第8話 異世界の常識、日本の常識
「先に休む」
修司がそう言うと、リゼは明らかに不満そうな顔をした。
「隠れ家まで半刻だ」
「その半刻を歩いたら、また傷が開く」
「運ぶと言ったのはお前だろう」
「俺も休ませてくれ」
治療へ集中していた間は気づかなかったが、腕も背中も重い。
森を走り、魔獣から逃げ、リゼを二度抱えている。身体は若返っていても、使い方まで若者へ戻ったわけではなかった。
「それに、時間も確認したい」
スマートフォンを見る。
再転移から四十七分。
初回の十二分を、とっくに過ぎている。
「帰されない」
「問題なのか?」
「今のところは助かる。でも、理由が分からない」
初回と二回目で、何が違うのか。
八時間以上の待ち時間。
十一キロの荷物。
戻りたいという意思。
治療を続けたいという願い。
材料が多すぎて、どれが原因か分からない。
「お前は、何でも数えるのだな」
「分からないことは、記録するしかないだろ」
「精霊へ尋ねればいい」
「精霊?」
修司が聞き返すと、リゼは周囲へ視線を向けた。
「今はいない。少なくとも、私には感じられない」
「普通にいるものなのか?」
「普通、という言葉の意味による」
リゼの返しに、修司は苦笑した。
似たようなことを自分も言っている。
「魔法も、精霊がやるのか?」
「術者による。人間の術式魔法と、我々エルフの精霊術は異なる」
「さっきの傷も治せる?」
「本来なら」
リゼが包帯の上へ手を置く。
「棘に魔力を吸われ、傷へ異質な力が残っていた。あのまま術を使えば、傷ごと異常化していたかもしれない」
「だから、棘を見て顔色が変わったのか」
「あれは自然の魔獣から生まれたものではない」
リゼは言い切った。
修司が保存袋へ入れた黒い棘。
先端へ巻かれた銀色の線。
誰かが手を加えたものだとすれば、彼女の傷は偶然の襲撃によるものではない。
「狙われてた?」
「まだ分からない」
「その言い方は、心当たりがある時のやつだな」
「お前に話す理由はない」
「治療したから話せ、とは言わない。でも次に同じ奴が来るなら、知らないと困る」
リゼは答えなかった。
修司も追及しない。
代わりに携帯食の袋を開けた。
「食べられるか?」
「それは何だ」
「栄養補助食品」
「食べ物には見えない」
「俺も初めて見た時はそう思った」
四角い栄養バーを半分に割り、自分で一口食べる。
リゼは匂いを確かめてから、慎重にかじった。
「甘い」
「水も飲め。血がかなり出た」
「水を飲めば血が戻るのか?」
「すぐ血になるわけじゃない。でも水分が足りないと、もっと悪くなる」
少量ずつ渡す。
修司は別のボトルへ水を入れ、砂糖と塩を少しだけ加えた。
「今度は何だ」
「簡単な経口補水液」
「けいこう……」
「水だけより吸収されやすい。たぶん」
「たぶん?」
「濃さを正確に量れる道具がない」
「そんなものを私に飲ませるのか」
「嫌なら普通の水にする」
選ばせると、リゼは補水液を取った。
一口飲み、複雑な顔をする。
「美味くない」
「美味しくするものじゃないからな」
「お前の世界の薬は、皆こうなのか?」
「もっと不味いのもある」
「恐ろしい世界だ」
「角の生えた狼がいる世界よりは平和だよ」
言い返すと、リゼは少しだけ笑った。
警戒が解けたわけではない。
それでも最初より、表情が見えるようになってきた。
「傷を見せろ」
「もう?」
「棘は抜けた。精霊術が使えるか確かめる」
リゼが包帯の上へ手を置く。
目を閉じ、小さく息を吐いた。
言葉を唱えたように聞こえた。
修司には意味が分からない。
けれど、音の一つ一つが妙に耳へ残った。
風がないのに、銀髪が揺れる。
リゼの指先へ、淡い緑色の光が集まった。
「……本当に光るんだな」
「黙っていろ」
「すみません」
光が包帯を通り抜け、傷へ沈んでいく。
修司の耳元で、鈴のような音がした。
右から一つ。
左からも。
小さな光の粒が、木々の間から現れる。
緑。
青。
淡い黄色。
蛍に似ているが、飛び方が違う。
光の一つが修司の肩へ止まった。
『いた』
声が聞こえた気がした。
「え?」
修司が振り向く。
光の粒が、楽しそうに跳ねる。
『みつけた』
「今、喋った?」
緑色の光が途切れた。
リゼが目を開く。
「何を言っている」
「この光」
肩を指す。
「見えないのか?」
リゼの顔から、わずかに血の気が引いた。
傷が悪化した時とは違う。
信じられないものを見る表情だった。
「シュウ」
「何だ?」
「動くな」
命令する声へ戻っている。
「お前の肩にいるものが、何だか分かっているのか?」
「小さい精霊?」
「なぜ分かる」
「今、喋ったから」
リゼは、完全に言葉を失った。
その間にも別の小さな光が集まり、修司の頭や腕へ止まり始めていた。




