第12話 俺には聞こえるけど
目を覚ますと、誰かに髪を引っ張られていた。
「……痛い」
『おきた』
『おきたよ』
『まだねてる』
「起きたって」
修司は目を開けた。
窓から朝の光が差し込んでいる。
炉の前へ敷いたマットの上で眠ったはずなのに、顔の周りには色とりどりの光が浮かんでいた。
緑が二つ。
青が一つ。
橙色が一つ。
髪を引いていたのは、親指ほどの人影に見える小さな光だった。
「精霊、だよな」
『そう』
『ちがう』
『どっちでもいい』
声は耳から聞こえるわけではない。
音と感情が一緒に頭へ入ってくる。
言葉に直せばそう聞こえる、という曖昧な感覚だった。
「朝から揉めるなよ」
『あさ』
『ひかり』
精霊たちが一斉に窓へ飛んでいく。
その動きを目で追うと、寝台のリゼと目が合った。
「誰と話している」
「精霊」
「どこにいる」
「窓のところ。四人……でいいのか?」
リゼが勢いよく上体を起こし、すぐ脇腹を押さえた。
「だから急に動くなって」
「色は」
「緑が二つ、青と橙が一つずつ」
「姿は見えるのか」
「小さい人みたいに見える。光ってて、細かいところは分からないけど」
リゼは窓へ目を凝らした。
彼女の目には淡い光の揺らぎしか見えていないらしい。
「昨日は肩の上にいるものを言い当てた。偶然ではなかったのか」
「だから、俺には見えるし聞こえるって」
「あり得ない」
「実際にいるんだから仕方ないだろ」
修司が手を差し出すと、青い精霊が掌へ降りた。
冷たい。
水へ触れたというより、夏の日に冷えた風が通り抜けたような感覚だった。
「この手に乗ってる」
リゼは慎重に指先を近づけた。
青い光が驚いて修司の手首の裏へ隠れる。
『こわい』
「怖くない。たぶん」
「たぶんとは何だ」
「リゼを怖がってる」
「私はエルフだぞ」
「エルフなら精霊に好かれるものなのか?」
「少なくとも、お前よりは付き合いが長い」
傷が痛むのか、機嫌が悪いのか。
リゼは眉間へしわを寄せたまま、胸元から細い銀鎖を取り出した。先には、葉を象った緑色の石がついている。
石を握り、聞き取れない言葉を唱える。
淡い光が瞳へ宿ると、リゼは息を呑んだ。
「……本当にいる」
「疑いすぎだろ」
「小精霊は、常に姿を現しているわけではない。精霊術を学んだ者でも、契約か術式なしに明瞭な姿を見ることは難しい」
「俺は何もしてない」
「それが問題なのだ」
リゼが数を確かめるように視線を動かす。
四人だと思っていた精霊は、いつの間にか七人に増えていた。
修司のリュックへ潜るもの。
ランタンの周りを回るもの。
煮沸して冷ましておいた水の上で跳ねるもの。
『これ、なに』
『ひかる』
『からっぽ』
「壊すなよ」
リュックから顔だけ出した緑の精霊へ言うと、慌てて手を引っ込めた。
「命令が通じているのか?」
「たぶん。子どもに言い聞かせてる感じだけど」
「精霊を子ども扱いするな」
『こども』
『ちがう』
『でも、ちいさい』
今度は精霊同士で騒ぎ始めた。
修司には何となく意味が分かる。
リゼには、高い音が重なっているようにしか聞こえないらしい。
「何と言っている」
「子どもじゃない。でも小さい、だって」
「本当に言葉まで……」
リゼはしばらく黙ったあと、修司の左手を見た。
「指輪の力かもしれない」
「結衣の?」
「ユフィリア様は、精霊の中でも特殊だった。属性ではなく、縁や結びつきを司る方だ。あの方の近くでは、普段交わらない精霊同士まで一緒に遊んでいた」
確かに、窓辺には水らしい青と火らしい橙が並んでいる。
相性が悪そうなのに、互いを嫌がる様子はなかった。
「俺から結衣の気配がするから、集まってる?」
「それだけなら、指輪へ集まるはずだ」
リゼは修司の周囲へ視線を巡らせた。
「この者たちは、お前を見ている」
橙色の精霊が修司の鼻先へ近づいた。
『なつかしい』
「結衣に似てる?」
『にてる』
答えたあと、光が左右へ揺れる。
『ちがう』
「どっちなんだよ」
『にてる。ちがう。あったかい』
意味は曖昧だった。
だが、少なくとも嫌われてはいない。
修司が立ち上がると、昨夜の疲れが背中に残っていた。
「朝飯にしよう。リゼも食べられるか?」
「ああ」
水を入れた鍋へ手を伸ばす。
すると青い精霊が先に飛び込み、水面が小さく持ち上がった。橙色の精霊が炉へ降りると、消えかけていた火が音もなく強くなる。
「手伝ってくれるのか?」
『やる』
『たのしい』
「ありがとう。でも、火は強くしすぎるなよ」
炎が、少しだけ小さくなった。
リゼが呆然と見ている。
「今のは精霊術ではない」
「俺も何もしてない」
「契約も、対価も、命令さえもない」
「頼んでもいないな」
修司は鍋を炉へ置いた。
精霊たちは、その周りを楽しそうに飛んでいる。
「勝手に手伝ってくれてるだけだ」
リゼは答えなかった。
それこそが、あり得ないのだと顔に書いてある。
高位精霊の気配を宿しながら、高位精霊ではない男。
何の契約もなく、小精霊たちから手を差し伸べられる異世界人。
彼が何者なのか。
修司本人だけが、少しも疑っていなかった。




