11 学者長ウィルマートン
馬車とペルシュが内側に入るのを待って、学者が扉を閉めた。内側の閂を落とし、門がきちんと閉まったことを確かめる。
「見て、シュロ! お城だよ!」
イヴェットとシュロがはしゃいでも、学者は視線を向けようともしない。
(見えてるのに、認識できない……魔法って、不思議だなあ)
「この外壁と門は、レイドンの研究所を保存するためにお母上が最初に建てさせたものですよ」
学者はボサボサの髪を整え、背筋を伸ばして胸を張る。服は薄汚れたままだが、そうしていると気品すら感じられた。
「このような日が来ようとは……」
ドレの助けを求める視線には気付いているが、カッツォもどうすればいいかわからない。王妃を知り、ドレを王子だと見抜くような相手だ。貴族以上には違いないが――。
「よかったね、ドレ君。ドレ君のことを知ってる人がいて!」
「……」
嬉しそうなミザリーに、ドレは無言で冷ややかな視線を返した。
「この道を敷かれたのも、お母上です。そこなる精霊王セレニアの像は、元から置かれていたものですが」
「……あの男たちは置いてきて良かったのか?」
「あの男たち? あの男たちとは……? ああ、あの廃棄物のことですか。殿下のお心に留める必要もない連中です。どうぞお忘れください、後でどうにか片付けますので」
学者は笑顔で馬車を先導する。つい先ほどまで泣き崩れていた男と同一人物とは思えなかった。
「そんなことより、研究所にはお母上がいつも座っていらっしゃった椅子や、うっかり壊された窓辺、それにお気に入りのラナリア観測施設がございます。そちらの方が面白いでしょう」
「お前は一体……母上の……?」
「これは失礼しました。私はウィルマートン・ヴァヘルキンと申しまして、カルラ様の学友でございます。グライス領の学校にて、共に勉学を修めました」
「学友……?」
「何でも自分には出来ると信じて疑わない、まさに道を作る方……。今歩いているこの道も、私の学問の道も、カルラ様によって拓かれたのです」
「……母上がどのような方だったのか、私は知らないんだ」
「……そうでしょうとも。殿下はまだお小さかったはずですから」
ウィルマートンは遠い空を見上げる。
「めちゃくちゃな人でした……。空を飛ぶ研究をしてと言ったり、マワリ畑を根絶やしにしてと言ったり」
「え……」
「あのねぇウィル。グライス領なんてただの田舎。領主の娘だからって気を使わないで、あなたの方が物知りなんだし」
ウィルマートンはいきなり腕を組み、ドレを睨むようにして、高い声で言った。
「……彼女はいつもそう仰った」
どうやら、カルラ王妃の声色と仕草を真似たらしい。
(カルラ王妃も、ウィルマートンさんも、なんか……変わった人なんだな……)
聞いていいのかもわからないが、話は面白い。
カッツォはそう思ったが、ドレは言葉を失っていた。
「その……私は母上のことを聞きにきたのではなく、レイドンのことを調べにきたのだが……」
「なんと! 辿らんとする学問まで、お母上と同じとは! もしや、カルラ様の足跡を追っておられるのでしょうか?」
「そうではない、別件だ。……そもそも、なぜ私が第三王子だと一目でわかるんだ。私は出生すら不明にされているらしいのに」
「なぜ。さっき申しましたでしょう。面影こそ、証明だと。殿下がカルラ様とお顔もお髪も、よく似ておいでだからです。私が気付かないはずがございません」
「……そう……なのか……?」
「アルフレッド殿下もお色は同じですが、顔つきはあの横暴なレニサロス王そのもの。ベアトール様は若き日の乱暴者レニサロス王子の生き写し。マリージア様は、お顔こそカルラ様に似ていらっしゃいますが、お髪と瞳の色が違います」
「……よく知っているな」
「お小さい頃、皆様でよくグライス領へ遊びにこられました」
「レニサロス王は、そんなに横暴なのか?」
「ええ、それはもう。カルラ様の言うことなすことにいちいち文句を言われて、顔を合わせては喧嘩をされて。気付けば、いつもお二人でいらっしゃるようになり……手と手を取り合ってお歩きになり……ことあるごとに見つめ合い……。
ねえウィル? レニサロス王子って、海賊と一騎討ちをしたことがあるのですって……」
うっとりと、指に髪を巻き付けるような仕草をする。
「……ウィル……ウィルマートン」
「ぜひ、私めをウィルとお呼びください」
「ウィルマートン、もう母上の話は整理しきれない。一度落ち着いてもらいたいのだが……」
「申し訳ありません、つい感極まりまして」
ウィルマートンがちゃんと黙ったので、ドレはほっとしたように御者台にもたれかかった。
「……言っておくが、私は父上にお会いしたことは一度もないからな」
ドレは荷台にいるミザリーに向けて言ったつもりだったのだろう。だが、ウィルマートンはドレの言葉を一言も聞き漏らす気がないようだ。
「なんと、お父上のお話がよろしいのですか? 馬車を無理に走らせてすぐ車輪を駄目にしたり、近衛兵二人を引き連れて道の真ん中を歩いて来られたり……おい、ウィルマートン! 腹が減ったから何か持ってこい! マワリは抜いておけよ。などと……」
「ウィルマートン……頼むから、少し黙って私を休ませてくれ!」
丘の上に着き、二つ目の門をくぐった先で馬車を止めた。外壁だと思っていたものは、厚い石造りの建物だった。窓や扉が等間隔に並び、囲いと棟を兼ねているらしい。
その一角に食い込むように、厩舎が作られていた。
ウィルマートンはコーレリアとカッツォにも、意外なほど丁寧な口調で話しかけ、馬を繋ぐ場所に案内した。屋根の下の暗がりに、乾いた藁の匂いが漂っている。
真ん中には井戸があり、その奥には、古い屋敷があった。
屋根の一部は継ぎ接ぎされ、その上に小屋のようなものが乗っていた。
「私が知りたいのは、レイドンの話だ」
「なんと強い探究心。感服致しました。しかし、レイドンの話と仰られましても、私が生まれた時には既に生きてはおりませんでしたので……」
「仕草や声音を真似ろと言っているのではない。お前は学者ではないのか。南オルミスの名誉にかけて、優れた知識を私たちに披露してみせろ」
「これは失礼を致しました。仰せのままに、ハンドレッド殿下。まず、レイドン・ルディオーネットとは……生年は不明ですが、恐らくアルソリオ歴六百九十五年前後、捧年七百八十五年。オーネット領の導きの家にて生まれ育ち、オーネット家の支援を受け、南オルミスの精霊学者長、ファムリアの王家付き精霊研究者、北オルミスのアルソリオ研究所所長を兼任した人物です」
「私たちはレイドンの遺物を探している。この研究所の学者が集めていたと聞いて来た。その学者とはお前か、ウィルマートン」
「ひとつ、よろしいでしょうか。ハンドレッド殿下?」
「何だ?」
「お前ではなく、あなたとお呼びいただけませんか。お前と仰られますと、お父上寄りになってしまいますので」
「その学者とは、あなたなのか。ウィルマートン……」
ドレの声には、苛立ちと呆れが混じっている。
「はい、私めにございます。カルラ様の命によりこの研究所にて学者長を務め、レイドンの遺品や関係資料の収集を行いました」
「なら、それを見せてくれ」
「勿論、ご案内いたします。では、鍵を取ってまいりますので、少々お待ちを」
ウィルマートンは厩舎とは反対側の扉を開けて中に入っていく。
その姿が見えなくなると、ドレは大きくため息をついた。
「ドレ君の母様って面白い人だったんだね! もっと聞かせてもらったら良かったのに」
「そんな悠長なことを言っている場合か。あと七日しかないんだぞ。箱がここにあるとは限らない。長々と話を聞いていられるか」
「……」
(王子みたいだなあ、なんて……そりゃそうか。本当に王子なんだから)
視線に気付いたドレが、カッツォの方へ歩いてくる。
「……どうかしたか?」
「ん? ウィストリアに来て良かったなって思ってさ」
「そうか……? カッツォがそう言うのなら、私の苦労も無駄ではないな」
「お待たせいたしました」
ウィルマートンが鍵束を手に、戻って来た。
分厚い扉の前に立つと、ひとつ選んで鍵穴に差しこむ。ゆっくりと回すと、かちりと小さく音がした。
低く軋む音を立てて、扉が押し開かれる。
中から、乾いた紙と木の匂いが流れ出てきた。
差し込んだ光の中で、舞い上がった埃が細かく光っている。
「これが研究所……」
「元はウィステン・アレンミオという貴族が建てた屋敷です。城下町を嫌い、他の者を寄せ付けないようこの地を選んだとか。ウィステン亡き後、ベルトロス王がレイドンにこの屋敷を使わせました」
足を踏み入れたドレは、部屋の真ん中で立ち止まり、周りを眺める。
壁一面に並んだ棚には、本と紙束が隙間なく収められている。紙束を括る紐には札がつけられている。古い紙らしく、色がばらばらで、ところどころに擦れや破れが混じっている。
「レイドンは考えたことを全て紙に記しておく習慣があったようです。研究内容から日々の雑記まで、あらゆることが書き記されております。他は生活に使う物以外、ほとんどありません。レイドンの遺物とは、彼の思考そのものなのです」
「へえ。これが、レイドンが僕らから隠してた思考か。早く読んでよ、ドレ」
シュロがのっそりと部屋に入ってきて、ドレの足元をぐるりと回った。
「こんなものを読み始めたら、何ヶ月過ぎてしまうかわからないぞ」
「その通りです。私も長くおりますが、すべてに目を通すことは叶っておりません。お好きなだけご滞在くださって構いませんが」
「この札は、なんですか?」
カッツォが尋ねると、ウィルマートンは気安く頷いた。
「棚は年代ごとに、札は内容ごとにまとめています。レイドンの助手が管理していたようです。残念ながら、欠けていると思われる論文や手記もあります。助手や学者が自身の研究資料として持ち出したのでしょう。そういうことが起こらないよう、この町を教育都市にしてこの場で閲覧・研究ができるようにする計画でした」
「箱に関する記録はあるか? 狼王の箱というものだ」
「なんと……狼王の箱をお選びになるとは。ハンドレッド殿下は学者の素養がおありですね」
「知っているのか?」
「勿論ですよ。精霊の性質変化にレイドン自身が関わった貴重な出来事ですから」
ウィルマートンはドレたちを最奥の部屋のテーブルに案内した。コーレリアはイヴェットを膝に座らせた。
「この部屋がレイドンの書斎です。さて、お尋ねの件ですが、学者の間ではその出来事を“狼王の箱事件”と呼びます。資料は四つ。まずはこの、レイドンの著した【精霊学 第五巻】。それからレイドンに譲渡された【オーネット家使用人の手記】。そして……」
カッツォは、テーブルに並べられていく本を覗き込み、驚いた。
「【大嘘つきのイグニーズ】?」
「ご存知ありませんか? 子どもに与える本としては有名でしたが……」
カッツォたちは顔を見合わせたが、誰も見たことがないようだった。
「そうですか。私たちが子どもの頃の話ですから、三十年も経てば忘れられるものもありましょう。どうぞ、読んでみてください」




