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セレニアの物語  作者: さなか
第4章 第1幕 否定された存在

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7 旅のはじまり

 カッツォが目を開けると、薄い色の天井が見えた。

 ああ、宿に泊まったのかとぼんやり思い出す。柔らかすぎるベッドから、転がるようにして足を下ろした。

 細かい刺繍の絨毯が、部屋一面に敷かれている。

 壁には彩色の模様。白い町や灯台などが描かれた絵が掛かっている。

 大きな窓から陽が差し込み、細い格子に雨粒が光っていた。窓の両側には、分厚い布が垂れ下がっている。


(これが高級な宿ってやつか……)

 

 奥には石床の部屋があり、水桶が置かれていた。昨夜は暖かい水が入っていた。

 落ち着かないのは部屋だけのせいじゃない。体を洗って着替えさせられた服も、破れもほつれもない上等品だ。

 離れたベッドでドレが起き上がった。今までの襟付きの黒いシャツではなく、丸首の生成りの服を着ている。


(まともな庶民って感じだな……。お互い、格好だけは)

 

 夕食の時も驚いたが、朝食も部屋に運ばれてきた。

 小さな車輪のついた台を押して、男が入ってくる。部屋のテーブルに食器を並べる。丁寧な手つきと静けさが妙に居心地悪い。


「どうも……」


 カッツォが言うと、男は軽く会釈をした。

 扉が閉まり、車輪の音と足音が遠ざかっていく。

 ドレが食事を始めた。カッツォも、皿に目をやる。


(この、ざらざらしたものは何だろう……)


 ドレはそれをスプーンですくい、口に運んだ。

  

「食べないのか?」


「なんか、食い物に見えなくてさ」


「スープだろう? 味は芋と魚だ」


 口に入れてみると、ドレの言った通り魚の味がした。


「本当だ。芋なんてどこにもないのに。変わった食べ物だなあ……」


 顔を上げると、ドレが浮かない顔でこちらを見ていた。


「どうしたんだい?」


「……色々と無理をさせているようで、すまない」


 ドレはカッツォのスープに視線を落とす。


「ああ。はは、そんな顔してるかな」


 カッツォは頬を掻きながら笑った。


「ドレだってそうだろ。馬車で寝たり、硬いパンや干し肉ばっかりでさ。本当はこういう宿に泊まるべきだよなあ。久しぶりに、よく眠れたんじゃないか?」


「……そうでもない」


 そういえば、ドレも部屋を物珍しそうに見ていた気がする。その様子を見ているうちに、カッツォの方が先に眠ってしまったのだった。


「……カッツォは?」


「眠れすぎて、眠ったかどうかもわからないくらいだよ」

 

 ふっとドレがかすかに笑い、緑色の目を細める。

 こんなふうにも笑うんだなとカッツォは思った。

 

 

 食事を終える頃、ミザリーたちが部屋を訪ねてきた。


「こっちもすごいお部屋だね! 王様のホテルなんだって!」


 部屋を見渡して、イヴェットはベッドに飛び込んだ。

 イヴェットとミザリーの服も、別のものに変わっている。柔らかなシャツとスカートの上に、落ち着いた苔色のワンピース。町で見かける、良家の娘のような格好だ。


「コーレリアを待ってるんだ。来たら出発しよう」


 ミザリーは椅子に腰掛けた。


「カッツォ君。アルフレッド君ってどんな人だった?」


 椅子の背もたれに腕を回し、にっこり笑う。

 ドレもこちらに視線を向けた。


「うーん……なんていうか、レテイス王子とは正反対って感じの人だったなあ」

 

「兄様と?」


 ミザリーが首を傾げ、ドレは小さく頷く。


「見た目も、中身もね。ほぼ喋らなかったよ。話したのは別の人だった」


「……補佐役のフェルナンドだな」


「そう、その人だよ」


「執務長フェルネェル・ネルサロスの息子だ」


 すらすらと、国の中心人物の名を挙げる。窓辺の陰で椅子に座る姿も妙に様になっていて、ドレも王子なのだということを思い知らされる。

 

「……あっ、そうだ。十日以内に精霊をなんとかしなきゃならないんだよ。会合でそう決まったんだ」


「そうなの? 十日かあ。ウィストリアに行って帰って来れるかな?」


「馬車なら三日で行けるはずだ。箱がそこにあるかはわからないが」

 

「ウィストリア?」


「レイドンの研究所があった場所だ」


「昔、ウィストリアの学者がレイドンの遺品をかき集めてたんだって!」


「アルストルや王都にあるのは文献で、レイドンが使っていたものはウィストリアにあるらしい」


「へえ。でも、ウィストリアってのはだいぶ寂れた町だよ」


「そう聞いた。しかし、研究所は残っているらしい。人がいないのは好都合だ……私にとっては」


「ボクにとってもね! 馬車で寝るの、楽しみだなあ」


 ミザリーが言うと、ドレはこれ見よがしにため息をついた。

 そこへ、扉を叩く音がした。カッツォが開けにいくと、一人の女性が立っていた。


「……?」

 

「お待たせしました、行きましょう」


「あっ……コーレリアさんか、すいません」


 声と、下ろした珊瑚色の髪を見て、カッツォはようやく気が付いた。革鎧の時とは、ずいぶん印象が違う。

 ミザリーとよく似た格好だが、スカートの下にはズボンを履き、使い込まれた革ベルトを締めている。少し職人らしい雰囲気だった。肩から下げる四角いその鞄に、見覚えがある。


「医者ですか?」


 カッツォが聞くと、コーレリアが振り向いてニヤリと笑った。


「御名答です。南オルミス国内を移動するのに自然でしょう。医者なら研究施設に行く理由もありますからね」


「カッツォ君とドレ君が商人見習いの兄弟。ボクたちは雇い主の医者の姉妹だよ」


「はは、二人は本当に姉妹に見えるよ」


 カッツォは笑った。


「イヴェットとシュロは……」


「僕らは面倒だから他の人間に認識されないようにする。放っておいていいよ」


「へえ、そんなこともできるのかあ」


「いざという時、ミザリーもお願いします。服など関係なく、目立つでしょうから」


 外へ出て厩舎に向かう。

 太陽の下で外観を改めて見たカッツォは、呆気に取られた。宿ではなく王族がアルストルに滞在する時に使う別住まいだと、コーレリアに教えられる。

 タランに馬具をつけ(ながえ)を固定していると、コーレリアが茶毛の馬を引いてきた。


「私の馬です。ペルシュといいます。仲良くしてくださいね、タラン」


 カッツォの馬車の荷台には、既に保存食や果実、水樽が積みこまれていた。乾草の束も増えている。イヴェットが「いい匂いがする!」と乾草に埋もれた。


「こんな……何から何まで、ありがとうございます」


「あなたとタランには昨日無理をさせましたからね。それなのに今日も休ませないのですから、せめて準備くらいはこちらでさせていただきました」

 

 準備を終えて、御者台に座っているドレの隣に乗り込む。


「ウィストリアに出発ー!」

「しゅっぱーつ!」


 荷台でミザリーとイヴェットが楽しそうに声をあげた。

 タランとペルシュが前足を上げ、滑らかな石畳へ踏み出した。


「南オルミス内の移動はカッツォに任せます」


「じゃあ、主街道じゃない方で行きましょう。タランも俺も昨日兵士に見られているので、フラネールを通らない方がいいと思うんです」


 アルストルを出て、森の街道を南へ抜ける。


「騎士団長が褒めていましたよ。レテイス王子が求めていた証言をしてくださったそうですね」


「いや、そんな褒められるようなことじゃ……庶民は庶民らしくしただけですよ」


「そうですか? 謙遜ばかりされると、本当のあなたが見えなくなります。大仕事の後くらい、誇っても良いと思いますよ」

 

 カティス川にかかる長い木の橋を渡る。この辺りは浅く、透明な水の中を泳ぐ小さな魚が見える。カティス川はレオドフックの遥か南から流れ来て、オーネット家の農地を通り、フラネールを過ぎて南オルミスの海へと繋がる。

 視界が開けると、オーネット家のオオツブ畑が広がっている。色褪せた茶色の穂が波打つ畑の中に、人影が動いている。


「あれ、誰かいるぞ!」


 オーネット家の使用人で助かった人がいたのかもしれないと思い、声を上げる。

 すると、コーレリアが申し訳なさそうに言った。

 

「カッツォ、彼らはファムリアの偵察隊です」


「あ……そうなんですか。偵察隊?」


「国境が無防備になってしまいましたからね。でも、実際にしているのは畑仕事ですよ。領民の方々が来れるようになるまで、畑を維持しなくては。今年の収穫がなかったら困るでしょう」


「へえ……そんなことまで考えてるんですね」

 

「……」


 コーレリアはドレを見ていた。

 ドレはぼんやりと畑を見つめていた。


「……私が何か言うことを求めているなら……今は考え中だ、と言っておく」


「ドレ君、何を考えてるの?」


 ミザリーが御者台の背に乗り出してきたので、ドレは嫌そうに体を引いた。


「……コーレリアと話をしているんだ。ミザリーはイヴェットと遊んでいろ」


「ドレ君! 初めてボクのことをミザリーって呼んだね!」


 ミザリーがドレを見つめて、嬉しそうに黄色の瞳を輝かせた。

 ドレはますます嫌そうな顔をしてミザリーを睨む。


「呼んでない」


「呼んだよ! コーレリアとイヴェットのことも!」


「……別に、初めてではないだろう」


「私も言われたことなかったかも……」

 

 いつの間にかイヴェットが、ミザリーの横に小さな顔を出している。


「確かに、今まで私たちの名前は呼んでいなかったような……」


 コーレリアも顎に手を当てて、思い出そうとしている仕草をした。

 

「……っ」


 隠すようにカッツォの方に向けたドレの顔は、真っ赤になっていた。夕日に照らされているよりも、怒っている時よりもずっと赤い。ミザリーと初めて会った時にもこんな顔をしていた気がする。


「もしかして、ドレは女の人と話すのに慣れてないんじゃないか?」


 カッツォは軽くからかう。

 すると、ドレは驚いたように言った。

 

「……ないこともないが……確かに女は、たまに来る乳母だけだ。男は小姓の兄弟とソラミルがいたが……」


「ふうん?」


 カッツォは特に気にもせず、話を終わらせる。

 しかし、ミザリーは乗り出してドレの顔を覗き込んだ。


「ねえ、ドレ君はさ」


「私は今カッツォと話しているんだ、引っ込んでいろ」


「ドレ君って、誰も見たことがないって言われてたでしょ。今までどこにいたの?」


 確かにそうだな、とカッツォは思った。会ったのは城下だが、なぜそこにいたかは聞いていない。

 コーレリアも気になるのか、ミザリーを止めないでいた。


「……南オルミス城に決まっているだろう。お前の家は城ではないのか?」


「ボクも王城に住んでるよ! たくさん人がいるからさ、話す人がいないなんて変じゃない?」

 

「お前に変だと言われる筋合いはない」


 ドレの声に苛立ちが混ざり始める。さすがに口を挟もうとしたカッツォの袖を、イヴェットが引っ張った。指を当てた口を、「しー」と鳴らす。

 ドレはすっかり赤みの引いた顔でミザリーを睨み、大きなため息をついた。

 

「……私は塔にいて外には出ない。誰も私を見たことがないし、話もしない。塔に暮らす小姓家族が私の世話をする。訪ねてくるのはソラミルだけだ。変だと思うなら好きにしろ」


「それは変だよ。アルフレッド君たちは?」

 

「だから、それだけだと言っているだろう。兄上たちには六年以上、姉上とは十年お会いしていない。お前たち兄妹とは違うと言ったはずだ」


 カッツォとコーレリアが絶句しているのに気付き、ドレは不機嫌そうに言った。


「この無神経女がうるさいから教えてやったんだ。私の事情を隠すことには、何の価値もないからな」


「……配慮を欠いた発言をお詫び致します」


「白々しいな。別にいい……私も先日、ファムリアに無礼な発言をした。だが、これでお前もわかっただろう。私に王子としての利用価値などなく、懐柔しても意味がないと」


 ふん、とそっぽを向く。

 

「えらいね、ドレお兄ちゃん。シュロのアドバイス通りにできたんじゃない?」


「ドレに理性がなかったら終わりだよ、この世界は」


 イヴェットとシュロが、馬車に漂う空気を気にもしないで言い合った。


「言う通りって?」


「昨日、二人が喧嘩ばかりしてたからシュロが言ったの。我慢してから怒るんじゃなくて、言いたいことを言えばいいって。そしたらね、黒い雲が広がらなくなるかもしれないんだって。向こうの空を見てたけど、大丈夫だったよ!」


「へえ……」


 カッツォは感心して言った。


「本当に偉いなあ、ドレ。怒ってるのに、自分が変わろうと思えるなんて」


「……機嫌をとる必要はない」


「さっきはごめん、からかって。ミザリーとコーレリアさんと、イヴェットたちのことも、ちゃんと仲間になろうと思ってるんだよな。だから、名前で呼んだんだろ」


「!」


「そうなの? 嬉しいな!」


 ミザリーが笑う。いつもよりほんの少しだけ元気がないようだった。


「ボク、ドレ君のことをもっと知りたいだけなんだ」


「……なぜ、そんなことを思うんだ」


「だって、そうしないとまた怒らせちゃうから」


「……」


「あのさ。昨日、ドレを探している人に会ったんだ」

 

「私を……?」


「ドレと同じくらいの背だけど、たぶん年上だと思う。髪がこのくらいで揃ってて、青い目の」


「ダリウスか。……さっき話した、小姓の一人だ」


 ドレは目を丸くして言った。

 

「そうか、オーネットの異変を聞いて……まさか、兄上の小姓としてきたのか? ダリウスはずっと私を見張っていたから、他の仕事なんてろくにできないだろうに……」


(見張っていた……?)


 穏やかでない言葉が引っかかる。

 だが、フラネールの方角を見つめるドレの顔には怯えの一片も浮かんでいなかった。


 


挿絵(By みてみん)

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