10 ウィストリアの町
前髪を伝い、汗が首筋に落ちる。
気付けばもう街道を逸れて、ウィストリアに入る道を走っている。草に埋もれた土道で待っているペルシュとコーレリアが見える。カッツォは歩いて息を整えた。横をタランが追い越していく。
突然、馬車の左後ろの車輪が跳ねた。
駆け寄ると、馬車がゆっくり止まる。ドレが驚いて手綱を引いたようだ。
「大丈夫か?」
荷台ではシュロがイヴェットの下敷きになり、御者台ではドレが、寄りかかったミザリーを押し戻していた。誰も怪我はなさそうだ。
しゃがみ込んで、車輪を見たカッツォは眉をひそめた。土の道は凹凸だらけで、石の角があちこちに突き出している。車輪は、その一つに乗り上げたらしかった。
「普通に走ったら車輪が壊れそうだ。それとミザリー、イヴェットと後ろに入っていてくれるかい?」
御者台を降りたミザリーと一緒に、カッツォも後ろへ回り込む。
「ウィストリアは空き家が多くて、野盗が寝ぐらにしてるって噂があるんだ」
「そうなんだ。南オルミスの町を歩きたかったな」
「やとう?」
カッツォは後ろの幌を半分下ろし、続けて前も同じようにした。
その作業をドレがじっと見ている。
「全部閉めると、良い物を運んでるみたいだろ? 子どもばかりだと思われても危ないし。人数が多いように見えれば、野盗も襲いにくいんだってさ」
カッツォも御者台に乗り込み、タランをゆっくり進ませる。
道ならぬ道の両側には、石壁の跡が残っている。
(見覚えがある……。あの時の町は、ウィストリアだったんだなあ。でも、道も壁もちゃんとあった気がするのに)
そう思っていると、コーレリアがペルシュから降りてきた。
「この町は、何か起きたのでしょうか?」
「前に、大きな町を作ろうとしてたって噂は、聞いたことがありますけど」
「……そうですか」
コーレリアは道沿いを流れる川の向こうにある、広大な敷地を見つめる。その敷地へ渡るために造られた立派な橋は、基礎部分だけが川に取り残されたように立っていた。
(あの橋を渡ったんじゃなかったかなあ。屋根の下で寝たと思うけど……)
敷地にあったはずの建物は骨組みだけになり、柱は途中で途切れ、壁の石は抜き取られている。
「フラネールに使われたのではありませんか? 町が大きくなるのが早すぎると言われていましたが、この町から石材を移動したのだとしたら、納得がいきます」
「ああ、そうですね。石がなくなってるのか……途中まで出来てたのに、勿体無いなあ」
「……」
「向こうの方には煙が見えるな」
ドレの視線の先、町の中心部の家々からは、細い煙がいくつか立ち上っている。
煙の向こう、周囲を崖に囲まれた丘の上には、木立に埋もれるようにして大きな建物が建っている。
「……あれは何だ?」
「立派な建物だなあ。でも良かった。あっちは壊されてないし、人もいるみたいだ」
しばらく進んで行くと、ようやくまともな石畳の道が現れた。だが、地面も、壁や塀の石も、苔が点々としていて、ひび割れが入っている。
(残ってるのは、古い石だからか……)
町中に入っても静かで、人の気配はほとんどない。何も並んでいない店先に、男がぼんやりと腰掛けていた。目の前を通ると、こちらに声をかけてきた。
「商人かい?」
表情は変わらないが、期待のこもった声だ。
「いや、お医者様だよ。旅の途中で研究所を見たいってんで、立ち寄ったんだ」
「医者か」
途端、興味を失った声になる。
「商人を待ってるのかい?」
「まあ。退屈でな……。医者は間に合ってるよ」
「この町にも医者がいるのですか?」
コーレリアが尋ねると、男は乾いた声で笑った。
「おかしいか? 医者じゃあねえが、悪い時はあそこの学者先生が診てくれるのさ……」
白髪混じりの髭に覆われた顎を、丘の方へ向ける。
「なあ、この町には……」
カッツォが言いかけた、その時。
「へえ、医者だって?」
反対側から別の声がした。
無精髭を生やした男がペルシュの前に立ち、コーレリアとペルシュを眺め、にやついている。
店先の男は億劫そうに立ち上がると、背を向けて建物の中に入っていった。
「え? ちょっと……」
扉が閉まる。カッツォは戸惑いつつ、現れた男の方に目を向けた。
(鎧……兵士……?)
肩当てと胸当て。腰には長剣を携えている。
だが、どうもおかしい。軍隊も貴族の私兵も、鎧には派手な装飾や紋章を入れているはずだ。でないと、誰のおかげで助かっているかを示せない。
「誰の許可で町に入った?」
「……通行証が必要だとは知らなかったなあ。この町には門も無かったけど」
「通行料がいるんだよ。一人当たり、銀貨一枚だ。大人しく払えば許してやるぜ」
男は口の端を歪める。
(医者なら銀貨を持ってて当然……払って済むなら、そうすりゃいいのか?)
払っても余りある通貨を持っているため、判断に迷う。だが、この男の雰囲気――笑い方や目の色に、覚えがあった。
「……なぜ出さない?」
ドレが御者台に深く寄りかかり、呟く。
カッツォはその小声には答えず、体勢を変え、ドレが背中の後ろに隠れるようにした。
「参ったなあ。この後、お医者様を城下町に送って行くんだ。そうすりゃ持ち合わせもあったろうに……」
「払わねえってんなら、荒っぽい手段になるぜ」
家の陰から、同じような格好をした男がもう二人現れる。
「……貴族が怖くないのかい? そいつは困ったな」
カッツォが頭を掻いた次の瞬間。
コーレリアが手綱を強く引く。ペルシュが嘶き、前足を跳ね上げた。
「うわっ……!」
後ずさる男の顔を掠め、蹄が石畳を穿つ。
タランが驚いて身を捩る。カッツォは手綱を引いた。
コーレリアは飛び降りて、すぐさま後ろへ走っていった。
――ガン、どすん。
短く鈍い音が二つ、馬車の後ろから響き、しんとする。
「ミザリー、イヴェット、大丈夫か?」
カッツォは幌の中に向かって叫んだ。
「うん! すごいよ、姉様がね……」
「この、クソ馬!」
イヴェットの言葉を遮って前の男が立ち上がり、剣を抜く。カッツォが御者台を飛び降りようと手をかけた時、コーレリアが男の懐へ滑り込み、袖と襟を掴み取る。男は地面に叩きつけられた。
「まだ支払いが足りないですか?」
「……っ」
咳き込むのが精一杯のようだ。背後から回された腕に首を締められ、男の顔が赤紫色になっている。
男が白目を剥いて気を失うと、コーレリアは立ち上がり、スカートの汚れを払った。
「とりあえず縛っておいて、本物の兵士に引き渡しましょう」
コーレリアは荷台に潜り込む。荷物を括り付けているロープを解く音が聞こえる。カッツォとドレが後ろを見に行くと、男は二人とも倒れていた。
一人の男は、後ろ手にされた両腕から首にかけてコーレリアが背負っていた鞄の肩紐が絡みつき、体がのけぞっていた。
もう一人の男は倒れて動かない。
「……あの一瞬で三人も……?」
「大した相手ではありませんよ。崩れたり、復活したりはしませんから」
そういえば、コーレリアが相手をしていた土塊人形は、もっと数が多かった。
「この程度なら、訓練を積めば出来るようになりますよ」
「……そうですか?」
苦笑いすると、扉が開く音がした。
「……なんとまあ……」
店先にいた男が再び外に出てきて、目を丸くする。
「お仲間はこの通りです。まだやりますか?」
コーレリアが視線を向けると、男は焦って手を広げた。
「違う違う! 俺は仲間なんかじゃない! 見捨てたのは悪かったが……」
カッツォもてっきり男が注意を引く役だと思っていたので、驚いた。
「こいつらは最近になって、ここに住みついちまった兵士崩れだ。俺たちには手を出さねぇが、商人を襲っちまうんで困ってるとこだった」
「兵士崩れ?」
「城下へ行って兵士んなって、身を持ち崩した連中のことだ。……通貨と暴力の使い方だけ覚えやがって」
男は伸びている三人に向かって吐き捨てる。
「本物の兵士はいないのですか? 彼らをどうしたら良いでしょうか」
「学者先生に聞くしかねぇな。ちょうど昼が近いから、降りて来なさる頃だ」
研究所に行くのにも、その学者に門を開けてもらうしかないと言うので、昼まで待つことにした。
男によると、町民はこっちの研究所通りには用がなく、西側の森や畑で仕事をしているらしい。路地を抜けた先の店なら、食べ物を売っているという。
カッツォはドレとミザリーと一緒に、男の案内でそちらへ向かった。向かっていく先には男が言う通り人がいて、三人を見ると誰も彼もが驚いた。
奥へ抜けると、家々の並びに一つ店があった。こちらの店先には、若い女性が座っている。
辺りを漂う香りが気になったのか、ドレが鼻で空中を探った。
「パンとチーズの匂いがするね」
「レフィル、お客さんだ。売れる分はあるかい」
男が声をかけると、若い女性が顔を上げ、勢いよく立ち上がった。
「大丈夫! ちょうど今日は、多めに焼いたの」
売り物は、野菜とチーズを乗せて焼いた平らなパンだ。カッツォはドレにクズ鉱石を出すよう教えた。
「こんなクズだって、見るのは久しぶりよ。最近はもう、物々交換。外の人なんて来ないから」
平パン屋のレフィルは、ドレが渡した五つの石を手のひらの上で転がす。
「せっかく野盗がいなくなったと思ったら、もっとタチの悪いのが住み着くようになっちゃって。商人も誰も来なくなっちゃったの。暮らしてはいけるけど、もううんざり」
ため息と共に、六枚の平パンを受け取る。
「それじゃあ、クズ鉱石を払われても困るんじゃないか? 今は食料しか積んでないけど……」
「大丈夫。一応、店だし。あいつらをやっつけてくれたお礼よ」
三人は馬車のある研究所の通りに戻り、コーレリアとイヴェットに平パンを渡した。
平パンは口より大きいが、ミザリーもコーレリアも何も気にせずかぶりつく。それを見て、ドレも真似をする。チーズは乾いてモソモソとしているが、しょっぱくてカッツォの好みの味だった。
「トースターがあれば良いのに!」とイヴェットが言う。
「トースター?」
ミザリーが聞くと、どうやらパンをもう一度焼いて温かくできるものらしい。
「お肉とか、魚の塩漬けをのっけてー」
「それ、食べてみたいな! アルストルに戻ったら作ってもらおうよ」
そうこうしているうちに、兵士崩れの男が目を覚ました。罵る言葉がうるさかったので、コーレリアが男の口に布を通して強く縛った。
金属の軋む音がした。
通りの先にある門の扉が、ほんの少し開いた。
「来なすった。先に言っておくが、気難しいお人だよ」
「学者は面倒だから、僕たちは例の魔法を使っておくよ」
シュロが言った。イヴェットに平パンを貰えなかったので、不貞腐れたように地面に寝そべっている。
「例の魔法?」
「認識されなくなる魔法だよ。君たちが何かする間、放っといてくれればいい」
門から出てきたのは、線の細い男だった。
ひょろ長で猫背。短い黒髪はカッツォよりもボサボサだ。膝下まである、薄汚れた長い上着をベストの外側に羽織り、片眼鏡を細い鎖で胸元に垂らしている。
「……」
小さい歩幅で歩いてきて、店先で立ち止まる。薄く開けた目が、ゆっくりと辺りをなぞった。馬車、馬――縛られた男たち。最後に、コーレリアとカッツォを見る。
「予測外……だが、珍しくもない……」
喉で話しているような低い声でぶつぶつと呟いている学者の前に、店主の男がパンとスープを置いた。学者はその場に腰を下ろし、こちらを気にする様子もなく、黙々と食事を始める。
「先生、あいつらをどうしたらいいかね?」
「……咎捨谷」
「ああ! そりゃあいい」
店主が笑い、兵士崩れの男たちが呻き声を上げてもがく。
「咎捨谷って?」
ミザリーに尋ねられ、カッツォが答える。
「咎捨谷っていうのは、南の山道の途中にある大崖のことだよ。捨て場に困る物を落とすところだ。……罪人なんかもね」
「落海の刑、岩牢の刑と同じようなものですね」
「……悍ましい場所だ」
ドレが呟く。
ふいに、学者が顔を上げた。
「……黒い髪……」
ドレを見つめたまま、学者は立ち上がる。その拍子に皿が滑り落ち、スープが地面に広がった。
そのまま歩み寄り、ドレの顔を覗き込む。
「緑の瞳……」
ドレは引きつった顔で後ずさり、助けを求めるようにカッツォを見る。カッツォは様子のおかしい学者とドレの間に立った。
「あの……」
「カルラ様……?」
「……え?」
「まさか……いや……年頃も合う……」
学者はカッツォを押しのけるようにして、ドレの前に身を屈めた。
「もしや……第三王子ハンドレッド殿下でございましょうか?」
「……!」
「ドレ君のこと、知ってるの?」
ミザリーが首を傾げると、学者の黄みがかった薄褐色の瞳から、涙がこぼれた。
「知っているも何も。……その面影が、何よりの証明です」




