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セレニアの物語  作者: さなか
第4章 第1幕 否定された存在

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9 歴史の分岐点

 コーレリアに肩を叩かれ、カッツォは目が覚めた。

 起き上がり、見張りを代わる。


 ドレの横に座ってぼんやりしていると、背後からの灯りが首筋をかすめた。振り返ると、揺れる幌の隙間からランタンの灯りが漏れていた。コーレリアの足が布の内へ消える。


 そっと立ち上がり、馬を見に行く。

 タランは首を下げ、片脚を休ませて眠っている。カッツォが草を踏むたびに、ペルシュが耳を立てる。


(お前も見張りをしてるのか。騎士の馬ってのは心強いなあ)


 ペルシュはカッツォに目も合わせない。お前はあっちを見てろと言われているような気がする。

 

 やがて、夜明け前の雨が降り出した。

 軽い雨が木の枝の隙間から落ち、パラパラと幌を叩く。ドレの方にも落ちてきそうなので、さっき使っていた布をかけてやる。それでも少し冷えたのか、ドレは軽く咳をする。

 明日はドレもこの時間に起こすか、荷台でミザリーたちと寝かせた方がいいか。乾草をかけてもいいかもしれない。朝になったら、乾草はタランとペルシュに食べさせればいい。


 雨が止み、空が白み始める。御者台側の幌の隙間から手を差し入れ、林檎を一つ取る。ナイフで半分に切り、タランに差し出した。タランが鼻を鳴らして齧り取ると、ペルシュもカッツォの手から林檎を取った。

 

 ミザリーが荷台を降りてきて、二頭とカッツォのところへやってきた。

 

「おはよう! カッツォ君、見張りを代わろうか?」


「それじゃあ見張りの意味がないんじゃないかな。それより、寝づらかったかい? まだ早いのに」


「ううん、寝心地よかったよ。ボク、いつもこのくらいに起きるんだ」


 ミザリーがペルシュの背中を撫でる。ペルシュがミザリーに鼻先を寄せた。

 

「水を飲ませてくるね!」


 ミザリーは二頭を川へ連れて行く。


 草原の向こうの主街道に、馬車が見える。遠目だが、乗っているのはどうやら兵士だ。

 その後を、商人の馬車が一台、また一台と東へ向かう。黒い箱馬車も混じっていた。


(フラネールに行くのか。オーネットの噂が伝わったんだろうな……)


 ミザリーが戻ってきて馬を繋ぎ直し、カッツォの隣に座った。

 

「ねえ、カッツォ君。兄様ってどんな人だった?」


「レテイス王子? ……煌めく華とか輝く星とか呼ばれてる、そのままの人だと思ったよ」


「そうなんだ。会合の時もそうだった?」


「うん。なんか……本当に、ファムリアの王子って感じだったなあ」


「ボクにはふざけてばっかりいるよ」


「たぶん、妹がかわいいからだろうなあ」


「カッツォ君も、妹がいるんだよね?」


 ミザリーは無邪気な笑顔で言った。 

 いつもドレを覗き込んでいる黄色の瞳が、カッツォに向いている。


「いないよ。俺の家族は、タランだけさ」


 カッツォは視線をずらして笑った。

「え?」とミザリーは小首を傾げる。

 

「ドレも起きたか。よく眠れたかい?」


「……ああ。よく寝た」

 

「さっき、タランとペルシュに飯をやって気づいたんだけどさ。ドレたちにも丸ごとじゃなくて切ってやりゃ良かったんだよなと思って……」

 

 カッツォは素知らぬ顔で馬車に向かい、荷台からパンや林檎を取ってきた。切ったものを置くのにちょうど良さそうな木の皿も入っていた。

 物音で目覚めたイヴェットが小さな欠伸をして、シュロが荷台から飛び降りる。

 カッツォはずっと他愛のないことを話しながら、ナイフで林檎を小さく切った。食べやすいと一番喜んだのはイヴェットで、シュロも欠片を咥えていった。


 

 

 サフラス川を出発し、草原の中の土道を進む。

 途中でコーレリアが馬を止め、カッツォを馬車から降ろした。


「走行訓練をしましょう。ペルシュについてきてください」


「走るんですか? 俺が?」


「はい。まずは基本の体力です!」


「ええ……本気で言ってるんですか?」


 コーレリアはカッツォの言葉を聞き流し、ドレにタランの手綱を手渡した。

 ドレは戸惑っていたが、受け取った手綱をしっかりと握りしめた。タランを見つめる顔は、緊張していながらも嬉しそうだった。

 

(戻って手綱を返せとは言えないなあ……)


 ため息をつきつつ、ベストを脱ぐ。それを御者台に置くと、ドレに手綱の取り方を教えた。


「私も走っていい?」


 イヴェットが馬車を降りてくる。

「仕方がないなあ」と尻尾をブンブン振りながら、シュロがカッツォの足元を通った。


 コーレリアは馬上から、カッツォに笑顔を向ける。


「まずは半刻。走れなくなったら、止まらずに歩いてくださいね」


「はっ……半刻?」


「私なら、ここからウィストリアまで走り続けられますよ。さあ、行きましょう!」

 

 コーレリアが膝を締め、ペルシュが歩き出した。カッツォとイヴェットとシュロが、追いかける。ペルシュの歩みはだんだんと早くなっていく。

 カッツォは、そういえば靴底が擦り切れそうだったのを思い出していた。



▪︎

 



 タランが歩き出し、手綱が揺れる。思ったよりも引っ張られる。ハンドレッドは生まれて初めて、実物の馬の力強さを手のひらに感じていた。

 ミザリーが御者台に乗り込んできて、感動を邪魔されたような気分になった。


「……手綱を任されたのは私だ」


「うん! 頑張ってね、ドレ君。今度ボクにも教えて」


 ミザリーがにこりと微笑む。


「……」


 自分にやらせろと言ってくるかと思っていた。謝るべきか、とハンドレッドは思った。だが、今まで言われたことを考えると、ミザリーに謝る必要などないような気もする。

 

 走るカッツォの背中を眺める。結んだ髪が揺れている。いつも以上に、馬の尻尾にそっくりだ。

 イヴェットが疲れて、膝に手を置いて立ち止まる。シュロが戻ってきて、背中にイヴェットを乗せていった。

 

「いいなあ! ボクもシュロに乗ってみたい」


 ミザリーが本気としか思えない声で言い、ハンドレッドは呆れた。


「イヴェットは小さいからだろう。私たちが乗ったらシュロを潰してしまう」


「じゃあ、ドレ君もちょっと乗りたいって思ったんだね!」


「じゃあ、ではない。……なぜミザリーは私の言葉を聞かずに、頭の中を覗き込むようなことばかり言うんだ。言わないことには理由があるんだ。なぜ、そう考えない」


 ドレの言葉に、ミザリーは目をぱちぱちと瞬かせる。


「それでドレ君は怒ってたの?」


「他にもあるが、主な原因はそれだ」


「そっか。教えてくれてありがとう!」


「……」


 ミザリーとは二言話すだけで調子が狂う。こうやって悪気がなさそうに笑顔を向けられると、言葉が出ない。

 だが、珍しいことに、ミザリーの笑顔が消えていく。

 

「カッツォ君もさっき、怒ってたかなあ」


 そう言って、小さくため息をついた。


「朝に話していたことか……。なぜ、あんなことを聞いたんだ? カッツォは私と会った時からタランだけが家族だと言っていたぞ」


「でも、カッツォ君には妹がいるはずだよ? ストラヴィルもそう言ってたしね」


「……」


 ミザリーはいつも本当のことを言い当てる。それは、ハンドレッドが一番よく思い知らされている。


「なら、カッツォは妹のことに触れられたくないんだろう」


 辛いことは無理に話さなくていい、とカッツォは言った。もしかするとカッツォにも同じような経験があるのかもしれない。


「話したくなった時に、聞けばいい」


「ドレ君はなんで話したくなったの?」


 また説明が面倒なことに首を突っ込んでくる。自分の境遇をミザリーに説明するほど、惨めに感じることはない。


「……ミザリーは、どうして他人のことをそんなに知りたがるんだ」


「え? ボクはねー」


 ミザリーの意識があっさり切り替わったので、ハンドレッドは少し驚いた。今まで言われたことに言い返すばかりで、こういう返し方をしたことがなかったと気付く。


「そうやって、ドレ君がボクを知ろうとしてくれると嬉しいよ。兄様が話を聞いてくれて、わかったって言ってくれるのも嬉しい。だからボクもドレ君のことを知りたいし、わかりたいんだ」

 

「なら、私やカッツォが話さないことは?」


「寂しいし、悲しいよ」


「それは勝手がすぎるだろう」


 しばらくするとカッツォが追いつけなくなって、ペルシュが立ち止まる。カッツォはぜえぜえと息を切らして、荷台に上がり込み、水樽から一杯飲むと、倒れて動かなくなった。


「大丈夫?」


「……」


 ミザリーが後ろを覗き込み声をかけるが、返事がない。

 イヴェットを乗せて走ってきたシュロはハアハアと息をしていたが、元気そうに馬車を追い越して行った。


「では、休憩ということで……午後にもう一度走りましょうね」


 コーレリアも生き生きとした声で言った。


「……カッツォが、旅をやめたくならないといいが……」


 ハンドレッドの呟きに、タランが鼻息を鳴らして答える。同じことを考えている、という返事に聞こえる。カッツォがタランに独り言を話す気持ちが、少しわかった。


 夕方、南の麓町シェラーゼと南オルミス城下を繋ぐ街道まで辿り着いた。近くの森の中にある村のそばで、二度目の野営をする。

 カッツォは夕食を食べながら、こっくりこっくりと頭を揺らしていたかと思うと、そのまま眠ってしまった。そんな姿を初めて見たハンドレッドとミザリーは、コーレリアを叱った。



▪︎ 



 カッツォは夜中に目覚め、寝ていたことに気付いた。疲れ切って眠るなんて、いつぶりだろう。

 やけに暖かいと思ったら、乾草に埋もれている。近くに盛り上がっている部分がある。覗くと、ドレの外套が見えた。馬車からも寝息が聞こえてくる。シュロも夜は眠っている。昨夜「猫じゃないからね」と、よくわからないことを言っていた。

 

 乾草を払いながら見張りを交代しに行くと、コーレリアが深々と頭を下げた。

 

「すみませんでした、いきなり無理をさせてしまって」


「いえ……すいません。俺が情けなくて……」


 カッツォは頬を掻く。


「どうぞ着替えてください。寝てしまう前にお渡ししたほうが良かったんですが」


「そんなものまで用意してあったんですか?」


 新しい服を渡してくるので、仕方なく受け取った。川へ行って着替え、着ていた服を洗うついでに体も拭く。コーレリアはその間、眠らずに待っていた。

 洗ってきた服を御者台に干し、馬車とドレから少し離れたところに座る。


「ドレとミザリーに、叱られてしまいました」


「へえ。そういえば、二人で何か話してましたね。一緒にいても喧嘩しなくなったみたいで良かったですよ」


「ドレが慣れてくれたのでしょう。ミザリーは昔から変わりませんから」


 コーレリアが申し訳なさそうに笑う。


「……あの二人。昔、婚約させる話があったんですよ」


「え?!」


 思いがけないことを言うので、大きな声を上げてしまった。

 口を押さえ、声を落とす。


「ドレとミザリーが……?」


「ミザリーは知りません。ドレもおそらく、知らないのではないでしょうか。生まれた頃に話が出て、すぐに無くなりましたから」


「へえ……。ファムリアの王家って、昔からずっと、南オルミスとの結婚を断ってきたんじゃないんですか?」


「そうです。ファムリアは導きを大切にしていますから……政治のためだけに結婚するような南オルミスのやり方は、受け入れられなかったのでしょうね。でもあの時だけは、特別だったんです」

 

 コーレリアは馬車に目をやった。


「結局、本当に生まれたのかどうかさえわからなくなり、話はなくなりました。王妃がご病気という噂でしたから……。まさか、その王子が幽閉も同然に育てられているとは、思ってもみませんでしたが……」


 コーレリアも、昨日ドレが言ったことが気になっているようだ。


(コーレリアさんなら、何かわかるかもしれないけど……。でも、ドレに聞いた話は、勝手に話すわけにはいかないよな……)


「……訓練をやりすぎたという話でしたね。見張りまで任せてしまって、辛くはありませんか?」


「まあ、大丈夫です。コーレリアさんこそ、あまり寝てないんじゃないですか?」


「平気ですが、長く続けると支障が出ます。ウィストリアで宿に泊まれると良いですね」


 コーレリアは「明日は走るのを短くして、剣の訓練をしましょう」と言い残し、幌の中へ入って行った。

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