表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡き妻の指輪で異世界へ――Lv0の四十代、精霊に愛されながら妻の足跡を追う  作者: 翠碧ノ人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/15

第2話 血まみれのエルフ

 生きている。


 その事実に安堵したのは、ほんの一瞬だった。


 銀髪の女は意識を失ったまま、浅い呼吸を繰り返している。脇腹を押さえていた手は力なく地面へ落ち、指の間まで赤く濡れていた。


「大丈夫。まだ大丈夫だ」


 同じ言葉を繰り返しながら、修司は女の身体を確認した。


 胸は動いている。呼吸はある。


 首筋へ触れれば脈も感じる。ただし速く、弱い。


 問題は出血だった。


「脇腹と、脚……肩もか」


 砕けた鎧が邪魔で、傷の深さが分からない。金属板の隙間から見える衣服は裂け、血と泥を吸って肌へ張りついていた。


 救急車は来ない。


 病院もない。


 救急箱すら、今は持っていない。


 あるのはスマートフォンと財布、菜箸。それから自分が着ている服だけだ。


「準備くらいさせろよ……」


 誰へ向けた文句なのか、自分でも分からなかった。


 修司はスマートフォンのライトをつけ、女の脇腹を照らす。


 鎧の留め具が歪んでいる。


 無理に引けば、割れた金属が傷を広げるかもしれない。


「壊すしかないか」


 腰の革帯を緩め、残っている留め具を一つずつ外していく。見たことのない構造だったが、鎧である以上、身体へ固定する方法にそれほど多くの選択肢はない。


 指先が震える。


 怖いからだ。


 女性の身体へ触れることではない。


 自分が間違えれば、この人が死ぬかもしれない。


 その事実が、何より怖かった。


「……よし」


 最後の留め具が外れた。


 壊れた胸当てを持ち上げる。女の身体がわずかに動き、修司は慌てて手を止めた。


「痛むよな。悪い」


 返事はない。


 呼吸が大きく乱れていないことを確かめ、今度はゆっくりと鎧を脇へずらした。


 下に着ていた服も、脇腹の部分が大きく裂けている。


 白い肌が覗いていた。


 下着らしき布も見えたが、修司の目はそこへ止まらない。


 傷口を照らす。


「深い……けど、腹までは届いてない?」


 大型の爪で抉られたような傷だった。出血は多いが、傷口から臓器が見えているわけではない。


 少なくとも、修司にはそう見えた。


 断定はできない。


 できるはずもない。


「止血が先だ」


 修司は自分の上着を脱いだ。


 比較的汚れていない内側を使いたい。だが手で引き裂けるほど薄い生地ではない。


 周囲を見回すと、少し離れた場所に女の外套が落ちていた。端は泥だらけだが、内側にはまだ使えそうな部分がある。


「借りるぞ」


 意識のない相手へ断ってから、外套の留め紐を外す。


 布を折り畳み、傷へ当てた。


 じわりと赤が広がる。


「くそ……」


 上から手のひらで圧迫する。


 強すぎれば痛める。弱ければ血が止まらない。


 正解など分からない。


 インターネットで読んだ文章や、救命講習の動画が頭へ浮かぶ。知識だけなら、いくつもある。


 けれど画面の中の傷は、鉄の匂いなどしなかった。


 手の下で、人の体温が少しずつ失われていく感覚もなかった。


「知ってるのと、やるのは違うな……」


 呟く声まで震えていた。


 それでも、手は離さない。


 しばらく圧迫してから、布をずらさずに上着で固定する。見栄えは悪い。医療関係者が見れば、やり方を怒られるかもしれない。


 今は、それでもやるしかなかった。


 次は脚。


 太腿の外側に切り傷がある。こちらは脇腹ほど深くないが、衣服が傷へ入り込んでいた。


 修司は破れた布だけを慎重に外す。


 その時、女の瞼がわずかに動いた。


「……触る、な……」


 掠れた声だった。


 細い指が修司の手首を掴む。


 意識を失っていたとは思えない力に、修司は息を呑んだ。


「傷を見るだけだ。嫌なのは分かるけど、このままだと出血が続く」


「男、が……私に……」


「今だけ我慢してくれ」


 青白い瞳が薄く開く。


 警戒している。


 当然だった。


 目を覚ましたら、知らない男が壊れた鎧を外し、脚へ触れている。修司が逆の立場でも、相手を信用できるとは思えない。


「俺は医者じゃない。でも、血を止める方法なら少しは知ってる」


「いしゃ……?」


「治療する人間だ」


 女は修司の顔を見た。


 次に、自分の脇腹へ巻かれた上着を見る。


 最後に、修司の左手。


 結婚指輪へ目を止めた。


 瞳の奥に、先ほどと同じ動揺が走る。


「その、指輪……」


「それは後だ」


 修司は珍しく、強い口調で遮った。


「まず生きろ。聞きたいことは、俺にも山ほどある」


 女は何か言い返そうとした。


 けれど、その前に顔を歪める。


 傷の痛みだけではない。


 森の奥から、低い唸り声が聞こえた。


 修司の背中が冷える。


 一つではない。


 木々の向こうで、赤い光が二つ浮かぶ。


 少し離れた場所に、もう二つ。


「……仲間か?」


 倒れている巨大な狼へ目を向ける。


 女の手が修司の腕を強く掴んだ。


「逃げろ」


「お前を置いて?」


「私は、もう戦えない」


 淡々とした声だった。


 諦めた声ではない。


 自分を捨てれば修司は助かると、ただ事実を告げている。


 修司は赤い目を見た。


 次に、血に濡れた銀髪を見る。


 怖い。


 逃げたい。


 それでも。


「悪いけど」


 修司は女の身体を支えられる位置へ膝をついた。


「そういうの、後味悪いんだよ」


 赤い目が、一歩近づいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ