第2話 血まみれのエルフ
生きている。
その事実に安堵したのは、ほんの一瞬だった。
銀髪の女は意識を失ったまま、浅い呼吸を繰り返している。脇腹を押さえていた手は力なく地面へ落ち、指の間まで赤く濡れていた。
「大丈夫。まだ大丈夫だ」
同じ言葉を繰り返しながら、修司は女の身体を確認した。
胸は動いている。呼吸はある。
首筋へ触れれば脈も感じる。ただし速く、弱い。
問題は出血だった。
「脇腹と、脚……肩もか」
砕けた鎧が邪魔で、傷の深さが分からない。金属板の隙間から見える衣服は裂け、血と泥を吸って肌へ張りついていた。
救急車は来ない。
病院もない。
救急箱すら、今は持っていない。
あるのはスマートフォンと財布、菜箸。それから自分が着ている服だけだ。
「準備くらいさせろよ……」
誰へ向けた文句なのか、自分でも分からなかった。
修司はスマートフォンのライトをつけ、女の脇腹を照らす。
鎧の留め具が歪んでいる。
無理に引けば、割れた金属が傷を広げるかもしれない。
「壊すしかないか」
腰の革帯を緩め、残っている留め具を一つずつ外していく。見たことのない構造だったが、鎧である以上、身体へ固定する方法にそれほど多くの選択肢はない。
指先が震える。
怖いからだ。
女性の身体へ触れることではない。
自分が間違えれば、この人が死ぬかもしれない。
その事実が、何より怖かった。
「……よし」
最後の留め具が外れた。
壊れた胸当てを持ち上げる。女の身体がわずかに動き、修司は慌てて手を止めた。
「痛むよな。悪い」
返事はない。
呼吸が大きく乱れていないことを確かめ、今度はゆっくりと鎧を脇へずらした。
下に着ていた服も、脇腹の部分が大きく裂けている。
白い肌が覗いていた。
下着らしき布も見えたが、修司の目はそこへ止まらない。
傷口を照らす。
「深い……けど、腹までは届いてない?」
大型の爪で抉られたような傷だった。出血は多いが、傷口から臓器が見えているわけではない。
少なくとも、修司にはそう見えた。
断定はできない。
できるはずもない。
「止血が先だ」
修司は自分の上着を脱いだ。
比較的汚れていない内側を使いたい。だが手で引き裂けるほど薄い生地ではない。
周囲を見回すと、少し離れた場所に女の外套が落ちていた。端は泥だらけだが、内側にはまだ使えそうな部分がある。
「借りるぞ」
意識のない相手へ断ってから、外套の留め紐を外す。
布を折り畳み、傷へ当てた。
じわりと赤が広がる。
「くそ……」
上から手のひらで圧迫する。
強すぎれば痛める。弱ければ血が止まらない。
正解など分からない。
インターネットで読んだ文章や、救命講習の動画が頭へ浮かぶ。知識だけなら、いくつもある。
けれど画面の中の傷は、鉄の匂いなどしなかった。
手の下で、人の体温が少しずつ失われていく感覚もなかった。
「知ってるのと、やるのは違うな……」
呟く声まで震えていた。
それでも、手は離さない。
しばらく圧迫してから、布をずらさずに上着で固定する。見栄えは悪い。医療関係者が見れば、やり方を怒られるかもしれない。
今は、それでもやるしかなかった。
次は脚。
太腿の外側に切り傷がある。こちらは脇腹ほど深くないが、衣服が傷へ入り込んでいた。
修司は破れた布だけを慎重に外す。
その時、女の瞼がわずかに動いた。
「……触る、な……」
掠れた声だった。
細い指が修司の手首を掴む。
意識を失っていたとは思えない力に、修司は息を呑んだ。
「傷を見るだけだ。嫌なのは分かるけど、このままだと出血が続く」
「男、が……私に……」
「今だけ我慢してくれ」
青白い瞳が薄く開く。
警戒している。
当然だった。
目を覚ましたら、知らない男が壊れた鎧を外し、脚へ触れている。修司が逆の立場でも、相手を信用できるとは思えない。
「俺は医者じゃない。でも、血を止める方法なら少しは知ってる」
「いしゃ……?」
「治療する人間だ」
女は修司の顔を見た。
次に、自分の脇腹へ巻かれた上着を見る。
最後に、修司の左手。
結婚指輪へ目を止めた。
瞳の奥に、先ほどと同じ動揺が走る。
「その、指輪……」
「それは後だ」
修司は珍しく、強い口調で遮った。
「まず生きろ。聞きたいことは、俺にも山ほどある」
女は何か言い返そうとした。
けれど、その前に顔を歪める。
傷の痛みだけではない。
森の奥から、低い唸り声が聞こえた。
修司の背中が冷える。
一つではない。
木々の向こうで、赤い光が二つ浮かぶ。
少し離れた場所に、もう二つ。
「……仲間か?」
倒れている巨大な狼へ目を向ける。
女の手が修司の腕を強く掴んだ。
「逃げろ」
「お前を置いて?」
「私は、もう戦えない」
淡々とした声だった。
諦めた声ではない。
自分を捨てれば修司は助かると、ただ事実を告げている。
修司は赤い目を見た。
次に、血に濡れた銀髪を見る。
怖い。
逃げたい。
それでも。
「悪いけど」
修司は女の身体を支えられる位置へ膝をついた。
「そういうの、後味悪いんだよ」
赤い目が、一歩近づいた。




