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亡き妻の指輪で異世界へ――Lv0の四十代、精霊に愛されながら妻の足跡を追う  作者: 翠碧ノ人


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第5話 戻る方法

 午前零時を過ぎても、指輪は光らなかった。


「実験一。石へ触れる」


 変化なし。


「実験二。指輪を外す」


 修司は左手の薬指へ指をかけた。


 少し迷う。


 二年半、一度も外していない。


 実験だ。


 そう自分に言い聞かせ、ゆっくり引き抜いた。


 指輪が指から離れた瞬間、胸の奥に小さな空白ができた気がした。


 もちろん、気のせいだ。


 テーブルへ置く。


 何も起きない。


「実験三。もう一度つける」


 変化なし。


 それでも、指輪が元の場所へ戻っただけで少し息がしやすくなった。


「重症だな、俺も」


 ノートへ結果を書き込む。


 次は言葉。


「異世界へ行きたい」


 何も起きない。


「森へ戻してくれ」


 変化なし。


「ユフィリア」


 やはり、何もない。


「結衣」


 石は光らなかった。


 ただ、口にした自分の声が部屋へ残った。


「……戻せ」


 少し強く言う。


「お願いだから、戻してください」


 変化なし。


「なんで敬語なんだよ」


 修司は椅子へ深く座った。


 テーブルには、準備した物が並んでいる。


 救急箱。


 清潔なタオル。


 ペットボトルの水。


 消毒液。


 包帯。


 携帯食。


 懐中電灯。


 モバイルバッテリー。


 ライター。


 アウトドア用のナイフ。


 全部をリュックへ詰めると、かなりの重さになった。


 持っていける保証はない。


 そもそも、もう一度行ける保証すらない。


「クールタイムか」


 ゲームのような言葉を、真面目に考える。


 一度使った力を、すぐには再使用できない。


 なら、待ち時間はどれくらいなのか。


 一時間。


 半日。


 一日。


「一週間だったら、あの人は死ぬ」


 口にした途端、焦りが強くなった。


 止血はした。


 だが十分ではない。


 水も与えていない。傷も洗えていない。魔獣が食事を終えた後、彼女を見つけるかもしれない。


 時計の秒針だけが進む。


 修司は、時間ごとに試した方法を記録した。


 転移した時刻と同じ午後七時十二分。


 反応なし。


 初回帰還から一時間。


 反応なし。


 三時間。


 反応なし。


 部屋を変える。


 寝室。


 浴室。


 玄関。


 マンションの廊下へ出ようとして、足を止めた。


 もし廊下で転移し、戻った時に誰かへ見られたら説明できない。


 自宅内だけにする。


「場所も条件かもしれない」


 最初に光ったキッチンへ戻る。


 まな板は洗った。


 鶏肉は冷蔵庫。


 あの時と同じ状況ではない。


「唐揚げを作ればいいのか?」


 本気で考えている自分が嫌になる。


 それでも鶏肉を出した。


 同じ位置へまな板を置き、包丁を持つ。


「結衣、今日の晩飯は唐揚げだぞ」


 もう日付が変わっている。


 返事はない。


 指輪も光らない。


 鶏肉は、また冷蔵庫へ戻した。


「条件、多すぎないか」


 午前二時。


 眠る気にはなれなかった。


 修司は折れた剣を改めて調べる。


 血は拭き取らず、ビニールの上へ置いてある。


 刀身は鉄に似ているが、色が少し青い。折れた断面には、細い銀色の線が何本も走っていた。


 装飾ではない。


 何かの回路に見える。


「魔法の剣、か」


 昨日までなら笑っていた言葉だ。


 スマートフォンで写真を撮り、拡大する。


 銀色の線は途中で複雑に枝分かれし、柄の方へ続いている。


 電気回路。


 血管。


 水路。


 似ているものはいくつか浮かぶが、答えは出ない。


 知識があっても、材料が足りなければ分からない。


「本人に聞くのが一番早いな」


 その本人の名すら知らない。


 彼女は修司をシュウと呼んだ。


 自分は、彼女をずっと「あの人」と呼んでいる。


「次に会ったら聞こう」


 次。


 また、次があるように口にした。


 午前三時を過ぎた。


 帰還から約八時間。


 修司はソファへ座り、左手を見つめる。


「頼むよ」


 誰へ頼んでいるのか分からない。


 指輪なのか。


 結衣なのか。


 名前も知らない女なのか。


「約束したんだ」


 必ず戻ると。


 安請け合いだった。


 守れる根拠など一つもない。


 それでも、守りたい。


「もう一度だけでいいから」


 左手を握る。


「あそこへ戻してくれ」


 手の中で、何かが温かくなった。


 修司は息を止める。


 指を開く。


 結婚指輪の石に、淡い光が灯っていた。


「来た」


 立ち上がる。


 リュックを背負い、靴紐を結び直す。


 重さは十一キロ。


 転移できるかは分からない。


 持てるだけ持つ。


「待ってろ」


 石の光が強くなる。


 前回と同じ耳鳴り。


 視界が歪む。


 白く染まりきる直前、修司は時計を見た。


 帰還から、八時間十二分。


 偶然なのか。


 新しい数字を記録する暇はなかった。

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