に会ったことがない。


 けれど、いつか会う日が来たなら。


 まずは、こう伝えたいと思っていた。


 ――娘に、こんな笑顔を見せてくれてありがとう。


 それは、娘の初恋を知った両親の、飾らない本心だった。

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