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亡き妻の指輪で異世界へ――Lv0の四十代、精霊に愛されながら妻の足跡を追う  作者: 翠碧ノ人


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第6話 戻れた

 足の裏へ、湿った土の感触が戻った。


「――っ」


 修司は転びそうになりながら踏ん張った。


 背中のリュックが重い。


 ある。


 十一キロ分の荷物ごと、転移できた。


「戻った……!」


 喜んだのは一瞬だった。


 すぐにライトをつけ、周囲を照らす。


 同じ森。


 巨大な狼の死骸。


 大木の根元。


「いない」


 銀髪の女がいない。


 根元には血の跡だけが残っている。修司が巻いた上着も、彼女と一緒に消えていた。


「嘘だろ」


 胸の奥が冷たくなる。


 魔獣に連れていかれた。


 誰かに捕まった。


 自分で移動した。


 考えられる可能性が一度に浮かぶ。


「落ち着け」


 最悪の想像をする前に、確認する。


 修司は地面へライトを向けた。


 血の跡が続いている。


 引きずられた跡ではない。


 片足を庇うような足跡。


「歩いたのか」


 生きている。


 少なくとも、ここから移動を始めた時点では。


 修司は跡を追った。


 足跡は木々の間を抜け、緩い上りへ続いている。ところどころ幹へ血がつき、彼女が身体を支えながら進んだことが分かった。


「あの傷で、よく……」


 感心している場合ではない。


 百メートルほど進むと、前方で何かが動いた。


 修司は足を止め、ナイフへ手をかける。


「誰だ」


 掠れた声。


 聞き覚えがある。


「俺だ!」


 ライトを少し下へ向け、ゆっくり近づく。


 大木へ背を預けた銀髪の女がいた。


 折れた短剣を構えている。


 修司の姿を認めると、刃先がわずかに下がった。


「……シュウ?」


「ああ」


 返事をした途端、膝から力が抜けそうになった。


「生きてた」


「勝手に殺すな」


「その台詞を言えるなら大丈夫そうだな」


 修司は駆け寄った。


 顔色は悪い。


 呼吸も浅い。


 それでも意識は、前よりはっきりしている。


「なんで動いた」


「あの場所は魔獣の死骸に近すぎる。血の臭いへ別の獣が集まる」


「分かるけど、その身体で」


「お前が戻る保証はなかった」


 修司は言葉を失った。


 責めることはできない。


 彼女からすれば、修司は突然現れて突然消えた男だ。


 戻ると言ったところで、信用できる根拠などない。


「本当に戻ってきたのだな」


 女は、確認するように言った。


「見れば分かるだろ」


「なぜ」


「何が?」


「なぜ戻った」


 修司はリュックを下ろした。


「約束したから」


「それだけか」


「それだけって」


「私はお前の名を知っただけだ。お前は私の名すら知らない」


「じゃあ教えてくれ」


 女が目を瞬く。


「名前」


「……今、聞くのか?」


「今まで聞く暇なかっただろ」


 修司はペットボトルの水を取り出した。


 蓋を開け、自分で一口飲んでから差し出す。


「毒は入ってない」


「疑ってはいない」


「さっき短剣を向けてたけど」


「あれは警戒だ」


「同じじゃないか?」


 女の口元が、ほんの少し緩んだ。


 初めて見た表情だった。


「リゼリア」


「え?」


「私の名だ。リゼリア・アルヴェイン」


「リゼリア」


 修司が繰り返すと、彼女は小さく頷いた。


「親しい者は、リゼと呼ぶ」


「じゃあ、リゼ」


「お前は遠慮というものを知らないのか」


「呼んでいいって意味じゃなかった?」


「……今は、それでいい」


 リゼは水を受け取った。


 透明な容器を不思議そうに眺める。


「これは硝子か?」


「プラスチック」


「ぷら……何だ?」


「そこから説明するのか」


「知らないものを知らないと言って何が悪い」


「悪くない。むしろ助かる」


 修司も、この世界では知らないことばかりだ。


 互いに聞けばいい。


 リゼは慎重に水を口へ含んだ。


 一度飲むと、身体が求めていたのか、続けて喉を動かす。


「ゆっくり」


「分かっている」


 そう言いながら、半分ほど飲んだ。


 修司は脇腹へ巻いた上着を見る。


 血が広がっている。


「傷を洗って、巻き直す。薬も持ってきた」


「薬師なのか?」


「違う」


「治療師」


「でもない」


「では、なぜ知っている」


「趣味で調べた」


 リゼが黙った。


「何だよ」


「お前の世界では、重傷者の治療を趣味にするのか?」


「そういう意味じゃない」


 修司は救急箱を開ける。


 清潔なガーゼや包帯を並べると、リゼの目つきが変わった。


「随分と上質な布だ」


「こっちでは普通に買える」


「これが普通?」


 リゼは包帯へ触れようとして、手を止めた。


「シュウ」


「ん?」


「先ほどの続きを聞かせろ」


 声が低くなる。


「お前の妻――ユイについて」


「治療が先だ」


「ユフィリア様と同じ人物なのか、確かめる必要がある」


「死にかけながら確かめることじゃない」


 修司は、はっきり言った。


「俺は結衣のことを知りたい。でも、そのためにあんたを死なせたら意味がない」


 リゼの瞳が揺れた。


 怒ったのかと思った。


 けれど、違った。


「……似ている」


「何が?」


「いや」


 リゼは目を伏せた。


「治療を頼む、シュウ」


 初めて、警戒ではなく信頼して身体を預ける声だった。

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