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セレニアの物語  作者: さなか
第4章 第1幕 否定された存在

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10 ウィストリアの町

 前髪を伝い、汗が首筋に落ちる。


 気付けばもう街道を逸れて、ウィストリアに入る道を走っている。草に埋もれた土道で待っているペルシュとコーレリアが見える。カッツォは歩いて息を整えた。横をタランが追い越していく。

 

 突然、馬車の左後ろの車輪が跳ねた。

 

 駆け寄ると、馬車がゆっくり止まる。ドレが驚いて手綱を引いたようだ。


「大丈夫か?」


 荷台ではシュロがイヴェットの下敷きになり、御者台ではドレが、寄りかかったミザリーを押し戻していた。誰も怪我はなさそうだ。

 しゃがみ込んで、車輪を見たカッツォは眉をひそめた。土の道は凹凸だらけで、石の角があちこちに突き出している。車輪は、その一つに乗り上げたらしかった。

 

「普通に走ったら車輪が壊れそうだ。それとミザリー、イヴェットと後ろに入っていてくれるかい?」


 御者台を降りたミザリーと一緒に、カッツォも後ろへ回り込む。

 

「ウィストリアは空き家が多くて、野盗が寝ぐらにしてるって噂があるんだ」


「そうなんだ。南オルミスの町を歩きたかったな」


「やとう?」


 カッツォは後ろの幌を半分下ろし、続けて前も同じようにした。

 その作業をドレがじっと見ている。


「全部閉めると、良い物を運んでるみたいだろ? 子どもばかりだと思われても危ないし。人数が多いように見えれば、野盗も襲いにくいんだってさ」


 カッツォも御者台に乗り込み、タランをゆっくり進ませる。

 道ならぬ道の両側には、石壁の跡が残っている。


(見覚えがある……。あの時の町は、ウィストリアだったんだなあ。でも、道も壁もちゃんとあった気がするのに)

 

 そう思っていると、コーレリアがペルシュから降りてきた。


「この町は、何か起きたのでしょうか?」


「前に、大きな町を作ろうとしてたって噂は、聞いたことがありますけど」


「……そうですか」


 コーレリアは道沿いを流れる川の向こうにある、広大な敷地を見つめる。その敷地へ渡るために造られた立派な橋は、基礎部分だけが川に取り残されたように立っていた。


(あの橋を渡ったんじゃなかったかなあ。屋根の下で寝たと思うけど……)

 

 敷地にあったはずの建物は骨組みだけになり、柱は途中で途切れ、壁の石は抜き取られている。


「フラネールに使われたのではありませんか? 町が大きくなるのが早すぎると言われていましたが、この町から石材を移動したのだとしたら、納得がいきます」


「ああ、そうですね。石がなくなってるのか……途中まで出来てたのに、勿体無いなあ」


「……」


「向こうの方には煙が見えるな」


 ドレの視線の先、町の中心部の家々からは、細い煙がいくつか立ち上っている。

 煙の向こう、周囲を崖に囲まれた丘の上には、木立に埋もれるようにして大きな建物が建っている。


「……あれは何だ?」


「立派な建物だなあ。でも良かった。あっちは壊されてないし、人もいるみたいだ」


 しばらく進んで行くと、ようやくまともな石畳の道が現れた。だが、地面も、壁や塀の石も、苔が点々としていて、ひび割れが入っている。


(残ってるのは、古い石だからか……)


 町中に入っても静かで、人の気配はほとんどない。何も並んでいない店先に、男がぼんやりと腰掛けていた。目の前を通ると、こちらに声をかけてきた。


「商人かい?」


 表情は変わらないが、期待のこもった声だ。


「いや、お医者様だよ。旅の途中で研究所を見たいってんで、立ち寄ったんだ」

 

「医者か」


 途端、興味を失った声になる。


「商人を待ってるのかい?」


「まあ。退屈でな……。医者は間に合ってるよ」


「この町にも医者がいるのですか?」


 コーレリアが尋ねると、男は乾いた声で笑った。


「おかしいか? 医者じゃあねえが、悪い時はあそこの学者先生が診てくれるのさ……」


 白髪混じりの髭に覆われた顎を、丘の方へ向ける。

  

「なあ、この町には……」


 カッツォが言いかけた、その時。

 

「へえ、医者だって?」


 反対側から別の声がした。

 無精髭を生やした男がペルシュの前に立ち、コーレリアとペルシュを眺め、にやついている。

 店先の男は億劫そうに立ち上がると、背を向けて建物の中に入っていった。


「え? ちょっと……」


 扉が閉まる。カッツォは戸惑いつつ、現れた男の方に目を向けた。


(鎧……兵士……?)


 肩当てと胸当て。腰には長剣を携えている。

 だが、どうもおかしい。軍隊も貴族の私兵も、鎧には派手な装飾や紋章を入れているはずだ。でないと、誰のおかげで助かっているかを示せない。


「誰の許可で町に入った?」

 

「……通行証が必要だとは知らなかったなあ。この町には門も無かったけど」


「通行料がいるんだよ。一人当たり、銀貨一枚だ。大人しく払えば許してやるぜ」


 男は口の端を歪める。

 

(医者なら銀貨を持ってて当然……払って済むなら、そうすりゃいいのか?)


 払っても余りある通貨を持っているため、判断に迷う。だが、この男の雰囲気――笑い方や目の色に、覚えがあった。


「……なぜ出さない?」

 

 ドレが御者台に深く寄りかかり、呟く。

 カッツォはその小声には答えず、体勢を変え、ドレが背中の後ろに隠れるようにした。


「参ったなあ。この後、お医者様を城下町に送って行くんだ。そうすりゃ持ち合わせもあったろうに……」


「払わねえってんなら、荒っぽい手段になるぜ」


 家の陰から、同じような格好をした男がもう二人現れる。


「……貴族が怖くないのかい? そいつは困ったな」


 カッツォが頭を掻いた次の瞬間。

 コーレリアが手綱を強く引く。ペルシュが(いなな)き、前足を跳ね上げた。


「うわっ……!」


 後ずさる男の顔を掠め、(ひづめ)が石畳を穿つ。

 タランが驚いて身を捩る。カッツォは手綱を引いた。

 

 コーレリアは飛び降りて、すぐさま後ろへ走っていった。


 ――ガン、どすん。


 短く鈍い音が二つ、馬車の後ろから響き、しんとする。


「ミザリー、イヴェット、大丈夫か?」


 カッツォは幌の中に向かって叫んだ。


「うん! すごいよ、姉様がね……」


「この、クソ馬!」


 イヴェットの言葉を遮って前の男が立ち上がり、剣を抜く。カッツォが御者台を飛び降りようと手をかけた時、コーレリアが男の懐へ滑り込み、袖と襟を掴み取る。男は地面に叩きつけられた。


「まだ支払いが足りないですか?」


「……っ」


 咳き込むのが精一杯のようだ。背後から回された腕に首を締められ、男の顔が赤紫色になっている。

 男が白目を剥いて気を失うと、コーレリアは立ち上がり、スカートの汚れを払った。


「とりあえず縛っておいて、本物の兵士に引き渡しましょう」


 コーレリアは荷台に潜り込む。荷物を括り付けているロープを解く音が聞こえる。カッツォとドレが後ろを見に行くと、男は二人とも倒れていた。


 一人の男は、後ろ手にされた両腕から首にかけてコーレリアが背負っていた鞄の肩紐が絡みつき、体がのけぞっていた。

 もう一人の男は倒れて動かない。


「……あの一瞬で三人も……?」


「大した相手ではありませんよ。崩れたり、復活したりはしませんから」


 そういえば、コーレリアが相手をしていた土塊人形は、もっと数が多かった。


「この程度なら、訓練を積めば出来るようになりますよ」


「……そうですか?」


 苦笑いすると、扉が開く音がした。


「……なんとまあ……」


 店先にいた男が再び外に出てきて、目を丸くする。


「お仲間はこの通りです。まだやりますか?」


 コーレリアが視線を向けると、男は焦って手を広げた。


「違う違う! 俺は仲間なんかじゃない! 見捨てたのは悪かったが……」


 カッツォもてっきり男が注意を引く役だと思っていたので、驚いた。


「こいつらは最近になって、ここに住みついちまった兵士崩れだ。俺たちには手を出さねぇが、商人を襲っちまうんで困ってるとこだった」


「兵士崩れ?」


「城下へ行って兵士んなって、身を持ち崩した連中のことだ。……通貨と暴力の使い方だけ覚えやがって」


 男は伸びている三人に向かって吐き捨てる。


「本物の兵士はいないのですか? 彼らをどうしたら良いでしょうか」


「学者先生に聞くしかねぇな。ちょうど昼が近いから、降りて来なさる頃だ」



 

 研究所に行くのにも、その学者に門を開けてもらうしかないと言うので、昼まで待つことにした。

 男によると、町民はこっちの研究所通りには用がなく、西側の森や畑で仕事をしているらしい。路地を抜けた先の店なら、食べ物を売っているという。

 カッツォはドレとミザリーと一緒に、男の案内でそちらへ向かった。向かっていく先には男が言う通り人がいて、三人を見ると誰も彼もが驚いた。


 奥へ抜けると、家々の並びに一つ店があった。こちらの店先には、若い女性が座っている。

 辺りを漂う香りが気になったのか、ドレが鼻で空中を探った。


「パンとチーズの匂いがするね」

 

「レフィル、お客さんだ。売れる分はあるかい」

 

 男が声をかけると、若い女性が顔を上げ、勢いよく立ち上がった。


「大丈夫! ちょうど今日は、多めに焼いたの」 


 売り物は、野菜とチーズを乗せて焼いた平らなパンだ。カッツォはドレにクズ鉱石を出すよう教えた。


「こんなクズだって、見るのは久しぶりよ。最近はもう、物々交換。外の人なんて来ないから」


 平パン屋のレフィルは、ドレが渡した五つの石を手のひらの上で転がす。


「せっかく野盗がいなくなったと思ったら、もっとタチの悪いのが住み着くようになっちゃって。商人も誰も来なくなっちゃったの。暮らしてはいけるけど、もううんざり」


 ため息と共に、六枚の平パンを受け取る。


「それじゃあ、クズ鉱石を払われても困るんじゃないか? 今は食料しか積んでないけど……」


「大丈夫。一応、店だし。あいつらをやっつけてくれたお礼よ」

 

 三人は馬車のある研究所の通りに戻り、コーレリアとイヴェットに平パンを渡した。

 平パンは口より大きいが、ミザリーもコーレリアも何も気にせずかぶりつく。それを見て、ドレも真似をする。チーズは乾いてモソモソとしているが、しょっぱくてカッツォの好みの味だった。

「トースターがあれば良いのに!」とイヴェットが言う。


「トースター?」


 ミザリーが聞くと、どうやらパンをもう一度焼いて温かくできるものらしい。


「お肉とか、魚の塩漬けをのっけてー」


「それ、食べてみたいな! アルストルに戻ったら作ってもらおうよ」

 

 そうこうしているうちに、兵士崩れの男が目を覚ました。罵る言葉がうるさかったので、コーレリアが男の口に布を通して強く縛った。


 

 金属の軋む音がした。

 通りの先にある門の扉が、ほんの少し開いた。


「来なすった。先に言っておくが、気難しいお人だよ」


「学者は面倒だから、僕たちは例の魔法を使っておくよ」


 シュロが言った。イヴェットに平パンを貰えなかったので、不貞腐れたように地面に寝そべっている。


「例の魔法?」


「認識されなくなる魔法だよ。君たちが何かする間、放っといてくれればいい」 


 門から出てきたのは、線の細い男だった。

 ひょろ長で猫背。短い黒髪はカッツォよりもボサボサだ。膝下まである、薄汚れた長い上着をベストの外側に羽織り、片眼鏡を細い鎖で胸元に垂らしている。


「……」


 小さい歩幅で歩いてきて、店先で立ち止まる。薄く開けた目が、ゆっくりと辺りをなぞった。馬車、馬――縛られた男たち。最後に、コーレリアとカッツォを見る。


「予測外……だが、珍しくもない……」


 喉で話しているような低い声でぶつぶつと呟いている学者の前に、店主の男がパンとスープを置いた。学者はその場に腰を下ろし、こちらを気にする様子もなく、黙々と食事を始める。


「先生、あいつらをどうしたらいいかね?」


「……咎捨谷(とがすてだに)


「ああ! そりゃあいい」


 店主が笑い、兵士崩れの男たちが呻き声を上げてもがく。


「咎捨谷って?」


 ミザリーに尋ねられ、カッツォが答える。

 

「咎捨谷っていうのは、南の山道の途中にある大崖のことだよ。捨て場に困る物を落とすところだ。……罪人なんかもね」


「落海の刑、岩牢の刑と同じようなものですね」


「……(おぞ)ましい場所だ」


 ドレが呟く。

 ふいに、学者が顔を上げた。 


「……黒い髪……」


 ドレを見つめたまま、学者は立ち上がる。その拍子に皿が滑り落ち、スープが地面に広がった。


 そのまま歩み寄り、ドレの顔を覗き込む。


「緑の瞳……」


 ドレは引きつった顔で後ずさり、助けを求めるようにカッツォを見る。カッツォは様子のおかしい学者とドレの間に立った。


「あの……」


「カルラ様……?」


「……え?」


「まさか……いや……年頃も合う……」


 学者はカッツォを押しのけるようにして、ドレの前に身を屈めた。


「もしや……第三王子ハンドレッド殿下でございましょうか?」

 

「……!」

 

「ドレ君のこと、知ってるの?」


 ミザリーが首を傾げると、学者の黄みがかった薄褐色の瞳から、涙がこぼれた。


「知っているも何も。……その面影が、何よりの証明です」


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