第13話 持ち帰れるもの、運べないもの
異世界で朝食を終えたあと、指輪が三度、弱く脈打った。
最初の時と同じ合図だった。
「帰る時間らしい」
修司はスマートフォンを確認した。
滞在時間は、十一時間四十七分。
前回の一時間十二分から、一気に延びている。
「戻ってくるのだな」
寝台の上から、リゼが言った。
「そのつもりだ」
「つもり、か」
「俺にも指輪の仕組みは分からない。でも試す」
リゼは何かを言いかけ、やめた。
代わりに、机の上から小さな木札を取る。葉と剣を組み合わせた紋が刻まれていた。
「持っていけ」
「これは?」
「私の騎士章だ。戻れなければ、妻の写真と一緒に置いてやれ」
「縁起でもないこと言うな」
「念のためだ」
修司は木札を受け取り、防水袋へ入れた。
「じゃあ、またあとで」
そう言ってから、自分で少し笑った。
異世界へ行く前と同じ言葉で、異世界から帰ろうとしている。
指輪へ触れ、帰りたいと念じる。
白い光が視界を覆った。
次の瞬間、修司はキッチンへ立っていた。
時計が示す時刻は、向こうとほぼ同じだけ進んでいる。
夢ではないと確かめるため、ポケットから木札を出した。
写真の横へ並べる。
「またあとで、か」
誰かへ帰る約束をしたのは、二年半ぶりだった。
胸の奥に生まれた温かさへ戸惑い、修司はノートを開いた。
感傷に浸る前に、記録する。
それが今の自分にできることだった。
◇
次に指輪が反応するまで、四時間五十二分。
待ち時間も短くなっていた。
修司は体重計とキッチンスケールを使い、持ち込むものの重さを一つずつ量った。
水。
缶詰。
毛布。
工具。
合計十五・八キロ。
白い光が消えると、すべて異世界の隠れ家へ運ばれていた。
「本当に、物資が湧いて出るのだな」
「湧いてるんじゃなくて、俺が運んでる」
リゼは毛布の手触りを確かめている。
最初の十一キロより重い荷物でも問題はなかった。
修司は持ち込んだものを下ろし、今度は異世界側の物を並べた。
小石。
湧き水を入れた密閉容器。
落ちていた木の枝。
黒い棘の欠片。
「全部持ち帰るのか」
「危険がないものから試す。棘は最後だ」
植物も、生きたままではなく落ちた枝だけにした。
最初は小石一つ。
現代へ戻り、石があることを確認する。
次は水と枝。
それも問題なく持ち帰れた。
往復するたびに待ち時間が発生するため、実験には数日かかった。
修司は現代で仕事と家事をこなし、指輪が光れば異世界へ行く。
滞在できる時間は、十二時間前後で安定し始めた。
転移先は、前に異世界を離れた位置から数歩以内。
現代側も、必ず自宅のキッチンだった。
場所を変えて帰ろうとしても結果は同じだった。
「向こうの座標が固定されているのか、それとも指輪が家を覚えているのか」
「ざひょうとは何だ」
「場所を数字で表す考え方」
「精霊道の錨に近いのかもしれないな」
「そっちにも転移がある?」
「伝承にはある。今使える者は、私は知らない」
互いの知識を並べても、指輪の正体には届かない。
分かったのは、現代へ持ち帰った水も枝も、そのまま存在できること。
二十一キロを超えた荷物では、指輪の光が弱くなり、一部だけを置くと転移できたこと。
今の上限は、およそ二十キロ。
そして、生き物には別の制限があることだった。
その日、修司が帰ろうとした時。
指輪は白く光ったものの、転移は起きなかった。
「何だ?」
もう一度念じても、光が途中で消える。
荷物は十キロもない。
体調も悪くなかった。
『いるよ』
緑の小精霊が、リュックを指した。
開けてみると、小さな灰色のトカゲが飛び出した。
食料の袋の陰へ潜り込んでいたらしい。
「お前か」
トカゲは修司の靴を越え、草むらへ消えた。
その直後、指輪は何事もなかったように明るく光った。
「生き物は運べないのか」
「試すつもりか?」
リゼの声が低くなる。
「いや。たまたま入り込んだ今ので十分だ」
命を使って限界を調べる気はない。
ノートへ、生体は拒絶、と書き加える。
横で見ていたリゼが、少しだけ表情を緩めた。
「何だよ」
「何でもない」
「言いたいことがある顔だぞ」
「お前が、知識のためなら何でもする人間ではないと分かっただけだ」
修司はペンを止めた。
「当たり前だろ」
「その当たり前を持たない者が、精霊を狩っている」
黒い棘は、まだ隠れ家の箱に封じてある。
修司は持ち帰る予定の一覧から、その名を消した。
便利な力だからこそ、越えてはいけない線は先に決める。
結衣なら、きっとそう言った。
そして今は、リゼが同じ目でこちらを見ていた。




