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亡き妻の指輪で異世界へ――Lv0の四十代、精霊に愛されながら妻の足跡を追う  作者: 翠碧ノ人


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第14話 街へ行く

 リゼが杖なしで歩けるようになるまで、八日かかった。


「まだ早い」


 朝から何度目か分からない言葉を、修司は繰り返した。


「傷は塞がった」


「塞がっただけだ。中まで治ったとは限らない」


「治療師より細かい男だな」


「こっちで無理して、また開いたらどうする」


「だから街へ行く。道具も情報も、この小屋だけでは足りない」


 それは修司にも分かっていた。


 食料は現代から運べる。


 傷の経過も悪くない。


 だが、結衣の手掛かりを探すなら、隠れ家へ閉じこもっているわけにはいかない。


「街まで、どれくらい?」


「私の足なら半日。今なら一日を見た方がいい」


「途中で野営か」


「お前は、やけに嬉しそうだな」


「一通りの道具はあるからな」


 テント、寝袋、携帯コンロ、浄水器。


 実際の山では使わずじまいだった物も多い。それを異世界で使うことになるとは思わなかった。


「遊びに行くのではないぞ」


「分かってる」


 リゼは鎧を身につけず、深緑の外套で銀髪と耳を隠した。折れた剣の代わりに、隠れ家へ残されていた古い細剣を腰へ下げる。


「その顔も隠した方がいいのか?」


「《白銀の守剣》は死んだことになっている」


「死んだ?」


「三年前、ユフィリア様が消えた直後にな」


 それ以上は、歩きながら話すと言った。


 小屋の戸を閉める。


 修司は一度振り返った。


 八日前には埃だらけだった隠れ家も、今は最低限の生活ができる。棚には食料と薬が並び、寝台には新しい毛布がかかっていた。


 帰ってくる場所があるだけで、森の見え方が少し変わる。


     ◇


 街道へ出るまで、三時間ほどかかった。


 途中で巨大な足跡を見つけたが、リゼは一目見ただけで遠回りを選んだ。


「戦わないのか?」


「必要のない戦いを避けるのも護衛の仕事だ」


「元騎士って、もっと名誉のために突っ込むものかと思ってた」


「物語の騎士と一緒にするな。死ねば守れない」


 淡々とした言葉の奥に、別の意味がある。


 修司は追及せず、足跡から離れた。


 夕方には平らな場所を選び、野営の準備をした。


 薄い布が骨組みによって小さな部屋になる様子を、リゼが珍しそうに眺める。


「その天幕は魔法具か?」


「違う。組み立て方を工夫してるだけだ」


「お前の世界は、魔力を使わずに妙なことをする」


「そっちは魔法で何でも済ませすぎだ」


 食事は、現代の乾燥麺へ森で採った香草を加えた。


 リゼに教わり、毒がないことは確認してある。


「悪くない」


「褒め方が控えめだな」


「美味いと言えば、毎日出すだろう」


「よく分かったな」


 火の前で交わす会話は、いつの間にか自然なものになっていた。


 夜は交代で見張るつもりだったが、修司が目を覚ますと、リゼは一度も起こしていなかった。


「病み上がりが何してる」


「眠っている者を起こすほどの気配はなかった」


「そういう問題じゃない」


 叱ると、リゼは少し困った顔をした。


 心配されることに慣れていないらしい。


 その顔を見ていると、これ以上は言えなかった。


     ◇


 翌日の昼過ぎ。


 森を抜けた先に、灰色の城壁が見えた。


 壁の向こうには赤や青の屋根が重なり、そのさらに奥では細い塔が陽光を反射している。


「あれがラウゼンだ」


「もっと木の柵みたいな街を想像してた」


「辺境とはいえ、交易街だぞ」


 街道には荷馬車と徒歩の旅人が行き交っていた。


 大きな蜥蜴に荷車を引かせている商人もいる。


 修司が目で追うと、リゼに袖を引かれた。


「珍しそうに見るな。異国人でも限度がある」


「あれを見て驚くなって方が無理だろ」


 門では身分証を求められた。


 当然、修司は持っていない。


「海の向こうから来た旅人だ。荷を失い、この森で私が保護した」


 リゼは用意していた説明を淀みなく告げた。


 門衛は疑わしそうに修司を見たが、リゼが差し出した古い通行証を確認すると、銅貨二枚で仮入街証を発行した。


 門をくぐる。


 最初に鼻へ届いたのは、焼いた肉と香辛料の匂いだった。


 石畳の両側へ店が並び、人間だけでなく、耳の長い者、獣の耳を持つ者、修司の胸ほどしか背丈のない者まで歩いている。


「本当に異世界なんだな」


「今さら何を言っている」


 通りの店先では、硝子に似た球体が昼間から淡く光っていた。


「あれは?」


「蓄光石だ。夜になるともっと明るくなる」


「街灯まであるのか」


 剣と馬車がある一方で、光には魔法を使う。


 修司が想像していた昔のヨーロッパとは違う。文明の進み方そのものが、自分の世界とは別だった。


「まず冒険者組合へ行く」


「俺が冒険者になるのか?」


「身分証を得るには早い。それに、森を歩くなら最低限の資格がいる」


「試験とか?」


「登録時に鑑定を受ける」


「鑑定」


 いかにも異世界らしい言葉へ、修司は足を止めた。


「何が分かる?」


「種族、位階、適性職、魔力量、技能。偽名も見抜かれる」


「待て」


「もう遅い」


 リゼが示した先には、大きな剣と杖の看板があった。


 開いた扉の向こうから、酒と汗と、騒がしい声が流れてくる。


「名前はシュウで通せ。余計なことは話すな」


「偽名は見抜かれるんじゃないのか」


「お前が最初に名乗ったのはシュウだ。魂がその名を受け入れていれば問題ない」


「そんな曖昧な」


「行くぞ」


 修司は一度、深く息を吸った。


 森ではなかったこの世界が、扉の向こうで待っていた。

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