第11話 森の隠れ家
「本当に背負うつもりか」
「そのために休んだんだろ」
修司はリゼへ背を向け、腰を落とした。
隠れ家までは、彼女の言う半刻。こちらの時間でどれくらいか聞くと、歩いて三十分ほどらしい。
怪我人を背負って森を歩けば、倍はかかる。
「途中で俺が倒れたら、二人で休めばいい」
「私は少しなら歩ける」
「歩けるのと、歩いていいのは別だ」
言い返されると思ったが、リゼは黙って修司の肩へ手を置いた。
背中に身体が重なる。
傷へ響かないよう、修司はゆっくり立ち上がった。
「痛くないか?」
「平気だ」
「それは信用しない」
「なぜだ」
「さっきから何度も聞いた」
平気だと言った直後に顔をしかめる人間を、信用できるわけがない。
リゼは不満そうに息を吐き、右腕を修司の首へ回した。
「北だ。まず、あの白い幹を目指せ」
「了解」
ライトを弱くし、足元を照らす。
森は暗かった。
二つの月があっても、枝葉に遮られて地面まではほとんど届かない。木の根を跨ぎ、湿った斜面を避けながら進む。
十歩ごとに、背中のリゼが小さく揺れた。
女一人くらいなら簡単に運べると思っていたのは、若返った身体を過信していたらしい。
「重いか」
「答えに困る質問をするな」
「正直に言え」
「鎧の分が重い」
「私ではなく?」
「そういうことにしてくれ」
背中で、少し笑う気配がした。
会話が途切れると、互いの呼吸だけが聞こえる。
修司の首筋へ、リゼの息が触れた。
意識した途端、妙に近い。
だが、今は怪我人だ。
修司は足元へ意識を戻した。
「お前は、いくつだ」
「四十四」
即答すると、首に回された腕へ力が入った。
「待て」
「何だ」
「四十四と言ったのか?」
「そっちでは変な数え方をする?」
「いや。どう見ても二十代だ」
「俺にも理由は分からない。こっちへ来ると若くなる」
まだ鏡で詳しく見たわけではない。
けれど、腕や脚だけでなく、息の戻りも明らかに早い。これだけ歩いても膝や腰が痛まないのは、普段の運動だけでは説明できなかった。
「妻とは、いくつの時に出会った」
「二十七。結婚したのは二十九」
「では、その姿は」
「結衣と出会った頃に近いかもしれない」
言葉にして、気づく。
この世界が、どうして自分へその年齢を与えたのか。
偶然かもしれない。
それでも、指輪が選んだ姿だと思うと胸が騒いだ。
「止まれ」
リゼの声に、修司は足を止めた。
「右に三本並んだ木がある。その間を抜けろ」
言われた通り進むと、蔦と茂みに覆われた岩壁が見えた。
行き止まりにしか見えない。
リゼが肩越しに手を伸ばし、指を動かす。
淡い緑の光が蔦へ触れた。
葉が生き物のように左右へ分かれていく。
「隠れ家って、洞窟か?」
「中を見てから言え」
岩の隙間を抜けた先には、小さな空間があった。
三方を岩壁に囲まれ、中央に古い木造の小屋が建っている。脇には細い水が流れ、屋根を覆う枝が空からの視線まで遮っていた。
「随分、本格的だな」
「騎士団が使っていた退避所だ。今は私しか知らない」
扉を開ける。
埃の臭いがした。
室内には簡素な寝台と机、煉瓦を組んだ炉がある。長く使われていないらしく、隅には蜘蛛の巣が張り、床へ枯れ葉が入り込んでいた。
「とりあえず、寝かせる」
寝台の上を持ってきたシートで覆い、リゼを横たえる。
傷を確認すると、包帯に滲んだ血はわずかだった。
「次は掃除だな」
「休まないのか?」
「埃っぽい場所で怪我人を寝かせたくない」
修司はリュックから小型のLEDランタンを出した。
白い光が室内を満たす。
リゼが眩しそうに目を細めた。
「魔力を感じない」
「電池で光る」
「その、でんちというものは魔石ではないのか」
「似た役割ではあるけど、別物だ」
説明は後にして、窓を開ける。
小さな箒は小屋に残っていた。修司は床を掃き、机を拭き、寝台の周囲から埃を追い出した。
流れの水は見た目には澄んでいる。
それでも鍋へ汲み、携帯ろ過器を通してから火にかけた。
「水を煮るのか」
「飲み水にするなら念のため」
「森の湧き水だぞ」
「見えないものがいないとは限らない」
「お前は、見えない敵をずいぶん恐れるのだな」
「見えないから怖いんだよ」
湯が沸くまでに、傷へ使った道具を分けた。汚れた布は煮沸し、使い捨てるものは袋へ密閉する。
リゼは黙って、その一つ一つを見ていた。
「どうした」
「お前が別の世界から来たという話を、ようやく信じる気になった」
「今まで信じてなかったのか」
「半分ほどは、頭を打った影響だと思っていた」
「怪我してるのはそっちだろ」
「妻が高位精霊だと言い出す男だ。疑う方が自然だ」
否定できず、修司は苦笑した。
炉の火が落ち着く。
ランタンの白い光と、薪の橙色が小屋の中で混ざっていた。
まだ埃は残っている。
屋根にも壁にも、直す場所がいくつもある。
それでも雨風は防げる。
リゼが眠り、修司が戻ってくる場所にはなる。
「ここを使ってもいいか?」
「何のために」
「結衣を探す拠点にしたい」
リゼは目を閉じた。
答えが返るまで、少し間があった。
「好きにしろ」
「ありがとう」
「礼を言うのは、雨漏りを直してからにしろ」
視線の先で、天井から水滴が一つ落ちた。
修司は笑い、置いたばかりの鍋をずらした。
こうして異世界で最初の家は、雨漏りの音とともに決まった。




